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【忘れられないイタリア語の話 】
1.trucco: 私が面白いと思うイタリア語のひとつに“trucco(トゥルッコ)”がある。これはお化粧のことを言う。しかし、もうひとつの意味はトリックである。英語ではメークアップ(Make up=より良く見せる)などとうまく言いくるめようとしているが、イタリア語では、あれはずばりトリックだと言っているわけだ。ちなみに辞書を引くと、トリック以外にペテンとかいんちきとも書いてある。こうなると、メークアップに騙されて結婚したが、化粧を落とした顔をみてこれはペテンだと歯軋りすることはイタリアではないことになる。もともと、ペテンだと言っているわけだから騙された貴方が悪いのよということになる。最近は電車の中でお化粧に忙しい女性を見るたびに、トリックのネタをこんなところでバラしていいのかなどと思っている。
trucco: 化粧、メーキャップ、トリック、手品師の仕掛け、ぺてん、いんちき、八百長試合
truccarsi: メーキャップする、化粧する、装う
truccare: (人に)メーキャップする、(不法に)中味を変える、いんちきする、ごまかす
Lei si sta facendo il trucco pesante. 彼女は厚化粧をしている
2.nero di seppia :「セピア色」と「素寒貧の空回り」:セピア色とは“seppia(セッピア)”から来た言葉で、これはイタリア語でイカのことを言う。イカの墨の色は見た目には黒いが、それで紙に文字や絵を書くと色あせた暗褐色の色になる。これを日本でえはセピア色といい、わびやさびを尊ぶ日本人が好む色でもある。古い白黒写真が色あせてこのセピア色になると、時代を感じさせてなんとも言えない雰囲気を醸し出す。イカ墨のことはnero
di seppiaというが、後半のseppiaだけとって「セピア」というようだ。
また、イタリアへ良く行く人の中にレストランで「素寒貧の空回り」といって注文する人がいる。最初は何を言っているのかと思ったが、大体これで通じるようだ。出てくるものはscampi
e calamari (スカンピ エ カラマーリ)であり、scampiは小エビのことで、calamariはヤリイカのことをいう。これは正確には、fritti
degli scampi e i calamari(エビとイカの揚げたもの)という。うまく言うものだと感心してしまうが、こう言う風に覚えると忘れない。昔中国へ初めて行ったときに、タクシーにちょっと待ってくれと言うときに、「ちんとんしゃん」と言えば良いと言われて、そのまま言ったら通じたのと同じだ。(中国語は専門でないので説明は省く)
seppia : イカ、コウイカ、モンゴウイカ、セピア色
scampo : 小エビ、シュリンプ、アカザエビ
calamaro : ヤリイカ、(目の下の)くま
3.chiacchierare : 最初にこの言葉を目にした人は、舌がからまって良く読めない。キアッキエラーレと読む。この動詞を私は「キャッキャッと言う」と訳している。辞書には、おしゃべりする、雑談する、うわさをするなどと書いてあるが、どうもこの「キャッキャッ言う」の方が合っているような気がしてならない。言語の成立ちは全く別でもイタリア語と日本語で同じような言葉を発見すると何だか嬉しくなる。日本語のキャッキャッというのは擬音語であるが、chiacchierareも元々は話し声のけたたましさから出来たのではないかと思っている。これは動詞として、そのまま使えるが、名詞chiaccheraを使って、fare
due(quattro) chiacchere と使う。due とかquattroはイタリア語では、「少し」と言う意味です。尚、北イタリアにはchiacchiereというお菓子があるが、恐らくおしゃべりと無関係ではあるまい。
4.tartufo: “tartufo(タルトゥーフォ)”とはトリュフ(日本語ではフランス松露またはセイヨウショウロというらしいが、返って分らない)のことである。このきのこは土の中に生息し、フランスでは豚が見つけると言われているが、イタリアでは犬が見つける。cane
da tartufoという犬がいてトリュフを探す犬のことを言う。さて、実はこのtartufoという単語は、「犬の鼻」の意味でもある。これはその形が犬の鼻に似ているからなのか、犬が鼻でtartufoを探し当てるからなのか、恐らく前者だと思うが。しかしもし「犬の鼻」の意味が先でtartufoがそれに似ていることからそういう名前になったとしたら面白い話しだと思うのだが。tartufoにはtartufo
bianco とtartufo neroがあり、biancoの方が高い。イタリアの中北部ならどこでも採れるが、ピエモンテ州のAlba辺りが産地として有名。毎年秋にはTartufo祭りがあり、市場が開かれる。大きいtartufo
biancoは驚くほど高い。
5.rombo:ロンボとはひし形のことをいう。同時にこれは魚のヒラメの意味もある。イタリア語ではこういった形の呼称がそのものを指すという表現に時々お目にかかる。ヒラメの形がひし形だから、こういうのであるが、ヒラメが先なのかひし形が先なのか気になるところだ。日本語でも「ひし形」というのは、菱の形をしているからひし形というのではないか。尚、シタビラメはsogliola(ソリオラ)というが、これは辞書によればカレイ目ウシノシタ科の魚だそうで、ヒラメ(カレイ目ヒラメ科)とは違うらしい。ヒラメは体長80cmまたはそれ以上になる大きい魚だ。また、romboは繊維用語でアーガイル模様の意味で使うこともある。アーガイルとはスコットランドの州名であり、そこでもともと作られたセーターのひし形、またはダイヤモンド形の模様のことをアーガイル柄または単にアーガイルというが、イタリア語ではこれをromboと呼ぶ。
6.mille, cento e nano : ミリメーターとかセンチメーターと言えば1000分の一メーターのこととか、100分の一メーターのことだとわかっているが、イタリア語で1000とか100という数字はこの事を思えば良い。もともとはラテン語系の言葉だからmillimetroのmille が千を意味し、centimetroのcentoが百を意味することが分るであろう。milligramma(ミリグラム)で思い出しても、お金の単位のセント(百分の一ドル)で思い出しても良い。mille は千、centoは百を意味する。さて、昨今は数字の単位が増えてナノメートルとか、ナノ秒とか10億分の一を表す言葉も良く日本では使われるようになった。これはラテン語から来たものであるが、ごく小さいことを表す。それでイタリア語でnano(ナーノ)は小人のことを言う。白雪姫と七人の小人達(Biancaneve e i sette nani)
勿論この表現は多くの英語にも見られる。Millenium, cent(お金の単位),decade(10年:decaは10の意味 )
7.magro :「マグロ」って言っても通じるのは、日本の漁船が地中海まで出かけてマグロを捕獲しているから。イタリアの南の漁港ではtonno(イタリア語の鮪=トンノ)のことを、マグロで通じる。しかし、これはもともとイタリア語にmagro(マーグロ)という言葉があるからであって、彼らはその言葉を鮪に当てはめているのだろう。magroは細い、痩せているという意味だから大きい鮪とは全く正反対の言葉になる。Tonno
non è magro, ma si dice MAGRO(o MAGURO) in giapponese. (鮪は痩せてはいないが、日本語では鮪のことを「痩せている」という)。だからこの言葉はイタリア人には覚え易い。magro
の反対はgrasso という。これは「脂肪」の意味で、そのまま太っているという意味にもなる。Tonno è grasso, ma si dice magro in giapponese. (鮪は太っているが、日本語では「痩せている」と言う)、の方が面白い。
8.spaghetti all’arrabbiata というとご存知の方も多いだろう。しかし、このアラビアータというのを中近東のアラビアの事だと思っている人がいる。All’arrabbiataというのは香辛料を効かせた、「辛い」という意味だから、どうもアラビア方面は辛いものを食べそうだからとのイメージらしい。このスペルをご覧になれば分るように、Arabiaではなく、arrabbiataとrもbもダブっている。この言葉は、怒るという言葉の過去分詞形で、怒った、怒濤天を突いたというくらい、辛いのだと言う意味で使われている。この言葉を使って、「私はおこった」は、Io mi sono arrabbiato(a). と言う(語尾のaは女性用語)。
9.ビリキーノ(birichino)いかにもそれらしい名前である。 birichinoとは腕白小僧のこと。成績も悪いがいたずらが好きでと言う感じが言葉に出ているではありませんか。なにせ「ビリ」の
キーノですから。イタリアの小話でよく使われる子供の名前が Pierino(ピエリーノ) 。これは、ビリキーノの代名詞として使われる。日本語でいうなら、悪戯っ子、悪童、落語の小話なら「与太郎」というところか。Pierino
va a scuola.(ピエリーノが学校へ行きました。そしてーーー)と言う風に小話が始まる。私の好きな小話をひとつ。「先生がピエリーノに言いました。“ピエリーノ、今日は授業中にお喋りが過ぎたぞ。明日お母さんと一緒にここに来なさい!”“先生、でもママは僕よりもお喋りだよ!”」
10.furbone(フルボーネ)、salone(サローネ)、padrone(パドローネ)などイタリア語には~オーネで終わる言葉が良く見られます。イタリア語には接尾辞と言うものがあって、イメージとして大きい、可愛い、小さい、汚いなどと言う意味を伴います。そして、この-oneは大きい事を意味します。最初のfurboneはfurbo(ずるい人)を、「大変ずるい奴」だと大げさに表現する時に使います。saloneは「大きい部屋」(sala=部屋)の意味。日本語でサロンというのはフランス語ですが、saloneから来ていますから普通の部屋よりは大きい部屋のことを言いますね。padroneは大きい父親(padre=父親)ですが、この場合は「家主とか地主、主人、飼い主、経営者、親方、支配者など」を表します。buffo(ブッフォ)というと、喜劇役者や喜劇の(形容詞)の意味ですがこれをbuffone(ブッフォーネ)というと、道化師のことです。オペラの好きな人なら、リゴレットの中のマントバ公爵が「道化師めが!」と言ってこの言葉を使う場面を思い出されるかも知れません。他にもgambero(ガンベロ)は海老ですが、車海老のことをgamberone(ガンベローネ)と言いますから、この言葉を聞くと妙に日本的に響いて、「ん、頑張らなくちゃ」と思ってしまいます。大きいの反対で小さいや可愛いことを表す接尾辞はーino(イーノ)をつけます。signora(シニョーラ=奥さん)に-inoをつけた形がsignorina(シニョリーナ=お嬢さん)だと言ったら分り易いでしょう。前述のpadreに-inoをつけると、これはpadrino(パドリーノ)となり、「名づけ親」の意味になる。これは、イタリア語の「ゴッドファーザー」のことで、同映画のイタリア語のタイトルは勿論「il padrino」(ilは冠詞)である。
11.Tomba la bomba(トンバラボンバ):イタリアのアルペンスキーの英雄アルベルトトンバのことをイタリでは愛情を込めて、このように呼ぶ。あの筋肉質でスキー選手としては大変体格が良いトンバのスラロームがまるでbomba(爆弾)のようだと言うことから、「爆弾トンバ」と言う愛称が生まれた。尚、tomba は「墓」の意味。Tomba とbombaが韻を踏んでいること、お墓と爆弾という名詞を並べたこと、など大変詩的な表現ではないか。実際に彼のスラロームは爆弾を抱えて墓に向かって滑っていくような大迫力であった。引退するまでにワールドカップ50勝と言う記録を重ねたイタリアの国民的英雄である。「トンバラボンバ!」
