ああそうなんだイタリア語 25

ああそうなんだイタリア語 25

2月ですが、2022年の第一号です。「明けましておめでとう」は、イタリア語ではBUON ANNO! 、英語ではHappy New Year!日本語の挨拶言葉というのは、基本的に一番言いたい言葉を省略しますが、「明けましておめでとう」「新年おめでとう」に関して言えば、実に他の挨拶言葉と違って、はっきり言っているというか、省略形がありません。普通なら、「新年!」とか「明けまして!」とか省略されますが。最近は、「あけおめ!」とか言うので、やはりこれも省略されてくるのかも知れません。

日本語の挨拶言葉が如何に省略されているのか、みてみましょう。

「こんにちは」=今日はいい天気ですね、とか、今日はご機嫌如何ですか?を省略したもの。「初めまして」=初めて(お初に)お目にかかります、の省略。「おはよう」=「お早いですね。元気ですか」の省略。「こんばんは」も同じく、今晩はいかがですか、元気ですか?などの省略。「どうも」になると、「どうも有難う」「どうも恐れ入ります」「どうも、失礼します」など何でもありで、「どうも、どうも」と続けると、「どうも有難う、どうもさようなら」「どうも失礼しました、どうもありがとう」など二つを言う事も出来る。「さようなら」は、そういう事なら(左様なら、そういうことで)、失礼」とか、「そういうことで、また会いましょう」という意味だろうか。つまり、以上は全て基本的には「副詞」であって、肝心な「動詞」は言わないのが、日本流の挨拶。

これに対し、英語やイタリア語は肝心な部分を残す。品詞で言えば、形容詞や動詞が基本となっています。

初めまして=piacere、nice to see you「=お会い出来て光栄です。」、こんにちは/おはよう=buongiorno, good morning =いい日ですねいい朝ですね」、さようなら=arrivederci, see you  「また会いましょう」、どうも=thank you, sorry, hello, good-bye「ありがとう、すみません、さようなら」 など。赤い部分が本来言いたい部分で、英語・イタリア語はその言いたい部分を含むが、日本語は言いたい部分を言わない。つまり、このことを「奥ゆかしい」というのかどうか、とにかく肝心なことは言わない。

話し言葉では、日本語に限らずイタリア語や英語でも本来の意味とは別の意味が使われていることが多い。これがそもそも外国語学習を難しくしている大きな原因だと思います。いわゆる熟語、イディオムと言われるものですが、本来の意味から考えても結論が出ないものが多い。漢字の組み合わせもいわば熟語みたいなものです。

日本では学校教育のIT化が遅れているという。学校の先生が漢字は書いて覚えるものだから、例えば「えき」を「EKI」と書いて「駅」と自然に出てくると覚えないのだと言う。このような話をイタリア人の友人としたところ、彼はもう自分で覚える(書ける)必要はないのだと言う。勿論文化の違いはあるが、アルファベットが文字の国民はその組み合わせを覚えれば良く、アルファベット自体は26文字前後なのでこれは覚えている。一方日本人は、漢字を覚えないと駄目なんだろうか?文化を残すことを考えれば、書いて漢字を覚える必要はあるが、もしそのためにITに後れをとるのであれば、一考が必要な気がします。文化を残す必要はあるが、それは例えば、習字や書き方の学習に譲ることも出来る。要するに、日本がITに遅れ、英語の習得に遅れ、世界の発展に遅れている現状を打破するには、何か大きな変化を起こす、若しくは何かを捨てる、決断も必要なのかも知れません。中国はかつて、漢字を捨て全てピンインにしようという時期があったと言う。それは、やはり反対があってやめになったそうだが、韓国がハングルを発明したように、時代を乗り越えるには何か大きな飛躍が必要ではないだろうか。

実は我々大人も、もう40年ほど前から、パソコンを使って字を書くようになってから、次第に漢字が書けなくなっている。読めるのだが書けない。いわば、古語は読めるが使えない。東京人は関西語は分かるが使わない。のような関係で、漢字も残っていくのかも知れない。話が大分それたが、イタリアの話で最後に締めるとすると、イタリアの北部の人は、遠過去は理解しても使えない。イタリアの若者は、接続法は理解しても使えない人が増えている。

 

nakahara