Monthly Archive 11月 2021

ああそうなんだイタリア語 18 外国語の感覚(1)Eccolo

外国語を勉強するときに、日本語しか知らない場合にはある種の感覚を身につける必要がある。その一つが、イタリア語の場合は性と数である。つまり、単語にはすべて性別があり、単数と複数では表現が異なるということだ。英語には複数にはSをつけるという決まりがあるが、単語に性別はない。日本語には勿論どちらもない。複数には「たち」「ども」「等」などをつけるが、これも人称代名詞「私たち」「あなたたち」「彼ら」「私ども」などは必須だが、ものやことには普通はつけない。本は本だし、本たちとは言わない。また人称代名詞の複数形は英語でもイタリア語でも単語自体が変わり、Sをつけたり語尾を変えたりするわけではないので、「人称代名詞以外の名詞は単数と複数を語尾を変化させて区別する」と言えるだろう。

イタリア語を勉強した方はご存じだろうが、名詞の性については結構厄介である。基本的に語尾がoで終われば男性名詞、語尾がaで終われば女性名詞であるが、eで終わる場合は男性名詞か女性名詞かを知っていなければならない。また男性名詞の複数はiで終り、女性名詞の複数はeで終わる。イタリア語は基本的に母音で終わるが、uで終わる単語は少ない。勿論例外も沢山ある。取り敢えず、単語の性別を覚えたとしても、文章にする場合に厄介な問題がある。形容詞をつける場合、形容詞の語尾が名詞の性と数に一致しなければならない。例えば、nuovo(新しい)という形容詞を使う場合、vestito nuovo(新しい服)、vestiti nuovi(新しい複数の服)、cravatta nuova(新しいネクタイ)、cravatte nuove(新しい複数のネクタイ)となる。イタリア語(ラテン系言語)は、形容詞は名詞の後について修飾するが、それは先に性数の主体となる名詞が出ないと、形容詞がつけられないからである。イタリア語やフランス語の形容詞が名詞の後に来るのを不思議がる人もいるかと思うが、これはこれでうまく出来ているのだ。

しかし、それでも厄介なことがある。指示代名詞のように、一番先に使うQuesto(これ)やQuello(あれ)の場合は、まず何を言おうとしているのか頭で考えて、名詞の前に名詞に合わせて変化させて使わねばならない。これが、女性名詞で複数形なら、Questeと先に言ってから、sono le mie scarpe. のように続けねばならない。意味は「これら(これ)は私の靴である。」尚、この例であげたように、所有形容詞(私の、あなたの、など)や指示形容詞(あの、この)などは形容詞であっても名詞の前に付けるし、形容詞の中でも習慣的に名詞の前に付けることが多いものもある(bello, buonoなど)ので、頭の中は性数でフル回転していなければならない。

イタリア語を学ぶ場合には、この感覚が必要であると思うのである。筆者自身についていえば、3年から5年くらいかかっただろうか。つまり、あらゆる名詞を性別で考えるようになるのに。多分複数の方は、英語で多少は慣れていたかも知れないが、、、。多分一番厄介なのは、代名詞である。lo la li le の直接目的語になる代名詞を使う場合は、基本的にそれが、男性か女性か、単数か複数か、頭の中で理解していないと使えない。大変面倒くさいと思うが、これもある程度は慣れる。ただ、日本語で話している頭を多分ちょっとだけイタリア語モードに変える必要はあるのではないかと思う。大分前にイタリアでイタリア在住20年くらいでイタリア人と結婚している人が、日本語で話しながらも何かの拍子で、”Eccolo!”と仰った。これですね。やはり、頭がイタリアモードでさっと出て来るっていうのは、と思いましたね。Eccolo, Eccola, Eccoli, Eccole.もちろん全てありますからね。Eccomi!もあります。

 