12.carpaccio(カルパッチョ):現在carpaccioと言うのは、肉や魚の刺身料理として日本でもこの名前が使われている。だからあえてここに取り上げる必要はないのだが、carpaccioというと他の事をも考えてしまう。-accioと言うのは、先の章に述べた接尾辞のひとつで「軽蔑」や「悪いもの」を意味する言葉なのです。例えば、vitaccia (ヴィタッチャ)といえばvita(生活、人生)への軽蔑語で、「ひどい人生」「苦しい生活」を意味する。tempaccio(テンパッチョ)は悪天候(*tempo=天気)であり、Accidentaccio! は間投詞accidenti! (クソッ!、ちくしょう!)を更に大げさに表現した言い方になる。だから、carpaccioというと、どうも何か辛いものの様な気がしてしまう。尚、carpaccio
は画家の名前から取ったといわれているが、画家がそういった料理を好きだったからではないようだ。たまたまオリジナルのcarpaccio(これは肉の薄切りにマヨネーズを掛けたもので、赤と白のイメージがあった)が、この画家が好む色合いと似ていた為だとも言われる。時代は少し後だが16-17世紀の画家にCaravaggio
という有名な画家がいて、このCaravaggioとCarpaccioの名前が似ていて良く間違う人が多い。生肉(刺身)の方はcarpaccio
です。
13.Biancaneve: イタリアのFirenzeにいた頃、下宿のおばさんとは家族みたいな付き合いをしていた。ある日、おばさんに頼まれて子供のAlessandroを映画につれていった。映画の間中サンドロ(Alessandroの愛称)は私の膝の上で飛び跳ねて、ディズニーの歌を歌っていた。この映画のタイトルがBiancaneve(ビアンカネーベ)。白い雪だ。日本では「白雪姫」。しかしイタリア語のタイトルには姫と言う言葉がない。そういえば、英語の現題でもSnow Whiteである。姫などと言うのは、日本で勝手に付けた名前だと言うことが分った。要するに、原題は「白い雪」なのだ。これを誰かが姫をつけたのだと言うことに気付く。だから、最初にこの童話に名前を付けた人が、「白雪ちゃん」だったり、「白い雪の少女」「雪の白子」だったりした可能性もあるのだ。では、赤頭巾ちゃんはどうなんだろう。Cappuccetto rosso(カップッチェット ロッソ)と言うのがそうなる。Cappuccettoはcappuccio(帽子、頭巾)に-ettoという縮小接尾辞が付いた言葉だ。これも「赤い頭巾」と言っているだけだから、「ちゃん」は日本でつけたもの。「赤頭巾」でも良かったわけだ。ちなみに、cappuccioに-inoをつけたものがcappuccino(カップッチーノ)と言う飲み物となる。これは、コーヒーのうわずみにミルクをたらしてふんわりさせた形が、僧侶が被る帽子=カップッチーノに形が似ていることによる。親指姫はどうだろう? これは、Mignolina(ミニョリーナ)となる。Mignoloは小指のことで、小さい接尾辞-inoを繋げてmignolinaとなったもの。これも実は、小指のように小さいと言う意味で、親指ではない。アレッ、では原題はどうなんだろう? いずれにしろ、「姫」なんて言葉はどこにも無い。
14.cravatta(クラバッタ):これはネクタイのことである。「くたばった」の連想でこの言葉を思い出す。友人から聞いた小話をひとつ。砂漠でひとり、水も飲まず何も食わず3日間さまよい歩いた。もうくたばりかけた頃に、前方に人がいた。「水をくれ!」というが、彼は砂漠の真ん中のcravatta売りで、ネクタイしかもっていない。「そんなものはいらない!」と言って、先へ進む。また1日経って、前方に人が。「水をくれ!」。しかし、彼もcravatta売りで、水はおろか食べるものも何も持っていない。「ネクタイなんか要らない、水をくれ!」もうくたばるだけだ。更に一日が経過。もう動く気力も無い。「もう駄目だ!」と思いかけたときに、何と目の前に高級なレストランが見える。「やった!これでやっと、水も飲める。食事も出来る!」と喜んで、レストランに入ろうとしたら、入り口にいた係りが言う。「ネクタイ着用でない方は入れません!」 これでcravattaは覚えたでしょう。クラバッタですよ、くたばったではありません。
15.veloce, pronto :日本で見かけるイタリア語を覚えよう。cima (チーマ)。日本ではシーマと呼ばせている、高級車の名前。cimaは山の頂、頂上のこと。車の頂点にあるという意味か。domani(ドマーニ)。これも車の名前にある。明日を意味することはご存知ですね。明日はあっても昨日ieri(イエーリ)はイメージとして難しいのだろうか。veloce(ベローチェ)。これはコーヒーショップの名前に使われている。そしてpronto(プロント)。これもコーヒーショップで見かける。veloceは速いという意味、prontoはすばやいと言う意味。そしてespresso(エスプレッソ)と言う名前もコーヒーショップの名前にあり(コーヒーそのままの名前でもあるが)これも速いと言う意味。どうも、コーヒーショップは速さを売り物にしているかのようだ。であれば、これよりももっとイメージ的に速いと言う名前がありますよ。subito(スービト)「ただいま!」「いますぐ!」というイメージですね。どこかで、次に使うかも知れませんね。
16.tesoro(テゾーロ)とは、宝物のことである。イタリアではこの言葉は自分の大事な人を呼ぶときに使われる。恋人に、妻に、夫に、子供に。「私の宝物」ということだから、意味は分るが、日本人はこう言う言葉が絶対に出てこないから、イタリアでこう言う言葉が乱発されるのに驚くかもしれない。しかし、Mio tesoro! と言われたからって、恋人のように愛しいと思われているかと考えるのは早計かもしれない。本当に私の宝(金庫)=金づる、だということだけかも知れない。
17.attaccapanni: 面白いと思うイタリア語のひとつに、attaccapanni(アッタッカパンニ)がある。これは、コート掛けや帽子掛けのこと。日本ではあまりお目にかからないので使うことがあまり無いかも知れないが、イタリアでは事務所の入り口、レストランの入り口またはコーナーなどに見かける。Attaccare が掛けるとか結ぶとか言う意味で、panniは衣服のことだから衣服掛けと言う意味の合成語である。この言葉を聞くと何となくホッとするのだ。アッタッカの響きが「暖かい」の響きで聞こえるからだろう。
18.accappatoio(アッカッパトイオ):前のattaccapanniと似ていてまごつきそうだが、これはバスローブの意味。これも面白い響きのある言葉としてここに記しておきたい。イタリアのプールへ行くときに絶対必要なものがある。それは、このaccappatoioと水泳帽(cuffia)である。cuffia
がないと、ジム内のプールや公共のプールには入れてもらえない。accappatoioは別になくてもいいが、イタリア人は殆ど皆といっていいほど、これをもってプールへ行く。
19.ombelico(オンベリーコ):これもユーモラスな響きがある言葉である。意味は「臍(へそ)」。ombelico del mondo は「世界の臍」と言う意味になるが、この文句は西洋世界では良く聞く。そもそも世界の臍というのは、ギリシア神話に基づく言葉だそうだ。ゼウス神がDelfiを世界の中心と定め、そこをギリシア語で世界の臍と名付けた。しかしローマ帝国時代もこの臍と言う言葉を使っている。ローマの遺跡に“Umbilicus
Urbis Romae”と記されたところがある。これはラテン語でローマの臍であるが、当時のローマが世界の代名詞であった事から言えば、この言葉は世界の臍を意味する。イタリアではombelico
del mondoの名前を使った団体や施設を見かける。イタリアが、いや自分の町が世界の臍だと信じて疑わない人もいる。Ombelico del
mondo はJovanottiと言う歌手によって歌にも歌われ大変ヒットしたので、イタリア人ならこの言葉は知っている。歌詞はこんな感じだ。「ヘイ、これが世界の臍だ。そこではちょっと変った顔をした可愛い娘に出会う。無邪気で、真っ黒な肌をして、ダイヤモンドのようなエメラルド色の目をしている。千年紀のような、エキゾチックは顔をした、そうこれが世界の臍だ。僕達はここでもう踊っている。オンベリーコデルモンド!」。映画「ライフイズビューティフル」は勿論イタリア映画だが、Guidoが小学校でイタリア人の優秀さを示す場面で、このombelicoが出てくるのを思い出す方もいらっしゃることだろう。
20.Tedesco(テデスコ):これも発音が変っていて面白い言葉だが、他の意味でも興味深い言葉でもある。意味は「ドイツ語」または「ドイツ人」。普通の国と国民(又は言語)の関係は、Italia(イターリア)がitaliano(イタリアーノ)、Francia(フランチャ「フランス」)がfrancese(フランチェーゼ)、Giappone(ジャッポーネ「日本」)がgiapponese(ジャッポネーゼ)の様に国名から国語(又は国民)を連想できるものが殆どである。一方、ドイツのことはGermania(ジェルマーニア)というのに、ドイツ人はtedescoと全く異なるのである。Germanico(ジェルマーニコ)ではいけないのか? 実は、germanicoには「ドイツの」「ドイツ人の」という形容詞の意味はあるが、ドイツ語やドイツ人を表す名詞としては使わない。tedesco とは、ドイツが現在の国の形をしていなかった時代に庶民の間で話されていた言葉から派生した言葉である。(当時公用語はラテン語であったが、一般の民衆はゲルマン族の言葉で「国民の言葉」と呼ばれる言語を話していたという)。この国民の言葉がtedescoで、のちにはドイツ人の言葉となり、現在ではドイツ語を意味することとなった。尚、Germania は現在のドイツ連邦共和国を指すと共に、歴史上のゲルマニアという国を指す意味でも使われる。 Lingue germaniche と言えばゲルマン語を意味する。
21.campione(カンピオーネ):「干ぴょうネ」と言うふうに聞こえるこのユーモラスな言葉はチャンピオンのことである。Campione del mondoは勿論世界チャンピオンのこと。人はチャンピオンが好きである。日曜日に近くのサッカー競技場へ行けば必ず子供たちのサッカーの試合が行われている。大人が必ず付き添っていて子供たちを応援しているが、勝つとすぐに「カンピオーネ!」。campioneにはもうひとつ意味があり、それはサンプルという意味。イタリア人で英語があまり得意でない人と商談をしていると、champion
をいつ送るかとか、championはいくらだとかいう言葉が良く出てくる。勿論彼らはcampione から連想して、サンプルのことをいっているのだ。
22.scivolare(シヴォラーレ):これもまたユニークな響きがある言葉。「今日もまた部長に絞られて」という様に覚えれば良い。意味は「滑る」。がちがちに凍った雪の上を歩いていて滑って転んだときに使う。また、転ばなくてもかっこよくアイスの上を滑る場合でもこの言葉が使えます。尚、頭のsci だけをとると、これは「スキー」の意味となる。
23.socio(ソーチョ) とmembro(メンブロ) :socioというのはsocio-(社会の)という意味の言葉のそれそのままだが、「会員」や「パートナー」のことをいう。sociale が「社会の、社会的な、ソーシャル」、societàが「会社」を意味する言葉である。クラブのメンバーのことも、socioを使う。それでは、英語からの発想でmembro と言う言葉は何なのか? これは、国会のメンバーと言う意味で「国会議員」など名誉的な会員にのみ使用される言葉であり、普段のゴルフやテニスクラブのメンバーなどでは使わない。membroは他に「四肢、手足」の意味があり、これから派生して医学の専門用語で「陰茎」を意味するので、使わない方が無難である。
24.boccia(ボッチャ):意味は知らなくても分る言葉というものがある。これなどはまさにそうだろう。ボッチャ。車の衝突のことをいう。本来言葉というものはそういう状況、情景が活字化したのではないかと思うのがこの言葉。言葉のニュアンスからではあまり強く当てたという感じではないが、とにかくぶつかったらbocciaである。「ボッチャッた」なんて日本語でもそのまま使えそうな感じがするではないか。イタリアにはBOCCIEというボーリングのような遊びがあり、bocciare(動詞)は自分の玉を相手の玉にあてると言う意味から、車の衝突を意味する。またbocciareには「試験に落とす」という意味もあり、bocciatoと過去分詞にすると「試験に落ちた」と言う意味でもある。ボッチャート「試験に落ちた」、これもなんとなく、そんな気がするから言葉は不思議だ。
