イタリア語のことわざ

ああそうなんだイタリア語 17 nipote

日本語にはあるが英語やイタリア語にはない、英語やイタリア語にはあるが日本語にはない、といった言葉がある。また言葉はあっても、意味が違うこともある。こういうのは覚えにくい単語や表現の一つだろう。まず、意味が違うものを上げると、例えば「おかず」や「主食」は、単語はあっても意味が少し違う。日本語では、肉や魚はおかずで、主食はご飯、つまり米である。しかし、英語やイタリア語のmain dish(=主食)は、決してrice/risoではなく、肉や魚になる。

orange(arancia)色といえば、日本ではオレンジの色だが、三毛猫の茶色のことを海外ではオレンジ色だという事がある。茶色の猫は、orange catである。まあ、ただ日本語でも茶色とは茶の色という意味だろうが、日本茶はグリーンであるから、この茶色も不思議だ。ちなみに中国語では茶色とは言わない(また、外国の茶は紅茶だから、大丈夫かも知れないが)。日本では、交通信号の青を青というが、あれはどう見てもグリーンだ。ただ、緑とかいて「あお」と読ませたりもするので、この色については、相当許容範囲が広い。

日本にあってイタリア語にないものの一つが、孫や甥姪を表す言葉である。いや正確にいえば、イタリア語にもnipoteという言葉がある。しかし、孫も甥も姪も全部nipoteひとつである。つまり、孫と甥姪の区別がない。他にも会話に限って言うと、兄と弟や姉と妹の区別もあまりない。普通会話の時には、my sister とかmio fratello のように younger sisterとか fratello maggiore などと特に区別するとき以外は、あまり言わない。日本語なら私の兄弟が~というようなものだろう。実際日本語でも姉妹と書いて「きょうだい」とも読ませるので、この場合は年齢の上下も性別もなく話すことになるので、英語やイタリア語よりももっとあいまいかも知れない。

life(イタリア語vita)もそうである。life もvitaも「生活」「人生」「一生」という意味がある。しかし日本人にとって、「生活」と「人生」は違うものである。しかし、欧米人にとっては、同じものなのだろうか、一つの単語しかない。

こういうことを調べると面白いが、実はキリがない。日本人が外国語を勉強するときに、一番問題になるのは単語であることは、何度も述べて来た。まず学習語彙があまりにも少なすぎる事。そして、一つの単語を覚えても、その意味を一つしか知らないのでは、知ったことにならないことが多い。一つだけ例を挙げると、イタリア語にmacchinaという単語がある。英語では、machineであり、意味は「機械」である。しかし、macchinaには他の意味もある。①自動車②タイプライター③機構 macchina dello Stato=国家機構 ④陰謀⑤舞台装置⑥(詩)の構成⑦自動車レースなどの車間距離などである(以上小学館の辞書より)これ以外にもまだ意味はあるが省略した。つまり、もともと「機械」であるmacchinaに「自動車」の意味があるが、日本語には機械=自動車はない。これが語学学習を難しくしているともいえる。まあ、ただ同じことは逆(日本語の訳)にもあり得るわけで、外国人が日本語を学習する際の難しさとも共通する。従い、これは日本人だけの問題ではない。ただし、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、その他欧米言語には共通点が多いので、彼らが相互に言語を学習するには大きなアドバンテージがある。machine(英語)にも、上記にあげたmacchina(イタリア語)全ての意味のの半分くらいは共通するようだ。

nipoteに話題を戻すと、E` mio nipote. と言っても、それは孫か甥かはわからない。イタリアは大家族主義なので、一家が集まるとする。親子3代が集まるとする(一代、二代、三代と呼ぶ)と、一代から見れば三代はみなnipote(孫)である。二代から見て、兄弟の子供が甥姪になるが、一代から見れば同じ孫。そういうことから、孫も甥姪もnipoteになった(そうである)。ちなみに、ひ孫もその下の玄孫(やしゃご)も一様にpronipoteというらしい。かくして、一家が4代、5代と集まれば、nipoteで一杯になる。

 

 

 

イタリア語のことわざ 7

7.Batti il buono, e lui migliora. Batti il cattivo, e lui peggiora. 「バカにつける薬はない」

原語は、良い子を鍛えれば成長する。悪い子を鍛えても更に悪くなるだけ。buonoは善人、cattivoは悪人のこと。battereは叩く。従い、「善人(頭の良い人)を叩けば(鍛える)良く鳴るが、悪人(頭の悪い人)を叩いても何にもならない。」

 

イタリア語のことわざ 6

6.Asino che ha fame mangia d’ogni strame.  「溺れる者は藁をもつかむ」

原語の訳は、腹が減ったロバは、どんな干し草も食べる。「腹が減ったら何でも食べる」から

イタリア語のことわざ 5

5.Chi non ardisce, nulla fa.  虎穴にいらずんば虎児を得ず。 危険を冒さないものは何も出来ない。

ardire (di~) =危険をおかして~をする

イタリア語のことわざ 4

4.Al bisogno si conosce l’amico.   助けが欲しい時に真の友を知る。まさかの時の友こそ真の友。

英語では、A friend in need is a friend indeed. と韻を踏ませてあります。

イタリア語のことわざ 3

今回はalbero(木)を使った諺を一つ紹介します。

3.Albero spesso trapiantato mai di frutti e` caricato.   trapiantareは「植え替える」mai di fruttiはことわざに良くある文章の倒置で、文意を強めたり、韻を踏ませたりするときに使われます。普通の文章なら、Albero spesso trapiantato e` mai caricato di frutti. となりますが、これでは文章にアクセントがありませんね。

さて、いつものように直訳は「良く植え替えられる木には実がならない」となります。意味は「仕事を良く変える人は成功することが出来ない」という意味です。日本語で「転石苔むさず」とは、①職業や住所を良く変える人は財産を気づくことが出来ない、という意味と②活発に動いている人は、世の中に取り残されることがない(苔がつかない)という意味の2つがあるそうですが、このイタリア語の意味は①の方のようです。

イタリア語のことわざ 2

前回に続き今回もacquaを使ったことわざを一つ

2.Acqua passata non macina piu`.   macinareは 粉を挽くこと。つまりこの場合は水車(mulino ad acqua)を想像していただければ良い。直訳では、「過ぎ去った水は粉を挽かない」は、水車を通り過ぎた水は最早や粉を挽かないという意味になる。日本語のことわざなら、「覆水盆に返らず」「去るものは追わず」「済んだことは水に流せ」などが近いことになる。

イタリア語のことわざ 1

「Proverbi d’Italia」は、九段アカデミーから2018年に出版したイタリア語のことわざ辞典です。その中から抜粋して、少し説明を加えながらこのページで紹介していきます。ことわざは、世界共通のものが多くありますが、表現が違うところが面白い。表現の違いによって、微妙にニュアンスの差も生まれますが、それは、それぞれの言葉や文化・歴史の特色でしょう。そういうところを感じながら読んで頂ければ幸いです。

1.Acqua lontana non spegna il fuoco.  「遠くの水は火事を消せない」 これは、水があっても近くになければ火を消せない=遠くにいれば助けることが出来ない、ということで、日本語の該当することわざは、「遠くの親戚より近くの他人」または「二階から目薬」(ちょっと意味することは異なるが、もどかしい事の喩えゆえ、共通点はありそうだ。)を挙げておきます。

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