ああそうなんだイタリア語 17 nipote

日本語にはあるが英語やイタリア語にはない、英語やイタリア語にはあるが日本語にはない、といった言葉がある。また言葉はあっても、意味が違うこともある。こういうのは覚えにくい単語や表現の一つだろう。まず、意味が違うものを上げると、例えば「おかず」や「主食」は、単語はあっても意味が少し違う。日本語では、肉や魚はおかずで、主食はご飯、つまり米である。しかし、英語やイタリア語のmain dish(=主食)は、決してrice/risoではなく、肉や魚になる。

orange(arancia)色といえば、日本ではオレンジの色だが、三毛猫の茶色のことを海外ではオレンジ色だという事がある。茶色の猫は、orange catである。まあ、ただ日本語でも茶色とは茶の色という意味だろうが、日本茶はグリーンであるから、この茶色も不思議だ。ちなみに中国語では茶色とは言わない(また、外国の茶は紅茶だから、大丈夫かも知れないが)。日本では、交通信号の青を青というが、あれはどう見てもグリーンだ。ただ、緑とかいて「あお」と読ませたりもするので、この色については、相当許容範囲が広い。

日本にあってイタリア語にないものの一つが、孫や甥姪を表す言葉である。いや正確にいえば、イタリア語にもnipoteという言葉がある。しかし、孫も甥も姪も全部nipoteひとつである。つまり、孫と甥姪の区別がない。他にも会話に限って言うと、兄と弟や姉と妹の区別もあまりない。普通会話の時には、my sister とかmio fratello のように younger sisterとか fratello maggiore などと特に区別するとき以外は、あまり言わない。日本語なら私の兄弟が~というようなものだろう。実際日本語でも姉妹と書いて「きょうだい」とも読ませるので、この場合は年齢の上下も性別もなく話すことになるので、英語やイタリア語よりももっとあいまいかも知れない。

life(イタリア語vita)もそうである。life もvitaも「生活」「人生」「一生」という意味がある。しかし日本人にとって、「生活」と「人生」は違うものである。しかし、欧米人にとっては、同じものなのだろうか、一つの単語しかない。

こういうことを調べると面白いが、実はキリがない。日本人が外国語を勉強するときに、一番問題になるのは単語であることは、何度も述べて来た。まず学習語彙があまりにも少なすぎる事。そして、一つの単語を覚えても、その意味を一つしか知らないのでは、知ったことにならないことが多い。一つだけ例を挙げると、イタリア語にmacchinaという単語がある。英語では、machineであり、意味は「機械」である。しかし、macchinaには他の意味もある。①自動車②タイプライター③機構 macchina dello Stato=国家機構 ④陰謀⑤舞台装置⑥(詩)の構成⑦自動車レースなどの車間距離などである(以上小学館の辞書より)これ以外にもまだ意味はあるが省略した。つまり、もともと「機械」であるmacchinaに「自動車」の意味があるが、日本語には機械=自動車はない。これが語学学習を難しくしているともいえる。まあ、ただ同じことは逆(日本語の訳)にもあり得るわけで、外国人が日本語を学習する際の難しさとも共通する。従い、これは日本人だけの問題ではない。ただし、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、その他欧米言語には共通点が多いので、彼らが相互に言語を学習するには大きなアドバンテージがある。machine(英語)にも、上記にあげたmacchina(イタリア語)全ての意味のの半分くらいは共通するようだ。

nipoteに話題を戻すと、E` mio nipote. と言っても、それは孫か甥かはわからない。イタリアは大家族主義なので、一家が集まるとする。親子3代が集まるとする(一代、二代、三代と呼ぶ)と、一代から見れば三代はみなnipote(孫)である。二代から見て、兄弟の子供が甥姪になるが、一代から見れば同じ孫。そういうことから、孫も甥姪もnipoteになった(そうである)。ちなみに、ひ孫もその下の玄孫(やしゃご)も一様にpronipoteというらしい。かくして、一家が4代、5代と集まれば、nipoteで一杯になる。

 

 

 