26.Monaco(モナコ):モナコというとたいていの人はモナコ公国の事だと思う。それは間違ってはいないのだがモナコ公国のことは正式には、Principato
di Monacoという。Monacoは一般にはドイツのミュンヘンの事を指す事の方が多い。ミュンヘンのことも正しくはMonaco di Baviera「バイエルンのモナコ」と言って紛らわしい時には区別をする。日本の地名でも、~島や、~津、~洲とか言えば、今はそうでなくても元、島であったり港であったり三角州だあったりということが推測できる。英語やドイツ語の原文でも同じことだが、イタリア語で地名を読んで見る。たとえば、borgoとは大きな村のことである。Amburgo(ハンブルグ),
Strasburgo, Salisburgo, Edimburgo(エディンバラ)などは~村であり、forteは要塞だから、Francoforte(フランクフルト)は要塞だったことが分かる。
27.omaggio オマッジョ は無料提供のこと。商品の付録などでつけられるもののことも言う。もともと敬意とか贈与とかいう意味。似た言葉にomaccioがあるが、これはuomo(男)の蔑称で大柄な男、大柄な女のことを指す場合もある。スペイン語にマッチョという言葉があるが、これに相当するものがイタリア語のomaccioのようだが、少し意味合いは違うようだ。
28.zingaro(ジンガーロ)「ジプシー」, zensero(ゼンゼーロ)「しょうが」, zoccolo(ツオッコロ)「木靴、ひづめ」 などzから始まる言葉は変った音を感じる。zanzara(ザンザーラ)は「蚊」、zecca(ゼッカ)は「ダニ」、zombi(ゾンビ)は「ソンビ(蛇神)」などあまり印象の良くない物を表す言葉もzから始まる語に多い。万物はzero(ゼーロ)「零」から始まったとも言う。何しろ、zから始まる言葉はアルファベットの最後だからなのか、響きが変っていると思うのは私だけだろうか。
29. quarantena(クアランテーナ): これは入国するときに見かける、「検疫所」のこと。もとは「隔離」の意味で、in quarantena といえば隔離されることを意味する。この言葉は勿論quaranta(40)から来たもので、quarantinaとは、約40の意味。これは船が入港するときに検疫期間が40日だったことに由来する。英語では、本来のquarantenaではなく、quarantinaが変化してquarantineとなった。
30.sindaco : 日本語のような響きを持つイタリア語をもうひとつ上げよう。sindaco(シンダコ)、前にアクセントがあるので、これはどうしても「死んだ子」に聞こえる。あまり良い響きではないが、これはある日本人の方が変っている単語だと呟いたのが、私の耳に入ったので記憶している。意味は、「市長」「村長」など。語源はギリシア語syn+dike
正義を守るもの。英語のsyndicateはここから。なお、イタリア語ではsindacato(労働組合の意)。
31.intervista と colloquio : intervista はインタビューのことで、新聞やテレビでのインタビューはintervistaを使える。英語では、就職の面接もこのinterviewを使えるが、イタリア語では就職面接はcolloquioを使う。これは前述のcampione=champion & sampleの反対になるが(intervista & colloquio = interview)一つの言葉が同じ意味を持つとは限らない例として上げておきます。
32.-oso と -ous :これは、イタリア語で~oso と終わる単語が英語になると -ousになるという例です。全てではないでしょうが、かなり多くの単語がこの変化で理解出来ます。
generoso(generous 寛容な)、famoso(famous)、prezioso(precious)、curioso(curious)、religioso(religious)、ambizioso(ambitious 野心のある)、laborioso(laborious 労力を要する)など。
これはひとつの例だが、下記のような関係も見られるので覚えておけばイタリア語から英語の意味が予測できる。
-zione と -tion : situazione(situation)、nazione(nation)、posizione(position)、corruzione(corruption)、costruzione(oonstruction)、dimostrazione(demonstration)、ammirazione(admiration)
*必ずしも語尾の変化だけではないので注意!
-za と -ce : prudenza(prudence)、obbedienza(obedience)、conscienza(conscience)、scienza(science)
-ta` と -ty : citta`(city) 、 universita`(university)、 elettricita`(electricity)、crudelta`(cruelty)
33.cane(カーネ):日本語の響きだとカネだが、これは「犬」の意味。イタリアにも犬好きは多く犬をあちこちで見かけるのだが、cane という言葉はあまり良い意味では使われないようだ。例えば、freddo cane「ものすごく寒い」, vita da cane「極貧の生活」、figlio di un cane(=犬の息子)=「人でなし」、mestiere da cani「嫌な仕事」、roba da cane 「粗悪品」、Mondo cane !「なんてひどい世の中だ!」などである。
また、犬の種類もbarbone(バルボーネ)=大ひげ⇒「プードル」、bassotto(バソット)=かなり背が低い事⇒「ダックスフンド」、cane lupo(カーネルーポ)=狼犬⇒シェパードなどその外見的な特徴から名前がつけられているものもあるので、一緒に覚えてみよう。
34. scatenato (スカテナート):catena とは鎖のこと。catenareはその動詞で「鎖をかける、鎖につなぐ」の意味である(あまり使われない)。イタリア語は単語の前にsをつけて反対の意味を表すことがある。例えば、coprire「カバーする」「隠す」とscoprire「顕わにする」「(秘密など)暴く」「発見する」やqualificato「資格のある」とsqualificato「失格の」、fortunato「幸運な」とsfortunato「不運な」など。ちょっと意味が変るが、vendita「販売」とsvendita「大安売り、バーゲンセール」、conto「勘定」とsconto「割引」などもこの部類であろう。さて、catenareが上記の意味だとすると、scatenareは「鎖をはずす」という意味になり、その過去分詞は当然「鎖をはずした」という意味になる。ところが、この単語の意味はそれから派生して、鎖をはずして「手がつけられない」「正気の沙汰でない」というところまで意味が飛躍する。日本語なら羽目(馬銜)をはずすといったところか。馬銜(ハメ=馬のくつわ)であれば表現としては似ているのではないだろうか。
尚、英語ではこの s に当たるものが dis になることが多いようだ。 cover - discover, dontinue - discontinue,
count-discount. 但し、fortunate - unfortunate のようにイタリア語とは同調しないものも多い。面白いのは、sale
はそのままでバーゲンの意味にもなっている。
35:padre(パードレ):父親または神父、神などの意味。この言葉で驚いたのは、昔日本でキリスト教の神父もしくは、キリスト教徒のことを、キリシタン伴天連(バテレン)といっていたのは、PADREから来たということだ。パードレが、パーデレ→パーデレン→パデレン→バテレンとなったと思えばまぁ解らないでもないが。ただ、この場合のpadreはイタリア語と同じだが、ポルトガル語だったのだろう。
36.emorroidi (エモッロイディ):「痔」のこと。友人のイタリア人にイタリアには良い痔の薬があるとの話を聞いて、是非その薬をくれと頼んだところ、作ってくれた。これはシチリアに伝わる療法だそうで、やけに塩のいい匂いがすると思ったら、何と貝の殻を粉々に砕いたものだ。かなり細かい粒状にしたものを、患部に当てると効くという。匂いを嗅ぐ限りなんだか効きそうな気もするが、是非試してみてはいかが。関係のない人はここは跳ばしても良いが、ちょっとでも関係のある人は、せっかくだからこの単語を覚えておこう。
37.mancia(マンチャ):チップのこと。イタリアのバールには、客が払うチップは従業員共通のものになっていて、個人個人で懐に入れないところもある。そういったバールの中にチップを置くと、店主が大きな声で「MANCIA!」と叫び、籠の中に入れているところがある。そうすると従業員全員が自分にも分け前があると思って喜んでくれる。なかなかいいシステムだと思った。ドンキホーテのことを、ラマンチャの男というが、これは地名で関係はなさそうだ。尚、manciaは
manica(袖)から来た言葉であるが、日本語でもいう袖の下と同じような語源なのだろうか。
38.terremoto(テッレモート) と maremoto(マーレモート):terremotoは地の揺れで「地震」、maremotoは海の揺れで、「津波」のことである。しかし、日本の津波は有名でtunamiで十分通じる。
日本人の名前で、寺本さんが來たら、terramoto(terreが単数になっているだけだから地震の意味になる)となって、地震が来たことになる。他にも日本人特有の名前で、イタリア人が喜ぶのは、東さん(Azuma)。東さんの息子が喘息で病院へ行った。医者が言うには名前が悪いと。イタリア語でアズマは喘息の意味(ただし、スペルはasma). 他に、岡さんも話題にはなる。ocaはガチョウのこと。
39.energia (エネルジーア):英語ではenergyのこと。つまり活力、エネルギー。このコラムの15に日本のコーヒー店の名前には、速いイメージのものが多いと述べているが、イタリアのジーンズを中心としたカジュアルブランドには、energie,
gas, diesel などとエネルギーを主体にした名前が多い。これは一体どういうわけだろうと、以前から気にはなっている。勿論これら以外にもreplay
などもイタリアブランドで全てがエネルギー絡みと言うわけではないが。さて、面白いのはイタリアでgasolio というと、これは軽油(ディーゼル)のことで、ガソリンのことはbenzina(ベンズィーナ)という。給油するときはくれぐれも間違えないように。
40.soprano (ソプラーノ):イタリア語の単語には、男性女性単数複数形が常にあって、日本人の感覚だとその感覚を身につけるのがひとつの勉強である。物の性別はそのもの自体とは関係なく、名詞に対して性別が決められていると覚えておいたほうがよい。しかし、性がある人や動物はどうするのか?となると基本的には、性に合わせるはずだ。figlioは息子、figliaは娘のように。ここまでは良いが、実はあまりそう思わないほうが良いかも知れない。sopranoという単語は、ソプラノ歌手を表し、これはoで終わるので、男性名詞である。しかし、ちょっと待ったんさいと。ソプラノ歌手は女性ではないか。同じくmezzosopranoも男性名詞だが、対象は女性である。どうしてだろう?昔は舞台に上がれるのは男性だけであったので、ソプラノは男性が(castrato)が歌っていたのでは。castratoは16-19世紀の風習だということだから、そうだったのかも知れない。これについては実はまだ確証がないので、得られたときにここに付記することにします。実際には現在では、sopranoやmezzosopranoを女性名詞としても扱います。しかし、もしこんなことにこだわったら、ministro(大臣)、notaio(公証人)、giudice(裁判官)は本人が女性であっても、全て男性名詞として扱うことなども全部昔の風習なんだろうか。一方でspia(スパイ)、guida(ガイド)などは、対象が男性でも女性名詞である。もっとも不可解なのは、persona(人=英語のperson)が女性名詞であること。やはり、そのもの自体の性別とは関係なく決められていると思うのが最もあっていそうである。花はil fiore (男性)だけど、バラはla rosa(女性)だといえばわかりやすいでしょうか。
