ああそうなんだイタリア語 20 外国語の感覚(2)

ああそうなんだイタリア語 20 外国語の感覚(2)

外国語の感覚(2)では、日本語にない時制の意味を述べてみたいと思います。日本語の勉強はあまりしたことがないので、文法的なことは実はよくわからない。これを逆に見るとつまり、文法など知らなくても言葉は話せるという考えで、これを外国語学習にそのまま当てはめようとする学習方法が結構好まれているようだが、結果的にこの方法では外国語は習得出来ない。その国に長く住んでいるとか、幼児の頃から母語と同じように外国語に触れていない限り無理である。大人になって(少なくとも中学以上)文法の学習をせずに、英語をうまく話すように見える人はハロー、ハワユ―、ワンダフォー、アッポー、パイナッポーの領域を超えることはない。

しかし、英語やイタリア語については文法を勉強したので、日本語よりは分かる。アメリカ人やイギリス人の語学の先生に文法のことを聞くのは野暮である。まずほとんど知らない。但し、大学で言語学を勉強した人や、とても熱心な講師で予め英語の文法を勉強した来た人は別である。もし嘘だと思うなら、あなたの英語の先生に、He plays the guitar. のsは何だと聞いてみてください。勿論、これを知らないからと言ってその先生の価値が下がるわけではありません。日本人のあなたは、例えば「私は」と「私が」の違いをきちんと説明できますか? 彼らだって、学校やお母さんに単数の時はsをつけるんですよ、として教わったくらいですから。三単現のSなんていう「文法用語」は外国人(日本)用に作られたようなものですから。

さて、話が横道にそれたままにならないように本題に戻ります。今日は、時制が表す意味を述べたいと思います。日本語では、過去は過去、現在は現在です。あと、未来形は日本語にはないので、基本は現在形で表します。一方イタリア語には、過去形の中にも、近過去、半過去、遠過去、大過去、条件法過去、接続法過去、接続法半過去、接続法大過去と過去だけでもこんなにある。一方英語は現在完了、過去、大過去くらいである。

イタリア語の近過去はpassato prossimoといい、大過去はtrapassato prossimoである。prossimoは「近くの」という意味があるので、passato prossimoは近過去と訳されたのだろう。trapassatoは過去の過去のことなので、trapassato prossimoは「近くの過去の過去」の意味だが、それを大過去(または先立過去)と名付けたのは、まあそんなところだろう。一方半過去のイタリア語は、”imperfetto”というが、これは「未完の」「不完全な」という意味で、「半分」という意味はない。無理やり未完=半分完成のとして、半過去としたのだろうが、半過去では良く意味が分からない。

一方英語の方を見ると、現在完了はpresent perfect という。意味は「完全な現在」である。何故、完全な現在というのだろう? 現在完了は実に難しい。私たちが中学の頃現在完了は、「終わってすぐ」の行為だと教えられた。しかし、これは完全に間違っていることが分かった。現在完了形には3つの使い方があり、一つは「現在までの経験」である。I have been to Mexico City. は、「私はメキシコシティへ行ったことがある」という経験を表す。次は、「現在までの動作や状態の継続」である。They have been married for five years. は「彼らは結婚して5年になる」で、5年前から今まで結婚している、ということだ。もう一つは、「現在に結果を見ることが出来る過去の動作」である。I have lost my wallet. は「私は財布をなくした」で、その中には、「まだ見つかっていない」という意味がある。もし失くしたが見つかったのなら、過去形を使って、I lost my wallet, but I found it later.のように過去形を使って言わなければならない。

この「現在に結果を見ることが出来る~」という説明自体が分かりにくいが、これは、この用法自体が日本人にとってとても難しいことを表していると思う。中級以上の方は、この意味は理解出来ていると思うが、それ以下の方で現在完了形の使い方が分からない人は、まずこの日本語表現で戸惑う。もっと分かりやすい表現がないかと思うが、せいぜい「現在まで続く過去の動作」とか、解りやすいように上記のように「終わってすぐの行為」のようなことになるが、これは表現としては正しくはない。I  have washed my car. は、私は車を洗った=だから車はピカピカである。という意味である。これに対し、I washed my car. は、今車がピカピカだとは言ってないのである。つまり、この現在完了形の使い方は、過去の行動の結果がまだ継続していることを暗に表しているのである。

イタリア語に戻ると、イタリア語の近過去が英語の現在完了になったものと思われるが、意味は全く異なる。イタリア語の近過去は今や英語の過去形である。遠過去と近過去に時制の違いはなく、感覚の違いだけである。大体、北イタリアでは遠過去は使わない。従い、イタリア語では、近過去を使ったからと言って、過去の行動の余韻が未だに続くような感じはない。また、英語の現在完了形の2番目の「現在までの経験」については、現在形を使う。例えば、Abito a Tokyo da 10 anni. 「東京に10年前から(今も)住んでいる」は、現在形を使う。従い、英語で私は東京に10年住んでいるを現在完了形ではなく現在形を使っていれば、それはイタリア人かも知れない。

長くなってきたので、ここで一旦切るが、時制が文章に大きな隠された意味を与える大きな用法は、条件法である。条件法過去を使って、Avrei voluto magiare il pesce. と言えば、「私はその魚を食べたかった」という意味だが、隠された意味は「しかし食べなかったである」。もし、Volevo mangiare il pesce. だと、同じく「私はその魚を食べたかった」だが、食べたかどうかは言っていない。この条件法表現は、英語でも同じである。こういう風に、時制が持つ意味、これを習得すればかなり外国語の幅が広くなることだろう。それに、イタリア語にしろ英語にしろ、条件法の文章は丁寧な印象を与えるものなので、社交語としては大変重要である。イタリアの条件法や接続法については、改めて述べたいと思っています。

 

 

 

nakahara