ああそうなんだイタリア語 16 ipotesi とsupporre

このコラムを書く理由は次のようなものである。
イタリア語に隠された歴史や背景、それに関する私個人の考察をまとめるため。
イタリア語を学習する人に、もっと興味を持ってもらうため。
自分が50年以上付き合って来たイタリアとイタリア語の話が何か参考になればと思って。
単語は語学学習では、実は大変重要。特に日本人には。だから、少しでも語彙を増やして貰いたいと思い。

まあ、ちょっと考えてみましたが(3分ほどでここまで書いてきたので大して考えたわけではない)なかなか一言では難しいので、まとまりなく何行も書いてしまいました。そうかもしれないし、そうでないかも知れない。まあ、色々仮定してみたわけです。

今日の話題はこの「仮定」です。イタリア人は、良く仮定します。多分日本人よりも多く物事を仮定します。その時にIPOTESIという言葉を使います。意味は「仮定」「仮説」です。ipotesiは、日本語で「こうしたらどうだろう?」とか「もし~したとしたら」のような、例え話に使う言葉です。ビジネスの場でも良くこの言葉が出て来ました。「それを買ったとして、私にどういう得があるのか」など。私はイタリアとのビジネスでは、買う方の立場だったので、「価格を貴方の希望値にしたとして(したと仮定して)、一体どれくらいの数量をお買いになる積りですか?」のような会話だったかも知れない。それほど頻繁に使われるわけでもないが、日本語ではなかなか表現しない言い方なので、記憶に残っている。是非使って見て下さい。イタリア的表現を良くご存知ですね、と言われるかも知れません。

ipotesiという言葉の代わりに、supporre(仮定する=動詞)を使う事も出来ます。Suppongo che + 接続法。~だと私は仮定します=~のようだね。ipotesiと共に、Suppongo, per ipotesi, che ~。とも言います。大体同じような意味です。
尚、アクセントは「イポーテジ」のように、poの上にアクセントがあります。

さて、これから先は「読んで楽しいイタリア語」に書いた、ipotesiの話です。
私は、日本人は中国語、イタリア語、英語の3つのライン上で外国語を学んだ方が良いというipotesiを上げる。日本語は中国から伝わった言語に、日本独特のひらがなを加え、作られていった。しかし、儒教の教えを主とした教理が根強く、明治維新まで漢語の学習は怠らなかった。江戸時代の鎖国の結果、ヨーロッパはオランダからのみ文化の流入があり、オランダ語の学習も進んだが、当時訳された医学書などの文献は、オランダ語からまず漢文に訳されたのだ。

日本語は中国語と、文字そして音がやや似ているが、構文が異なるので、漢文にする方が楽だったのだろう。中国語と漢文は大分異なるらしいが、構文については基本が変わらないので、中国語が出来なくとも漢文が出来れば、単語を調べてオランダ語の本は読めた。幕末の知識人みな漢語が出来たので、明治になってこれからは漢文ではなく英語だという時代になっても、単語さえ分かれば本は読めた。福沢諭吉翁などが海外へ行って本を買いあさり、急いで日英対訳の辞書を作ったのも、単語さえ当て嵌めていけば文章が読めたからである。恐らく発音は相当ひどかっただろうし、聞き取りも出来なかっただろう。が、自分の意思を伝えることはしたのではないだろうか。

言語の基本は、相手に言いたいことを伝えることなのであるから、これが一番重要なのだ。翻って、今日日本では漢文の学習は殆どない、そして突然日本語から英語である。この2者は日本語も含めた4つの言語ラインの両極にあるのだ。しかも学習方法が英語→日本語という方向性が主流(大多数)である。」

日本語と中国語は文字が同じで音もやや似ているところがある(実際には中国語の発音はとても難しい)。日本語とイタリア語は、単語が母音で終わり、且つ音素の数が近いため聞き取ることが出来る。これに対し、英語は、文字も、音も、構文も、そして単語も全て違うのであるから、日本語から英語を学ぶのは、一足飛びにピアノならラフマニノフを弾いたり、体操ならH難度を、スケートなら4回転を、もっと近い話題で言うとプログラミング言語ならHTMLもCSSもやらないで、JAVAやPYTHONやもっと難しいものを学ぶようなものだ。