41.bravura(ブラブーラ):これはどんな意味なのか絶対に興味が湧く単語でしょうね。ぶらぶらしている、のではありません。これは名詞で、意味は器用とか熟練という意味。英語で言えば、skillに当たる。使うときは、La mia bravura e` cucinare. 私は料理がうまい。のように使う。一般的な能力というよりも、熟練に近い。日本語のブラブーラと重なり合うと、どうしても良い意味には取りたくな気もするが、この単語を使うときは日本語は忘れましょう。
42.tiramisu`(ティラミスー):これはご存知のかたも多いかと思いますが、tira-mi-su`という意味である。もちろんお菓子の名前だが、最後のsu`にアクセントをおかないと意味が伝わらない。tirareは引っ張る、miは私を、そしてsu`は上へである。つまり、tiraはtirareの2人称の命令形ゆえ、私を上へ引っ張れ!となる。そういう意味で使っても良いのだが、このお菓子の名前に含まれている意味は勿論違います。失恋をした女性が、私を元気づけて、誰か!と、こう言っている場面を想像しておいたほうがよい。つまり、tiramisu`は、「誰か私を元気にしてくれる人がいないかな、どうか誘って」という、誘いのお菓子言葉なのですよ。
43.ninnananna(ニンナナンナ):なんという優しい響きの言葉だろう。そう、それもそのはずこれは、子守唄のことを言います。nannaは幼児語で「おねんね」のことをいう。ninnaも同じような意味だ。従いそうすると、ネンネネンネと言っているようなもので、なんとよく似ている。日本で使われている言葉に、non-no(雑誌の名前)があるが、あれはnonnoと書いたら、おじいちゃんの意味になる。ちなみに、おばあちゃんは、nonnaで、nannaによく似ている。
44.Mangiate, bevete, pagate (マンジャーテ、ベヴェーテ、パガーテ):mangiare「食べる」, bere「飲む」, pagare「支払う」というを三つの動詞を並べた言い方。何が面白いかというと、これはイタリア人が良く使うしゃれなのである。パーティなどで、「さあ食べて下さい、さあ好きなだけ飲んで下さい、そして支払って下さいね」と最後に落ちが入る言い方である。使うと必ず受けるので紹介する。私は日本人向けに、このあとにvolareを付けます。意味はわかりますね。尚、volareの本当の意味は、飛ぶです。ヴォラーレという有名な歌(若い人は知らないかも)があります。1958年のサンレモ音楽祭での優勝曲で、本当のタイトルは
"Nel blu dipinto di blu"
45.reggiseno(レッジセーノ):女性下着の話をしよう。少し恥ずかしいのだが、というのは建前で、実は全くとは言わないが、下記の理由で、あまりそんな気持ちはない。reggisenoはブラジャーのことです。これは、reggere(支える)seno(胸)ということで、「胸支え」というのがその意味である。アジア人は胸が小さいからかどうか、支えという言葉は使わず、胸当て(乳当て)とか、乳押さえとか言っていたようだ。現に英和辞書でbrassiereを引くと、「乳おさえ」と書いてある。日本の着物では支えるというよりも、どう考えても押さえているとしか思えないので、日本では「押さえ」と言うのだろう。以前に下着の仕事で、高名なW社の創業者の方ともお会いしたことがあるし、パリではたまたま一緒に麻雀卓を囲んだこともある。大変豪快な方で教わる事が多かった。W社が中国でreggisenoの生産を始めた時に、その仕事に関わり、毎日reggisenoに埋もれていて、恥ずかしいなどと言ってられなかった。当時(1978年)の中国製のreggisenoは確かに胸当てだった。木綿の布を少し膨らみを持たせる様に縫い合わせただけだったのが懐かしい。イタリア語で最初何というのか分からなかったので、braと言ってみたら、通じない。実はPiemonte州にBraという町があるが、ブラジャーとは関係がないようだ。また、イタリア語ではショーツのことをslip(ズリップ)という。スリップのことは、sottovesteという(果たしてスリップなどいう言葉が今の日本で通用するかどうか分からぬが)。また日本でキャミソールと言うのが何を意味するのかよくわからないが、イタリア語でcamiciola(カミチョーラ)と言えば、女性用の肌着を指す。これは勿論camicia(シャツ、ブラウス)の変形です。尚、ショーツ(下着パンツ)は一般にはmutandeと言って、これは男女用とも同じ。slipというのは、いわゆるパンティに近い。ついでに、パンストはcollant(コラン)と言って、恐らくフランス語であろう。この言葉を使う。イタリア語にはパンストという言葉はない。実はイタリアでは、calze(ストッキングのこと)を履く人が多い。最後に、reggicalzeを上げておきます。reggereはreggisenoでは、支えるでしたね、calzeはストッキング。従いこれは、ガーターベルトのことです。
46.babbonatale(バッボナターレ): babboはお父さんの愛称、nataleはクリスマス。babbonatale(またはbabbo Natale)は、サンタクロースのこと。イタリアでは、サンタクロースとは言わない。サンタと言えば、Santa
Lucia(聖ルチア)が有名なくらいで、クロースさんは知られていない。Nataleとは、誕生日のことで、Nを大文字にしてキリストの誕生日、クリスマスの意味となる。勿論キリストも、Gesu`(ジェズー)と呼び、英語とはちと遠い。英語のオリジナルとは全く違う例を上げると、例えば、Mickey Mouseなどがそうだ。イタリアでは Topolino(トーポリーノ)と呼ぶ。ドナルドダックは、Paperino(パペリーノ)という。topo はネズミ、paperoはガチョウのこと。ちなみに、日本で昔流行ったトッポジージョは、イタリアではTopogigio(トーポジージョ)である。
47.strega(ストレーガ):「魔女」のことである。魔女というのは、女性の魔法使いのことで、昔魔女狩りという恐ろしい歴史がヨーロッパにあったが、これをcaccia
delle stregheという。一方、男の方は日本語で「魔男」とは言わないで、魔法使いという。これは、magoという。Mago di Ozは、オズの魔法使いのこと。magoは手品師や奇術師のことも指す。magoの女性形のmagaが使われることもある。覚えておいて役に立つのは、colpo della strega 直訳すれば、魔女の一撃だがこの意味は、「ぎっくり腰」である。
48.portafoglio(ポルタフォリオ):portareは持っていく、foglioは紙のこと。この言葉は英語のportfolioとなって、書類カバンのことや、有価証券目録などの意味となる。また日本語でポートフォリオというと、投資運用資産の組み合わせ(portfolio
mix)や資産構成分析(portfolio analysis)のことまでも意味するようだ。オリジナル(イタリア語)の方の意味は、「財布」である。portareは英語のホルダーにあたる用語に良く使われるので、覚えておくと便利な言葉である。portacenere(灰皿)、portachiavi(キーホルダー)、portafortuna(お守り)、portabagagli(荷物を持っていくことから、ポーター)、portavoce(メガホン)、portaombrelli(傘立て)など。
49.intimo(インティモ):下着について、もう一度書こう。男性はあまり気づかないが、下着には、肌着とコルセット(整形用下着)があって、これは別物である。肌着のことは、intimoと言い、これは男女兼用。そして女性用の締め付ける下着のことは、coresetteria(コルセッテリーア)と言う。corsetteriaとは、ブラジャー(reggiseno)、ガードル(corsetto)、ボディスーツ(これもcorsetto)、コルセット(busto上半身用))などのように締め付けるモノを言う。補整下着とも言うように、イタリアでは、一般的にはお年寄りか、乳がん等で補正が必要な人が身につけるものである。日本では、ガードルがやけに一般的なので、イタリアにもあるかと思いきや、若い人には縁がないものと知って驚いた。ソフトガードルという種類のものも基本的にはない。日本ももとは、下着はメリヤスとも言って、それ専門のメーカーが作っていたものだが、今は下着もコルセット類も作る業者が多い(とは言っても恐らく下請け)。イタリアの場合は、メーカーが自社デザイン、自社生産、自社ブランド、独自販売なので、下着屋とコルセット屋は、はっきり別れている。もし双方ともやっていれば、どちらかは委託生産であろう。メリヤスというのは、イタリア語のmaglia(編み物、ニット)が語源であって、magliettaはTシャツや肌着の意味でも使われる。日本の業者の依頼で、イタリアでブラジャーや下着の色の調査をしたことがある。イタリアは色に敏感なので、下着もさぞカラフルだろうとの思惑であったが、案に相違してイタリアの肌着は、白と肌色が殆どで、黒が少し混じるくらいであった。これは欧州全般の傾向で、従い、フランスでは日本のカラフルな下着が良く売れたと、フランスで日本の下着を販売していた人に聞いた事がある。下着の色で忘れられないのは、赤い下着。イタリアでは、12月31日の夜(San Silvestro)には、赤い下着を着る習慣がある。皆さんも12月にイタリアへ行ったら、下着売り場を覗いてご覧なさい。たった一晩だけのための下着で,売り場が赤く染まっていますから。
50.striscia(ストリッシャ):これは、ストライプのことである。つまり日本語では、「縞」。una camicia a strisceはストライプ柄のシャツ、 a righe ともいう。righeも同じく線や縞のこと。ここで使うaは前置詞。他に、 a quadri(チェックの)、a fiori(花模様の)、a pois(水玉模様の)などのように使われる。strisce と複数になって、横断歩道の意味もある(正しくは、strisce pedonali). stirisciaの動詞は、strisciareといい、これには、「はう(這う)」と言う意味がある。イタリアのテレビ番組に、striscia la notiziaという人気番組がある。これは、イタリアでの色々な事件を、色々なタイプのリポーター(コミック調のリポーターが多いが、政治問題や社会問題をとても真面目に取り上げるリポーターもいる)が、通常のニュースでは追求しない点をぐいぐい追求していくので、大変面白い番組です。是非一度ご覧になってみたらどうかと思います。ここで、使われているstrisciaは、日本語でどう訳するのか悩むところですが、蛇の様にリポーターが這って問題を追求するというニュアンスを込めた言葉でしょう。匍匐(ほふく)前進、足を引きずりながら歩くような意味でも使います。
51.torre(トッルレ):イタリア語でrの音は必ずしも巻き舌を使う必要はないが、強調するときには巻く。特に、Romaのように最初に使われRの次の母音にアクセントがある場合は、巻き舌を使う。オペラの歌手は、最初のRは必ずと言ってほど、強調した巻き舌で発音する。巻き舌が出来なくて失敗した話をひとつ。Pisaの斜塔のことは、la
torre pendente とか la torre cascanteと言えば、斜塔の意味ですぐわかるのだが、Pisaでは、pendenteなどは使わなくても分かるだろう。と、思ってPisaに着いて早速informationへ行き、torreはどこですかと聞いた。係りが二人いて言うには、E`
fuori, subito a destra.(外へ出てすぐ右だ)。というので、近いのかなと思い、Si puo` andare a piedi?(歩いても行けますか)と聞いた。一人が笑いながら、Se
vuoi, predi un taxi. (もし望むならタクシーでもどうぞ)と言う。Grazie!とお礼を言って、外へでて右へ曲がって、目の前にあるものを見てに気がついた。私のtorreのrrは巻き舌でないので、彼らが何を教えてくれたのかを。informazioniに戻って、彼らの顔を見た途端、にこにこしながら、声をあわせて、Hai fatto? (済んだかい)と聞いてきた。この二人はあくまで真面目で、変な日本人が来て、トイレに行くのに歩いて行けるのかと聞いてきたと思っていたことだろう。そこで事情を説明して彼らがイタリア式に大笑いしたことを覚えている。これは、実際愉快な経験で未だに思い出すと笑ってしまう。さて、rrが続く言葉をいくつか上げておきましょう。巻き舌は、訓練すれば出来るそうです。
terra (大地)terremoto(地震)、ferro(鉄)、porre(おく)、introdurre(導入する)、birra(ビール)、morra(じゃんけん)、serra(温室)、verra`(venireの未来形)など
52. dondolare(ドンドラーレ):愉快な響きのイタリア語を追加しよう。ドンドラーレは、「揺り動かす」の意味である。この揺れ方は、ロッキングチェアや大波の揺れ方で、dondolaと言えば、ロッキングチェアのことを指す。これに対し、地震の揺れはscuotereという動詞を使う。この名詞形はscossaというが、dondolo(dondolareの名詞形)の方が可愛い揺れである。また、dondolaはブランコの意味でも使う。ブランコは正式には、altalenaというが、一般にはdondolaと呼んでいる。似た言葉にgondola(ゴンドーラ)がある。これは、ベニスにあるゴンドラのことで、こちらには動詞形はなさそうだ。尚、ブランコとは何語だろうと思うが、これはポルトガル語のバランソから来ているのではと思う。また、すべり台のことは、scivoloと言う。これも勿論scivolare(滑る)という動詞から来ている。
53. cicala(チカーラ)とzanzara(ザンザーラ):これも日本語のような響きです。cicalaはセミ、zanzaraは蚊です。ちなみに、mosca(モスカ)はハエです。このmoscaはMosca(モスクワ)と同じです。英語でmosquitoと言えば、ハエではなく蚊のことです。mosquitoは発音から言えば、mosqua(モスカ)に小さいという意味の接尾辞-ito(スペイン語、イタリア語でゃ-ino)をつけて、モスキートと名づけたのかと想像出来ますが、ハエの小さいのが蚊になったことになりますね。実は、イタリア語でもmoschinoと言えば、ある種の蚊(ブヨのような小さな蚊の総称)をいいますが、一般的な蚊は、zanzaraを使います。Moschinoはブランド名で有名です。イタリアのcicalaは日本のに比べると、鳴き声が小さいような気がします。また、zanzaraも湿地帯へいけば別ですが、空気が乾燥しているせいか、市内ではそれほど多くなく、夏の戸外での食事を妨げるほどではありません。イタリアで大変気に入ったものに、zanzariera(またはzanzariere)という蚊帳があります。これは、べランダを完全に覆ってしまいますので、蚊を気にしないでベランダで過ごせます。これは、開閉式になっていますので、開けっ放しにすることも出来ます。また、イタリアの蚊と日本の蚊の違いとして、イタリアの蚊は刺されてもすぐに痒くならず、大分経ってまたは翌日に痒くなると言います。虫も大分違うようですね。尚、イソップ物語に「蟻とキリギリス」という話がありますが、イタリアでは「蟻とセミ(formica e cicala」といいます。これは、もともとイソップ(古代ギリシア)物語では「セミ」だったのですが、欧州は北の方へ行けばセミはいませんので、キリギリスに変えられたのだと言われています。イタリアは、ギリシアと同じくセミがいる国なので、原文のまま残っているということ。日本へは、キリギリスへ変えられたものが輸入されて、翻訳されたらしい。この話は、夏の間に寒い冬に備えてせっせと働く蟻と、一方夏は歌ってばかりで何もしなかったセミは冬になって、蓄えも無く凍えてしまうという教訓なのですが、考えてみれば、キリギリスは秋の昆虫ですから、話に無理があるのではと言う気がします。
54.semoforo(セマーフォロ)とrotonda(ロトンダ) :semaforoは信号のこと、rotondaは信号のない交差点、つまりロータリーのことです。semaforo(信号)は日本と同じで赤は止まらなければならないが、イタリアでは右折車は、そのまま進む。車は右側通行で、運転席は基本的に左側にあるのは日本と反対であるが、交差点では基本的に右側優先という考えがあるので、左からくる車に対して、右にある右折車は優先的に進んで行く。最初は赤信号で右折するのは躊躇するがそのうちバス、タクシーはてはパトカーまで右折するのを見て、自信がつく。(但し、道交法的に許されているのかどうかは分からないので注意!)なお、赤はrossoだが、青信号はverdeである。良く見ると、あの色は絶対にbluではなく、やはりverdeである。次に、rodonda. イタリアはかなり渋滞しているイメージがあるが、もし前述の赤信号右折と、このrotondaがなければ、もっと渋滞する事は間違いない。rotondaとは交差点の真ん中に島(isola,普通は小公園)があり、車はその島の周りを回って、右折、直進、左折をする。右側優先なので、右から出てくる車は左を見ないで、rotondaにさっと入ってくる。rotondaに入ったら、次はどこかで右折するだけである。つまりrotondaでは左折はない。左へ曲がるのも、右から大きく回り込んで反対側から右に曲がることになる。車は止まることなく、スムーズに流れていく。尚、大きなrotondaには、信号があることがある。パリの凱旋門は巨大なロータリーだ。うまく運転しないと、右側によれず、ロータリーを何周もするハメになる。日本では、全く車が通ってもいないのに赤信号で待たされる信号が多いが、そこで止められるたびにrotondaが懐かしい。もっと採用すれば良いのにと思うのは私だけ??
55.cacciavite(カッチャヴィーテ):ねじ回し(ドライバー)のこと。cacciareは捕獲する、猟するの意。viteはネジである。つまり、これは、日本語のねじ+回しのような造語の道具で、発想が同じだ。aprire(開ける)を使った言葉には、apribottiglie(
栓抜き=開ける+ビン))や、缶切のapriscatoleがある。tagliare(切る)では、ペンチ(または針金切り)のtagliaferro(切る+鉄)、ペーパーナイフ(紙切り)はtagliacarte(切る+紙)、爪きりのtagliaunghieがある。unghiaは爪。stuzzicare(つつく)を使って、stuzzicadenti(スツッティカデンティ=つつく+歯)といってユーモラスな音は、つまようじだ。schiacciare(押しつぶす)を使って、schiaccianoci(くるみ割り)、noceはくるみ。schiacciamosche(はえ叩き)moscaはハエ。asciugare(乾かす)で、asciugamano(タオル=手ぬぐい)、asciugacapelli(ドライヤー)など。尚、歯ブラシ(歯+brush)は純日本語でどういうのか知らぬが、これはspazzolino(小さいブラシ)といい、歯+磨くとは言わない。48で述べたportare+名詞、17のattaccare(掛ける、付ける)+panni(衣類)も同じ種類の造語だと言える。アッ、大事なものを忘れていました。cavatappi(カーバタッピ) cavareは引き抜く、tappoはコルク栓(tappoはコルク栓に限らず一般のふたのことですが)。そうです、これはワインオープナーのことです。イタリアでは重要ですから、忘れないようにしましょう。
56.paparazzo(パパラッツォ)、pappagallo(パッパガッロ):特にこのふたつは関連はないが、パパという音が珍しいので上げておく、paparazzoはパパラッチのことで、芸能人を追いかけるフリーカメラマンのことを言う。もともとは、映画「甘い生活」の登場するカメラマンの名前から来たもの。pappagalloのgalloは雄鶏のことである。で、pappagalloはオウムの事を言う。人の真似をすることも指す。pappaとは、おかゆのような流動食をさすが、この言葉とは関係がなさそうだ。モーツアルトの歌曲「魔笛」にパパギーノ(またはパパゲーノ)とパパギーナ(パパゲーナ)という、鳥刺しが出てくるが、これはpappagalloから取ったものだと思われる。鳥刺しとは鳥を取って飼育したり売ったりするもののことを言うようだが、大体オペラでは鳥の羽をつけており、鳥そのものに見えるので、本当に鳥刺しなのか疑問だが。
57.fidanzato(フィダンザート):女性はfidanzataである。辞書を引くと、婚約者と書いてある。また fidanzareは婚約させる、fiddanzarsiは婚約するという動詞である。しかし、この名詞に関しては、ボーイフレンド、ガールフレンド、恋人の意味で、婚約者という意味は殆どない。イタリア人同士が使っているとしたら、まず婚約者の意味はないと思って良い。では、婚約者はなんというのか?古い言い方に promesso sposo(promessa sposa)という言い方がある。Alessandro Manzoniの代表作”I Promessi Sposi"でご存知の方も多いだろうが、この言葉は現在では使われないが、意味は「婚約者」である。つまり、これは男女の関係が婚約を前提に、変るような古い考え(?かどうか疑問も残りますが)がすたれていることを表わしているように思う。一般に、男女がそれぞれの恋人を紹介するときに、この言葉を使う。また、la
mia ragazza とか il mio ragazzo という言い方もガールフレンド、ボーイフレンドという言い方で用いるが、これは本人がいないときに使うようだ。本人がいるときに、Lei
e` la mia ragazza. などと言うと、後で一悶着起きるかも知れない。尚、sposo sposaは花婿、花嫁のことである。
58.matrimoniale(マトリモニアーレ):結婚に関しての言葉をもうひとつ。matrimonialeは結婚の、夫婦のと言う意味の形容詞です。matrimonioは結婚、または結婚式のこと。ホテルに泊まる時に、ダブルベッドの部屋を要求するなら、camera matrimonialeという。ダブルベットそのものは、letto
matrimonialeです。一方ツインルームは、camera doppia とか、camera a due lettiといい、一般にダブルルームというのは、ツインルームとなるので、間違えないように。ついでに、新婚旅行のことは luna di mieleという。これは、英語に訳すとそのままハネムーン(=蜜月)である。新婚ほやほやのことも、essere in luna di miele という。
59.seno : 格調高いコラム(そうでもないか?)の品を少し下げることになるかも知れないがお許し願いたい。senoは45項で説明済みだが、胸のことである。この発音は、日本人が一斉に何かをするときに発するあの、「セーノ!」という言葉と同じなので、日本人はあちこちで「オッパーイ」と叫んでいるんだと、実はTwitterにあった。これはなかなか面白い発見で、私も感心したが、じつは同じ様なことがイタリア語にもあるではないか! それは、「カンパーイ」というときにイタリア語で、「CinCin」(チンチン)ということだ。かなりのイタリア人はこのことを知っていて、日本女性の前では、この言葉を使うのを遠慮する。返って、日本人女性の方がどうどうとこの言葉を発することが多いようだ。まあ、子供用語ですからね。さて、Cin
Cinとは、中国語の請請(chingching)から来たものだというが、一説にはイタリアのCinzanoのコマーシャルで Cin Cin Cinzanoという言い方をして広まったともいう。尚、乾杯のもっとも一般的な言い方はSalute!であろう。fare un brindisi は乾杯をするという意味。