ということで、「日本人はまず中国語とイタリア語を学んでから英語を学ぶのはどうだろう?」という仮説を上げておきます。

ただ、最近は私は英語の学習方法としては、まず文法(基本文法と構文)を学んだら、次は単語の学習をするべきだという仮説に立っている。聞き取りや会話は慣れれば出来る。それよりも先に、単語を知らないと、言っていることが分からないではないか。勿論単語だけでは分からないが、文法と構文を理解してれば、単語が分かれば意味は大体わかるものだからである。日本人の英語の語彙力3000とか5000では、100%理解する為の15%~25%に過ぎず、これではついていけないのも無理はない、と思うからです。

 

ああそうなんだイタリア語 15 giapponese

Giapponeのことを先の触れたので、しかも2回も、やはりgiapponeseについても触れておきたい。これも「読んで楽しいイタリア語」が出典である。テーマは、何故英語で日本人は、Japaneseなんだろう?という疑問から発する。つまり、英語だとItalian, Canadian, American, Mexican, German, Korean, Brasilian, Australian, Russianのような-nで終わる語感や、Frenchman, Englishmanのような-manをつける呼び方、Swiss, Dane, Swede, Dutch, Thaiなど短く終わる呼び方などある中で、JapaneseとChineseが-neseで終わる。 Vietnamese は近いが-meseで終わり、portugueseはgueseとなる。

実は、英語では少数派だがイタリア語では -eseは多数派に属する。日本人中国人はそれぞれ、giapponese, cineseであり英語と同じ語尾となる。 似ているがちょっと違うベトナム人はvietnamitaと全く異なる。更に上記の中で、カナダ人canadese, フランス人francese, イギリス人inglese, デンマーク人danese, スエーデン人svedese, オランダ人olandese、そしてポルトガル人portogheseなどもイタリア語では -eseの仲間になり、-eseが主流を占めることがお分かりだろう。もう一つの主流派は、-anoである。italiano, americano, messicano, coreano,brasiliano,などとなる。

英語だと、日本人と中国人しか-neseがないためか(他にもあるかもしれないが)、昔私の友人がアメリカに留学しているときに、Which ‘ese’ are you? 「フイッチーズアーユー?」 と聞かれたという。この話を聞いた時に、大変失礼な聞き方じゃないかと思ったものだが、英語(特に米語)には人を馬鹿にしたような言い方が五万とあるので、その中の一つで、深く考えないで使うのだろうと思うのだが。私の仕事の一環として、英語のスラングと併せてイタリア語のスラングなどを集めたりしているが、日本語も英語もわかるイタリア人が言うには、イタリアにはスラングと言うか汚い言葉が沢山あって、日本語にはあまりないと言う(?そうだろうか)。しかし英語にはとてもじゃないが叶わないと言う。特に米語は汚いスラング目白押しで、イタリア人もびっくりらしい。

日本人が英語を勉強するときには、この想像以上に沢山あるスラングをも理解しなければならない。まあ、スラングまで行かなくても、20000語ほどの単語を覚えないと、英語ネイティブと対等には話せないことから、私は個人的には、文法を一通り覚えたら後は単語力が勝負になると思うので、現在の語彙力2000の人も5000の人もあと10000を上乗せする必要があり、是非そのお手伝いをしたいと思っている。10000を5年で覚える(10000覚えなくとも、努力することで5000は記憶に残る)には、年に2000、週に40新しい単語に接する必要がある。

話がそれたが、英語は勿論ラテン語やイタリア語から見たら、大分後に形づくられた言語だが、イタリア語をそのまま踏襲しないで、~anとか~sh(Irishなど)とかにしたのは何故なのか? 多分その方が語感が良かったのでしょうね。日本はイタリア語(ラテン語系)のままJapaneseになった。何故なら、だれも異議を唱えなかったから。程度の事じゃなかったのでしょうか。まあ、もう慣れたからいいですね。