60.husky, montgomery, barbour : これらはイタリア語ではない。しかし、ある種の衣料品をこのように呼ぶので、これは知っておいて損はありません。 husky(ハスキー)とは、薄いキルトジャケットのことで、イタリアでは少し寒いときに、上着の上に着るものとして定番。montgomery(モンゴメリー)とは、ダッフルコートのこと。なぜ、Montgomeryというのか、これは第2次世界大戦で、連合軍を率いてシチリアに上陸したイギリスの将軍の名前を取っているそうだ。イタリアに上陸した時にダッフルコートを着ていたのかどうかは定かではない。日本では、マッカーサー元帥が有名だが、イタリアはモンゴメリー将軍ということだ。Barbour(バルボア)とはイギリスのブランド名だと思うが、油性コーティングしたコートのこと。他に、Lodenは、ローデンという生地を使ったコートのこと(オーストリア、スイスなどの山岳地帯でよく着られるコート)。golfは、セーターの事を指す。felpaは、裏毛のことを言うが、一般に知られている言葉としては、フリースのことを指す。また、impermeabileは防水コートのことだが、日本で一般にコートと呼ぶトレンチ(綿製やポリエステル製のもの)コートは、ipermeabileといい、コートのイタリア語であるcappottoは、オーバーコート(ウール中心の厚手のもの)にしか使わない。fuseaux(フゾー)やfoulard(フラー)はもともとフランス語だと思うが、fuseauxはスパッツ(伸び縮みのするパンツ)、foulardはスカーフのことです。
61. cambio (カンビオ):cambioとは、交換の意味。空港や駅の両替所には、cambioと書いてあるので、これは両替の意味もある。一般には、このような意味で使われることが多い言葉ですが、ここではもうひとつの意味を加える。それは、変速機、つまり車のギア、トランスミッションのことを言う。cambio automaticoがオート、cambio manualeがマニュアルである。そして、ポイントはイタリアではcambio automaticoはわずかしかないということ。レンタカーを借りるときに、オートを要求したらなかなか見つからないかも。理由は、色々言われるが、私は基本的にイタリア人は運転が好きで、車をいじることが好きなので、オートでは満足しないからだと思っている。実際のデータはないが、15年ほど前でも1%あるかどうかといわれておった記憶がありますが、今でも5%は越えていないと思われる。オートは体に障害がある人が乗るものだと思われているフシもあるくらい。イタリアへ行って、会話に不足しないようにするなら、サッカーともうひとつはF1の話題を持ち出せばよい、とは私の意見だが、F1を初め車についての話は皆大好きな国民を考えると、やはりオートマチック車に変わることは、まだ当面なさそうな気がする。
62.fazzoletto(ファッゾレット):これはハンカチの意味である。ハンカチは、handkerchiefという英語からきたものだが、これはhandとchiefはchiffion(シフォン)あたりからきたものだろうか。手に持つ柔らかい布地という意味なのだろうか。英語はさておき、イタリア語でfazzolettoという言葉を使うときには注意がいる。イタリアには、ハンカチはない。誰もハンカチなどもっていない。特に男性においては皆無である。fazzol-ettoの"etto"は、小さいものを表わす。etichetta(エチケット)はetica(道徳)から出て、小さな道徳の意味、pacchetto(パケット)はpacco(箱、包み)から出て、小包のこと(パケット通信のパケットも、小さい箱のこと)など、多くの外来語にも通じる。従い、fazzolettoはfazzolo(ネクタイ用生地)の縮小辞である。つまり、恐らくこれは、ネクタイの余った生地のことを指していたものと思われる。従い、余り生地だから、はながみ代わりに、しかも柄が入っているので女性がおしゃれに使っていたのだろう。イタリアではfazzolettoは、はながみ代わりに使う切れ端のことである。日本でいうティッシュなども、fazzoletto
da carta (紙製のハナ拭き布)ということになる。日本のハンカチメーカーの規定によれば、ハンカチとスカーフの境は、一遍の長さにあるようだ。定かではないが、60cmあたりが境になったように記憶している。つまり、日本では大きさだけで分けられており、用途は関係ない。実際に、高価な刺繍やプリント入りのハンカチも多く、ハナをかむどころか額縁に入れて飾るためのものもある。fazzolettoといって思い出すのは、Comoのプリントメーカーとハンカチの話をしていたときに、そこのオーナー(実は高名なテキスタイルデザイナーでもあるが)が、Otelloを思い出すといったこと。そういえば、VerdiのOpera”Otello"の重要な小道具が、ハンカチだ。
63.casino`(カジノ)とcasino(カジーノ):最初のほうは、ノにアクセントがあり、カジノと読む。この意味は、ギャンブルをする場所、カジノのこと。後方は、casaに縮小辞のinoをつけた、言葉で集会所や小屋のことをいう。小さい家は、casinoといわないで、casinaと女性形をとる。さて、casino(カジーノ)の方は、もっと別の意味があって、こちらはイタリアでは常に耳にするが、Che casino!というように使われます。casinoは俗語で、混乱のことをいい、Che casino!は、「なんとまあ!」という驚きの言葉。道が渋滞しているような状態のときに必ず発せられる言葉である。例えば、空港や駅からタクシーに乗って、道が渋滞にあったとすると、タクシーの運転手はまず間違いなく、この言葉を発しますから、一度試してみてください。さて、アクセント位置で意味が全く変ってしまうもので、もうひとつ代表的なものは、papa(パーパ) とpapa`(パパ)を上げておきます。前者は、ローマ法王、後者はパパです。
64.grandine(グランディネ):イタリアの北部では、日本ではめったにあり得ない自然現象がある。そのひとつは、grandine これは雹(ヒョウ)のこと。雹が降るときは、とてつもない大雨になる。どれくらいかというと、道路を車で走っていて、ワイパーを最高に速くしても前が見えないほど。従い、大概雹が降るような大雨だと車は止まる。それは勿論、車を守るためもある。何故なら、私の経験した雹は、直径が3~4cmほどのもので、車はでこぼこになる。とにかく大量の雹に当たるので、きれいにできぼこになる。つまり、全体が同じようにでこぼこになりますから、そんなデザインだと勘違いするかも知れないくらい。これは板金屋に持っていくしかない。きれいに直してくれました。高速道路で、大雨が来て雹が降りそうになると、橋の下に車が止まります。勿論先に止めた車が橋の真下に止めるが、その後どんどん回りに止めてきて、橋の周りは車で一杯。しばらくは、動けません。夕立のような雨ですから、すぐに止みます。もうひとつは、nebbia(ネッビア)です。これは、霧。ロンドンは霧で有名ですが、北部イタリアの霧は、もっと凄いとも言われます。ミラノの空港は冬に霧でよく閉鎖され、そのたびにBelgamo,Genovaなどの空港で降ろされます。この霧がどれくらい凄いかというと、少なくとも東京近辺では予測が出来ないでしょう。ひどいときはせいぜい5~10mしか視界がない。北イタリアの高速道路で霧が発生したら?通行止め?それは、事故が起こらない限りない。高速で霧が発生しても、車は時速100km以上でぶんぶん走っています。私も最初は驚いて、次第にそれに慣れた1人。それは、前も横も見えないときが一番怖いが、少なくとも前の車のテールランプが見えたら、その後を付いていけば良いということに気付いたから。スピードを落とすと追突されるから。それと走っていて気付くが、イタリアの高速は基本的にまっすぐだから、霧が出ても真っ直ぐ進めばよいという道理。怖いのは、高速を降りるとき。まず、案内板が霧の為に見えないので、予測してスピードを落とさねばならないこと(追突される恐怖)。そして、高速から一般道路に出るときにもし、対向車線を越えなければならないとき。全く見えませんから、エイヤーと渡るしかありません。尚、霧が濃いというときは、fittoという形容詞を使います。濃い霧は、nebbia fitta.
65.bottarga(ボッタルガ):なんだかぼったくられそうだが、これは「カラスミ」の意味。カラスミとは、ボラなどの卵巣を塩漬けし、天日干しで乾燥させたものをいう。珍味で結構高いので、日本ではあまりお目にかかったことがなかったが、大分前に台湾で沢山見かけてから少し気にするようになった。イタリアでも、高級品だが製造されており、Spaghetti
alla bottargaとして食することが出来る。なお、Spaghetti al nero di seppia というと、これはイカ墨のスパゲッティである。イカ墨とカラスミなので間違えないように。尚、築地の場外市場でも、カラスミを沢山売っているのを見かけたことがある。みたところ、明太子と大して変らないので、間違えそうだが、こちらはスケソウダラの卵巣だそうだ。そして、明太子はイタリア語では、mentaikoと日本語をそのまま使っており、mentaiko piccante が辛子明太子となる。
66.tifone(ティフォーネ)とuragano(ウラガーノ):tifoneは台風のことである。台風とは、太平洋や南シナ海に発生する熱帯低気圧で、ある一定の風速のものをいうそうだが、イタリア語では台風とハリケーンなどの違いはなく、全てtifoneと呼ぶ。ハリケーンにはuraganoというイタリア語があるにはあるのだが、あまり区別されて使われてはいない。また、インド洋や太平洋南部で発生したものをサイクロンと呼び、発生場所によって呼び名が変るということで、日本ではその地域の呼び名に従っているが、イタリアではこの3者はどこでも適当に使っているようだ。OZの魔法使いの英語版では、ドロシーが吹き飛ばされるものをCycloneと呼んでおり、そのイタリア語版(Il Mago di OZ)でも、これにならって避難する部屋を"cantina del ciclone"と呼んでいるので、西洋社会ではあまり厳密に区別はしていないようだ。さて、自然の猛威のひとつに、竜巻があるが、これはイタリア語では tromba d'aria という。直訳すれば、空中のトランペット。tornadoという言葉もあるが、これは外来語で、発音はトルナードと読むが、イタリア語ではない。また、海の上で発生する竜巻は、tromba marinaという。逆に海の中に渦巻く、渦巻きをなんというか? これは、mulinelloという。
67.Giappone(ジャッポーネ):これは、無論日本のことである。日本とイタリアとの何らかの関わりを辿ると古くは、Marco Poloに行き着く。彼が書いたとされる東方見聞録によれば、13世紀の日本であるが、黄金の国ジパングと呼ばれていたとある。黄金は平泉の中尊寺金色堂のことや、後に中国との貿易決済に金を使っていたからだとか諸説あるが、いずれにしろMarco
Polo自身は日本には来ておらず、伝え聞いた話のようだ。このジパングであるが、この最後のグ音がどこから来たのか分からないが、一説にはジパングというのは中国が当時日本をそういう音で呼んでいたという説がある。しかし、日本は現在の中国語でも、ri-benとピンインで書き、この音は「リーベン」と言うよりも、人によって(特に巻き舌の強い人なら)「ジーベン」に聞こえる。また、Marco
Poloが中国に行ったとされる時代は、元の時代でフビライ(クビライ)ハンが、中国を治めている。つまり、今のモンゴルである。彼らが日本の事を、ジーベンではなく、ジーパン若しくはジーパングと発音していたにしても不思議はない。何れにしろ、これがJapanの原形であり、Giapponeのまた原形であることは間違いがない。Marco
Poloはフランス語も話せたそうだし、実際に東方見聞録が出版されたのは、彼の死後1世紀以上も経ってからで、それもフランス語で出版されたとある。それならば、ジーベンがジャポンになったとて、これもあり得る。これは、何れにしろその当時日本のことを、既に日本と呼んでいたことの証明としては面白いと思っている。また、Marco