ああそうなんだイタリア語 14 settembre

イタリア語を知っている人は分かるが、英語の9月Septemberは、イタリア語ではSettembreという。以降 Octoberはottobre, novemberはnovembre, decemberはdicembreである。イタリア語では、sette-otto-nove-dieciと言えば、7-8-9-10という数字なので、これらはそれぞれ、7月8月9月10月である。しかし、何故これが9月10月11月12月なのか?これの説明については、「読んで楽しいイタリア語の話」から引用する。もし知らなかったとしたら、これはトリビアになるかもしれません。ちなみにトリビアはtriviaというラテン語で、三叉路のこと。意味は何処にでもあるという意味で、誰でも知っている知識とか、くだらない知識のことである。転じて「豆知識」の意味でも使われるようだ。イタリア語でtrivialeという形容詞は、「俗っぽい、粗野な、下品な、陳腐な」という意味であまり尊敬した意味にはならない。英語だとtrivialで大体イタリア語と同じ意味である。派生語でtrifleもあるが、似たような意味である。つまりtriviaとは、くだらない知識である。

さて何故7月が9月なのか?これは、昔のローマ暦では、1年が10ケ月(304日)しかなく、年の始まりが現在の3月だったことによる。つまり3月が第一番目の月で、7番目の月が9月だったわけです。答えは簡単ですが、その間に色々変化もありました。現在の7月と8月、これはもともと5月と6月だったわけですが、ローマ帝国のシーザーそして初代皇帝のアウグストス(イタリア語名Augusto)の時に、7月はLuglio, 8月はAgostoと変えられました。7月のLuglioは、Giulio Cesare(ジュリアス・シーザー)の事です。そして1年も12ケ月に変えられました。これがユリウス暦です。

何故それまで一年が304日(10ケ月)だったのでしょうか?一年が365日で4年に一回のうるう年を設けることは、古代エジプトでも既に知られていたと言われています。勝手に想像すると、当時の冬は寒いので、現在の1~2月の期間(61日)を単に「冬」とかなんとか言っていたのかも知れませんね。それはどうか分かりませんが、どうも月としてカウントしていなかったようです。そしてこの「冬」だかなんだかの間に、足りない分を4年に一度調整していたようです。ちなみにうるう年はイタリア語では、anno bisestileと言いますが、bisestoとは2月29日のことを言い、古語では「4年間」という意味もあったようです。英語では、leap year と言い「跳ぶ年」となって、特に意味はないようです。日本語は漢字では「閏年」と書き中国語と同じです。尚、うるう年には色々決まりがあって、2100年、2200年、2300年はうるう年でなく、2000年と2400年はうるう年です。現代の人で見てみると、1901年以降に生まれた人は、2100年まで生きないと、うるう年でない年を経験することはありません。うるう年は、①4年に一度②しかし100年に一度はうるう年でない③しかし400年に一度はうるう年である。という決まりです。つまり昭和生まれに限ると、4年に一度必ずうるう年を経験しているという事になります。平成生まれは、頑張って2100年まで生きると、一日少ないために一歳余計に生きることが出来るかも知れませんね。

さて、12ケ月に変更した時(ユリウス暦にしたとき)に、最初の月をgennaioと名付けました。これはローマ神話のGianoという神の名で、ドア(入口)の神様です。2月のfebbraioはfebruareから来ています。この意味は、「魂を清める」「慰霊する」「贖罪する」月という意味になります。もともと3月から1年が始まっていましたから、この月に全てを贖罪し新たな1年を迎えようとしたのでしょう。日本の除夜の鐘の考え方に似ていますね。そして、何故2月がうるう年になったのかもわかりますね。一年の最後の月でしたから、最後の月に調整しようとしたのです。

 

 

 

ああそうなんだイタリア語 13 地名の読み方

どういう約束事になっているのか知らないが、日本では欧米の地名は概ねその国の発音に従うようだ。ドイツのミュンヘンやフランクフルト、イタリアのミラノやナポリ(但し、ヴェニスやフローレンスは英語読み。ヴェネツィアとかフィレンツェとも言われるが、英語読みの方が多いだろうか)、フランスのパリやスエーデンのストックホルムやエーテボリなど。一方中国は日本語の漢字読み(ペキン、ナンキン、ジュウケイ)と中国語読み(シャンハイ、カントン)が混在している。台湾の台北を先日NHKでタイホクと呼んでいたが、これなどはタイペイが既に一般的なのではないかと思うし、タイホクと言われるとなんだか時代錯誤的な呼び方のような気がしないでもない。韓国も最近ではソウルやプサンと呼んでいる。

さて、話はイタリア語に入るがイタリア語は、他の国の地名は基本イタリア語で呼ぶ。とはいえ、全ての都市名にイタリア語があるわけではなく、主要都市のみである。従い概ね英語圏なら英語読みで通じる。しかし、慣行でイタリア語読みのところも多くなる。例を挙げる。ミュンヘンはManaco di Bavieraと言い、Monaco公国と間違い安い。フランクフルトはfrancoforteで意味は自由の要塞である。スコットランドのEdinburgh(エジンバラ)は、Edimburgoになり、burgoはborgoの事で「森」を意味する。オーストリアのザルツブルグはSalisburgoとなり、勿論「Salisの森」である。

その他ドイツの有名な地名をイタリア語で言うと下記のようになる。Hamburg(ハンブルグ)=Amburgo、 Koln(ケルン) =Colonia、Leipzig(ライプツィッヒ)=Lipsia、Mainz(マインツ)=Magonza、Stuttgart(シュトットガルト)=Stoccarda、そして黒い森として有名なSchuwarzvaldはイタリア語では、Foresta Neraとなっている。小さい町や最近イタリアで知られた町などは、ドイツ語をそのまま使う。ドイツ語も然りで、以前ある人がドイツ経由でミラノへ行った時に、乗り換え掲示板をいくら探してもMilano(またはMilan)がない。色々尋ねて、ドイツ語ではミラノのことをMailandというのが分かってやっと、乗り換えに成功したという。イタリアからミュンヘンに行く場合は、Monacoとなっているので、どちらのモナコが確認しておいた方が良いだろう。

フランスの地名も書いておこう。Paris=Parigi、Lyon=Lioneここらはまだ分かりやすい。Marsiglia(マルセイユ)、Nizza(ニース)、Tolosa(ツールーズ)も覚えておいた方が無難だろう。フランスも全ての町名にイタリア語読みがあるわけではない。スペインは、見れば大体わかるが、読み方に注意が必要である。Barcellona(バルセロナだが、イタリア語ではバルチェッローナ*スペルも少し違うので注意)。cの音に注意が必要(Valenciaなど)。イギリスはどうだろうか。Londra(ロンドン)、Edimburgo(エジンバラ)くらいがイタリア語で、他はほとんど原名(Liverpool, Manchester, Oxford等)を使う。他特に注意する地名のみを上げておく。Mosca(モスクワ)、Anversa(アントワープ)、Vienna(ウイーン)、Losanna(ローザンヌ)、Zurigo(チューリヒ)、Stoccolma(ストックホルム)、Gotemburgo(ヨーテボリ)。尚、アジアの地名は大体そのままである。Shanghai(シャンガイと読む)、Pekino(ペキーノ)。東京にはTokioというイタリア語があるが、Tokyoでも構わない。

 

 

 

ドイツのハイデルベルグ(Heidelberg

 

 

ああそうなんだイタリア語 12 giapponeは男性形

イタリア語をやる人は、名詞に性と数があることを常に気を付けなければならない。イタリア人はそんなことに気をつけなくても身についているから気にしないが、日本語にはそんなもの無いので、これが結構大変である。英語なら複数はSをつければ良いが、イタリア語はそういう訳にはいかない。