PoloはVeneziaの人とされており、13世紀にはイタリア語は統一されておらず、当時日本のことをGiapponeと呼んでいたかどうかは疑わしい。Veneto地方は、語尾を切ることが多く、人の名前で「~ン」とあると(例:Girardin,
Zambon, Beneton)、まずVenetoの人である(他のイタリア人の名前は、母音で終わる)。また、外国語学校で有名な ca' foscari
のように(ca'=casaを省略)音を短くする。従い、Veneziaでは当初ジーポンまたはジャポンと呼ばれ、のちにGiapponeとなったことも想像はつく。以上gipponeの由来に関する、私の「想像」である。尚、日本のと言う意味で、nipponicoという形容詞も使われます。
68.pepe(ペペ):好きか嫌いかは個人差があるとして、私はイタリアの調味料は好きだ。4つしかない。sale(塩)、olio(オリーブオイル)、aceto(酢)そしてpepe(胡椒). 食卓にはこれしか置いていない。例えば、朝食でpaneまたはpaninoを食べるときに、日本人であればバターかジャムが欲しいところだが、イタリアにはない(アメリカ式のホテルは朝食がアメリカ式ゆえ、バタージャムはアメリカンコーヒーと共にあります)。至ってシンプルである。イタリアの固いpaneに慣れると確かにバターはいらない。これは、少し塩気があってそのままでも食べられる。いや恐らく、そのまま食べることを目的に作られたのであろう。柔らかいパンばかし食べている日本人には信じ難いことだが、paneは硬ければ硬いほど良いとも言う。(ただしそれは外側のことで、中はあまり硬くない方が宜しい)。昼食や夕食にサラダが出ても、調味料はこの4つだけだ。魚も、肉もこれだけ。saleはシチリアの岩塩、olioやacetoは、vergineやbalsamicoなどと、新鮮さ、濃さ、芳香性などで凝っている。condireとは、味付けすることを言うが、insalata condita といっても、大体 saleとolio、またはacetoでconditaされている。最近は、日本人旅行客に合わせてsalsa di soia(しょうゆ)を置いてあるところも多い。また、tabascoは、本来イタリアの調味料ではないので、普通は置いてない。 pepeに大きいを意味するoneをつけると、peperoneだが、これはピーマンのこと。逆にpeperoncinoといえば、唐辛子のこととなる。
69.camoscio(カモッショ): イタリアの皮手袋屋さんへ行くと、色々な動物の皮があるが、良く聞くのにcamoscioがある。とにかく柔らかくて、皮の質が良いと店員はこの皮をさすって薦める。最初はこれがなんのことか分からなかった。鹿の種類だという気はしたが、鹿はcervoと言うので、どうも違う。色々聞いているうちに、これはひょっとしたら、その発音からカモシカのことではないかと勝手に決めてしまった。実は本当にこれがカモシカのことかどうか自信は全くなかったのだが、大分たってから念のために辞書を引いてみたら、カモシカとあったので驚いた記憶がある。日本語の原点は知らないが、鹿はともかくも、カモは、イタリア語から来たのではないのかと思ってしまっている。尚、イタリア語でmatterhorn(マッターホルン山4478m)のことを、Cervinoというが、これは「鹿の角」という意味である(ちなみに、ドイツ語のmatterは牧草地という意味だそうで、鹿の角とは関係がなさそう)。また、Cerivinoがすぐそばに見えるスキーリゾートの事を、Cerviniaという。ここはマッターホルンからスイス側に降りると有名なZermatt(ツェルマット)、イタリア語に降りるとこのCerviniaとなる。両方から、上っていけば同じところで会うはずなので、標高3500m程の尾根を越えて、スキーをはいたままスイス側に行くことも出来る(筈である=誰か試してみて下さい。雄大ですよ。私は両方から尾根までは行きましたが、国境を越えるまでは行かなかったので)。
70.Gennaio,Febbraio: イタリア語を勉強したかたは、sette-mbre、otto-bre、nove-mbre、dice-mbreが夫々、7-8-9-10を表わすのにも拘わらず、9月ー10月ー11月ー12月と2ケ月ずれた月を表わすということに気付いていますね。これは、昔のローマ暦では、1年が10ケ月しかなく(304日)しかも年の始まりが現在の3月からだったことに由来するといわれています。そして、現在の7月、8月ももともとは夫々第5の月、第6の月(3月から始まって)と呼ばれていたんだそうですが、LuglioとAgostoという名前に、ローマ帝国初代皇帝のAugustoのときに変えられました。LugioはGiulio Cesare(英語読みのシーザー)、Agostoは自分の名前です。そして、1年も12ケ月に変えられました。何故1年が10ケ月304日で回っていたのか不思議に思いますね。当時は冬は、寒いので、単に「冬」と言っていただけかどうか分かりませんが、月としてカウントしてなかったようです。そして、1年が365日では合わないということも薄々感じていたようで、冬の長さ(従い61日または62日)を4年に一度調整していたようですね。12ヶ月に変更した時に、最初の月をgennaioと名づけました。これはローマ神話のGianoという神の名で、ドア(入り口)の神様です。1月は1年の入り口だということで、この名前をつけたそうです。2月はfebbraio、これはラテン語のfebruareから来ています。この意味は、魂を清める、慰霊する、贖罪する月と言う意味です。もともと3月から1年が始まることになっていましたから、その前に全てを贖罪し新しい年に入ると言う意味だったのでしょう。日本の除夜の鐘(108の煩悩を年の最後に清める)と似ていますね。そして、何故2月が28日だったり29日だったりするかもこれで分かります。1年の最後の月なので、この月で調整しようとしていたのです。ここまで書くとMarzo~Giugnoもどういう意味か気になりますね。興味ある方は調べてみて下さい。
71.蕎麦:ソバは日本の食べ物ですから、何故イタリア語の話に「ソバ」が出てくるのか? Spaghettiはイタリアの料理ですが、これも一説には、マルコポーロが中国から麺類を伝えたという話もあります。Spaghettiの原料は、うどんや素麺と同じ小麦粉ですから、元は大して変らないようですが、小麦粉にもいろいろ合って、セモリナ(semorina)種から作ったものだけが、イタリアではパスタと認定されるそうです。セモリナ種も地方や州によって色々特徴があるのでしょうが、大体私が行ったところでは、どこでも自分のところのsemorinaが最高だと言ってました。ちなみに、”私の個人的な感想ですが”、世界で食べ物が自分の国及び自分が生まれ育ったところが一番おいしいと思っているのは、イタリア人と中国人です。そして、海外へ行ってもイタリア料理と中国料理しか食べないのも、この2カ国民です。しかし、日本にも、自分の故郷のラーメンが絶対一番おいしいとか、言い張る人もいますので、それを思うとどこでも同じかもしれません。以上個人的な感想でした。さて、ソバに話を戻します。イタリア語ではソバ粉のことを、grano saraceno(グラーノ サラチェーノ)またはfarina di grano saracenoといいます。意味は、サラセンの小麦です。ここにくるまで大分遠回りをしてしまいました。日本では更科(サラシナ)ソバと言いますが、イタリアではサラチェーノという、ちょっと似ていると、それだけの話です。なお、イタリアではサラチェーノを使ってソバは作りません。饅頭のようなものを作ったり、丸めて煮込んだりします。
72.pista(ピスタ):日本では、外来語を使うことが多くその競技によって、使い分けしているものが[走路」である。例えば、スキーならゲレンデ、陸上競技ならトラック(またはレーストラック)、その他コースとかレーンとか、滑走路など、これらを総称してイタリア語ではpistaという。自転車競技やF1(Formura Uno)のサーキットもpistaで通じる(circuitoチルクイートと言う言葉もある)。F1は日本にもファンはいるが、イタリアではサッカーと同じと言っても良い位人気があるので、多少情報を仕入れておけば会話は弾むはずである。イタリアにはFerrariがあり、各国とも自国を代表する車を出しているので、これは国と国の争いで、盛り上がるのだ。日本は、昔Hondaが日本を代表する車で、Ayrton
SennaがHondaのドライバーで活躍していた頃が、隆盛期だったのだろう。Sennaが事故で亡くなったのが、1994年で私は多分その1年ほど前頃にMonzaで彼のレースを見たことが印象に残っている。その時にSennaは1~2週でリタイアした。同時にリタイアしたのが、Sennaと接触したミハエル(Michael)シューマッハである。シューマッハはまだ無名で、若々しかった。レースのまだ途中だったが、観客席から見ているとSennaがシューマッハを呼んで、pistaの接触した場所近くに歩いて行き、何か話をしていた。シューマッハが、素直に聞いていたような感じだったことを覚えている。恐らく当時の王者セナが新進気鋭のシューマッハにルールを教えて諭していたのではないかと思っている。シューマッハは、その後ご存知のように無敵の王者となり、F1史上最大の優勝回数を誇っている。F1ファンじゃないとなじみは薄いかもしれないが、セナの後にナイジェル・マンセルというイギリス人のドライバーがいた。彼の速かったことは、良く記憶している。彼の時代は短く1年くらいだったと思うが、私は韋駄天マンセルと呼んでいたくらい、敵無しであった。彼の年間タイトルはその一年だけで、確かアメリカのレースに移籍したと思う。それから彼の名前は聞かなくなった。
73.colpoとcorpo:日本人には聞き取るのは至難の業だが、lかrかとっさに判断が難しいものがある。colpoは、「打撃」の意味で、47に上げているcolpo della
strega(=魔女の一撃=ぎっくり腰)のように使う。colpo di testa(頭突き、サッカーのへディング)、colpo basso(ボクシングのローブロー)、di
un colpo(一息に、一撃で)など。colpo di testaで思い出すのは、前項に続いて歴史の証人みたいで恐縮だが、キングカズこと三浦選手がイタリアのGenovaに入団し、シーズン最初の試合はミラノのSan
SiroスタジアムでのAC Milanとの開幕戦で、私はたまたま見に行っていた。開始早々、三浦選手はボールをcolpo di testa(ヘディング)しようと、飛び上がり同じく飛び上がったAC Milanの伝説的リベロのFranco Baresi選手と、colpo di testa(頭突き)をしてしまった。三浦選手は倒れ起き上がれず、そのまま退場し、確かこのシーズン2~3ケ月をフイにしたと記憶している。一方Baresi選手はなんともなかった。あの石頭(これはtesta dura=頑固者の意味もあるのは日本語と同じ)! 実はBaresi選手とは何度か町で遭遇したことがあり、そのうち一度はミラノ日本領事館のエレベータの中だ。私はピンとくるモノがあって、彼に日本へ行くのか(移籍)聞いたところ、「そうであればいいな」というような、どちらとも取れるような返事をしてきた。その後当時の総領事の方に、彼が何をしに来たのか聞いてみたところ、「ワインだかシャンペンだかを飲みに来ただけだ」と、はぐらかされたので、ますます怪しいと思った思い出がある。結局彼の日本行きはなかったのだが。ただ、MassaroというACミランにいた選手が、清水エスパルスに移籍したことがあるが、日本の新聞で発表する数日前に、彼に空港であったという息子から彼がそういっていたという話を聞いていた。彼らは、かなりきさくで、何でもしゃべるわけではないだろうが、話はしてくれる。また、大体ファーストネームで呼んで問題ない。日本だと、普段には松井とか呼び捨てにしていても、直接には~さんづけで話すのとは、ちょっと違う。どちらが良いかどうかの問題ではなく、文化の違いだと思っている。さて、この項ではもうひとつ、corpoの事を書こうと思ったが、前置きが長くなったので簡単に。corpoは体、肉体のことで、ほかには死体や軍隊の意味もある。こちらも良く使われる単語である。昔、corpo grossoというテレビ番組があって、耳で聞いただけではlとrの区別がつかないので、大きな一撃なのか、大きな体なのか悩んでいた。番組はイタリアではよくある、美しい女性が沢山出てきて、かなり艶かしいものなので、衝撃が強いのでcolpoか、グラマーな肉体のcorpoかと。結論は先に書いたとおりである。