今日は、国名の性の話である。これは、「読んで楽しいイタリア語の話」にも勿論書いている。国の名前は、ほとんどが女性形である。考えるに、国と認めた国名は女性形だと考えられるのに、何故日本は男性形なのかを考えてみる。女性形の国を挙げると、ヨーロッパの国、Italia,Francia,Germania,Inghiterra,Svezia,Russia,Spagniaなど全て-aで終わり女性形の国である。アジアも、Cina, India, Corea,Mongolia,Indonesiaなど-aで終わる女性形の国は続く。Filippineは複数形で女性形である。さて、男性形の名前の国を挙げてみよう。アジアでは、Vietnam, Sri Lankaは男性形。ヨーロッパでは、Belgio, Portogalloが男性形。南米のBrasil, Cile, Peru‘は男性形。Egittoも男性形である。Gli Stati Uniti(アメリカ合衆国)も男性形であるが、これはStatoを使っているからで、Americaなら女性形である。これから書くことは推論に過ぎないが、まず国として認めた国名は全て-aで終わるようにしたのではないかという事がまず推論出来る。従いaで終わっている国は問題なく女性形である(Sri Lankaを除くが)。日本はイタリア語に現れたときに、島とか場所(地方)としての認識しかなかったのだろう。他の国を見ると、Portogalloは、「雄鶏の港」の意味で、国との認識はない。Egittoはもともと Arabia国の一部で20世紀に成立した国である。Belgioも19世紀に独立した国でもともとはオランダの一部。Brasilは1500年以降にポルトガル人が入植し、この国で蘇芳に似た木を見つけた。それで蘇芳(=Brasil)という名前を付けた。つまり、もともとは木の名前である。それぞれ、つけた名前が男性形だったので国名が男性形になったが、もともとは場所とか、植物の名前だったのである。日本はgiapponeという場所との認識から男性形になったのではないだろうか。giapponaと命名しても良かったのかも知れないが、イタリア語には語感からか語尾が-onaという単語がない(多分)。stazione(駅)、stagione(季節)、salone(居間)、giaccone(ブルゾン)、pantalone(パンタロン)などを見ても、-oneである。従い、残念ながらgiapponeとなり、男性形になった。イタリア人に何故日本は男性形か聞くと、日本は男性的な国だからだろう、などと言ってくれるので、男性形であることも捨てたものではないかも知れない。

 

ああそうなんだイタリア語 11 quarantena

コロナ禍で検疫隔離が問題になっている。検疫のことは英語で、quarantineというが、見ればわかる通りこの中には40という数字が入っている。イタリア語のquarantaである。イタリア語で検疫隔離のことはquarantenaといい、40日間隔離したことに基づく。
「読んで楽しいイタリア語の話」を出版したころ(2016年)は、Pandemia の問題もなかったので、実際に検疫隔離が義務付けられていたのは動物くらいで、筆者がイタリアから愛犬を連れて帰って来た時には、愛犬には2週間の検疫隔離期間があった。体はでかいくせに臆病な愛犬は検疫隔離期間にあまり食事も口にせず大分痩せて釈放となった。ただ、日本は短い方で、欧州では当時は一般に犬には30日の検疫が必要で特に英国は厳しいと聞いていた。
日本では、昨年あたりは成田に帰国した日本人は強制的にホテルで隔離期間を過ごすことになっていたようだが、今は自主隔離ということで、一旦我が家に帰った後、外出を控える(しない)などが求められている。私の知り合いが昨年、ある感染者数が日本で少ない県のひとつから法事で東京へ来た。彼は一泊もしないで日帰りしたのだが、それでも家族から2週間自宅内監禁されたそうである。この県の人から見れば、東京は感染者がうじゃうじゃいると見られていたらしい。最近は、ワクチン接種が進み、ワクチン接種者は3日間の自主隔離などと、緩和策が取られてきているようだが、果たしてうまく行くのだろうか。これを書いている今、2021年11月初は確かに感染者が減少している時ではあるのだが、、、。隔離期間が違ったら、40日でなかったら、言葉(quarantena)も変わっていたのだろう。