74.sottovuoto(ソットブオート):sottoは「下」の意味です。前置詞や副詞、たまには形容詞としての役目がある。sottoがついていて、覚えていれば便利な言葉は多い。 sottoveste(下着)、sottoscritto(署名者:申請書、宣誓書などによく使う)、sotterraneo(地下の、strada sotterranea=地下道=sottoviaでも良い)、sottovoce(低い声で)などは、良く使うことばであろう。そして、紹介したいのは、sottovuoto(真空の)である。直訳すると、「下が空(カラ)」、でなぜこれが真空なのかは分からないが、vuotoという言葉自体に真空(名詞)の意味があるようだ。主に、生ものを買った後すぐにそれを消費しない場合、若しくは人に上げたり、遠くへ運ぶ場合には、真空パックをお店で頼めば、大きなお店ならやってくれる。confezione sottovuotoといえば大丈夫である。日本や海外の検疫(quaranteina)基準に引っかからないのであれば、この形で生ハムや新鮮なチーズを土産に買ってくることも十分に出来ます。試して御覧なさい(但し、検疫基準については、良く調べておいて下さいね)
75.braccio di ferro:braccioは腕、ferroは鉄、鉄の腕=腕相撲のことをいう。鉄の事を元素記号ではFeというが、これはFerroから来ている。鉄は強い意味を持つので、stomaco di ferro 頑丈な胃袋のようにも使う(stomaco di bronzo(青銅)という言い方もあるが)。鉄道はferro+viaでferroviaという。地下鉄は、前述のsottoを使って、ferrovia sotterraneaである。一方bronzoは、厚かましいという意味がある。日本語では厚かましい人を「鉄面皮」というが、それは、faccia di bronzo「青銅面」という。金属のことで思い出すのは、1939年に締結された伊独同盟。この後、1940年には日独伊三国軍事同盟が結ばれ、第二次世界大戦に入っていくのだが、この伊独同盟のことを”Patto d'acciaio"という。acciaioとは、鋼鉄=スチールのことで、勿論これは鉄よりも硬い(絆で結ばれる)同盟との意味であったのだろうが、名前だけだったようだ。「外交」を象徴するような名づけ方だなと思わされる。尚、金属には冷たい意味もあり、occhio
d'acciaio (鋼鉄の目)と言えば、冷徹な(冷たい)目(視線)の意。
76.portoghese, turco, indiano:左からそれぞれポルトガル人、トルコ人、インド人のことだが、それを説明する為に書いたのではない。まず、portogheseは、無賃乗車の人または切符を買わずに劇場などに入場する人を言い、"fare
il portoghese"が、その行為をすることを指す。turcoは、次のように使って、とても沢山タバコを吸うことをいう。"fumare
come un turco" トルコでは一時タバコが禁止されていて、解除になった後に、皆がとてもタバコを沢山吸っていたのを見たイタリア人がそう呼び始めたともいう。indianoは、次のように使う。”fare
l'indiano"、そして意味は「知らないフリをする」である。これは何故か?indianoは多分、アメリカインディアンのことのようだ。アメリカに上陸した、ヨーロッパからの移民は彼らとの話が通じない。分かっていても、知らないフリをしたという風に捕らえたかもしれない。真実はそれ程明快ではないが、特にfare
il portogheseなどは、失礼な話だと国から文句が出そうな表現でもある。また、venezianoは、ベネツィア人のことだが、「ケチ」と言う意味もある。これは、ベネツィア共和国は商業国家であって、商売人が多かった。商売に関しては、「ケチ」を貫くことから、この表現が残った。シェークスピアの「ベニスの商人」でも、ベネツィア共和国の商人が書かれているので、雰囲気は分かりますね。最後にこれも失礼な言い方だが、イタリアでは聞くことがあるかもしれない。marocchinoはモロッコ人のことだが、路上で物を売っている特にアフリカ人のことを、このようにいう。これは別にモロッコ人に限らないが、総称してそういっている。良い言葉ではないので、使うことは控えたい。
77.alto と basso :altoは高い、bassoは低いである。 背が高い低いは、この形容詞を使う。 voce alta, voce bassaは高い声、低い声だが、音程が高いという意味とともに、声が大きいという意味で使う。 l'alta
Italiaといえば、北イタリアを指す。alta modaはハイファッション。布地の幅のことは、altezza(altoの名詞を使う)。従い、生地がaltoといえば、生地幅がひろいこと、本がaltoなら分厚いという意味である。イタリアの昔の町は、主に山の上に都市を作る。ミラノはpianura padana(ポー平原)というイタリア最大の平野の中にあるので、平地に町があるが、ローマも古代ローマは、Palatinoの丘という、ローマの中の丘の上に町を作った。Umbria州や、Abruzzo州は、小高い丘が沢山あるが、昔の町は皆丘の上に作られている。日本は、農耕民族だからだと思うが、町は平野に作る。敵が攻めてきても守れるように、平地に城を建てるのが普通だ。イタリアが町を山や丘の上に作るのは、狩猟民族であることと、外敵からの侵入に備えるためかと思っていたが、実はそうでもないらしい。町を丘の上に作ったのは、マラリア対策だそうである。マラリアをもたらす蚊は、平地の湿った場所に発生する。尚、Malariaは、Malo(悪い)+aria(空気、場所)の意味で、湿った場所の悪い空気のせいで熱が出ると思われていたようだ。従い、イタリアの町には、Citta`
alta と呼ばれる場所があり、それは古い町(旧市街=citta` vecchia)のことである。新しい町は、住宅地や工場、商店街など平野の方に広がっており、こちらはCitta`
bassa(平地の市街)であり、citta` nuovaになる。Lombardia州でも、Belgamoへ行けば、Alta,bassaの町があり、Abruzzo州だと、Chietiなどではこのように分かれているのに出会った。尚、音楽用語でも
alto と bassoは使われている。bassoはバスの事で「低い」ということで分かるが、altoは女性の声で一番低い音である。つまり、女性の声は一番低い音でも「高い」ということが、ここで認識できた。
78.marcantonio(マルカントーニオ):長い単語だなと思われるかも知れません。これは、「背が高くカッコいい男」と言う意味です。この名詞は、ローマ時代の政治家、軍人であるMarco
Antonioから取られています。Antonioは日本ではアントニウスとして知られていますが、シェークスピアの戯曲「クレオパトラとアントニー」でも有名です。Antonioは、クレオパトラの魅力に引かれ、ローマに残した妻と離婚して、エジプトでクレオパトラと一緒になったといわれます。「背が高くかっこいい」「イケメン」のような代名詞で呼ばれるからには、当時を代表するようなスマートな男かと思われますが、キケロが彼を評して、「肉体が頑丈なだけが取り柄の無教養人で、酒に酔いしれ下品な娼婦と馬鹿騒ぎするしか能のない、剣闘士並みの男」と言っていたり、クレオパトラと一緒になった後はローマ市民からは、「エジプト女に骨抜きにされ、ローマ人の自覚を失った男」と言われている、などの言い伝えがあり、どうもあまり評判は芳しくないようです。従い、marcantonioという意味は、揶揄的に「かっこいい(だけ)」というニュアンスがあるのだろうと思われます。同じように、人の名前が、単語になったものに"casanova"があります。これは、Don Juan(イタリア語はDon Giovanni)の代表と言われる男の名前からとったもので、意味は勿論「女たらし」です。
**marcantonioの語感ですが、イタリア人に確認したところ、あまり揶揄的な意味はないそうです。私は、時代と共にニュアンスが変って来たのではないかという疑問を捨てきれないので、このまま残しておきます。次もご参考まで。
79.Cicerone : 前項でキケロを登場させたので、彼の名前に由来する表現をひとつ。キケロはイタリア語では、Cicerone(チチェローネ)といいますが、ローマ時代の雄弁家として有名です(ラテン名はCicero)。色々本も残していますが、話術に長け、白も黒と言いくるめるような才能があったのではないでしょうか。このことから、fare da cicerone(キケロをする)という表現が、「ガイドをする」という意味で使われます。ガイドは大変雄弁なので、このように言うようです。尚、カエサル(シーザー)から帝政ローマ誕生までの歴史は、カエサルーアントニウスーオクタビアヌス(後のアウグストス)と続く政権の争いですが、これにキケロを加えた4人を覚えていると、理解しやすいです。簡単に書くと、カエサルは死ぬ前にオクタビアヌスを自分の後継者として指名。シーザー暗殺後アントニウスが頭角を現しますが、キケロは弁舌によって元老院や市民の支持を得てアントニウスを牽制し、オクタビアヌスを擁護。しかし、結局アントニウスはオクタビアヌスと結んで、三頭政治を実施。キケロはアントニウスに殺害される。取り決めで支配下をギリシアやエジプトにおいたアントニウスはエジプトへ行き、クレオパトラと結婚。尚クレオパトラはシーザーとの間に子供が1人いるが、アントニウスとの間で3人子供を産む。しかし結局、オクタビアヌスとの闘いに破れ死ぬ。クレオパトラは自害。オクタビアヌスは、アウグストスの称号を受け、帝政ローマ初代皇帝となる。前項に上げたキケロのアントニウスに関する表現にもかなり辛らつなものがありますが、二人が政敵であったことを知れば納得出来ます。Augustoが8月になり、彼の養父であるGiulio
Cesareの名を7月としたのは、第70項に書いているとおりです。
80.candido(カンディード):これは、「純粋な」[真っ白な」」という意味です。これから、candidato(選挙の候補者)という単語が生まれました。それは、昔候補者は真っ白な服を着ていたからだそうです。candidareは「候補者を立てる」という動詞。また、candeggiareは「漂白をする」candeggioまたはcandeggiaturaが、染色における「さらし工程」の意味です。勿論英語のcandidate(候補者)もこれから来たものです。英語で、ドッキリカメラのこと(そういう番組のことですが)をcandid
cameraと言いますが、candidはイタリア語のcandidoから出たものですから、本来は「正直な」「ありのままの」と言う意味ですが、段々「露骨な」「無遠慮な」というような意味にもなりました。イタリア語の方は、そこまで発展しておらず、まだ「無垢な、無邪気な」と言う意味に留まっているようです。候補者といえば、首相が日本は野田首相で明治以来62人目になりました(複数回の人は除く)。首相の任期が余りにも短いということで、世界からの批判や国債格下げの原因にもなっているようですが、イタリアも結構短いはずです、と思って、調べてみると、王政時代(1861年から第二次世界大戦終了まで)に30人、共和制になってから現Berlusconiの4次内閣(4回目)まで24人、合計54人でした。イタリアは一度やめて、他の人が首相に成り、その後に返り咲くということが多く、Andreottiは3回、Fanfaniに至ってはなんと5回も首相になっています。尚、投票は、votoと言いますが、これは学校の成績のことも言います。bei votiは(良い成績)です。candidatoになって、たくさんvotiを集めた人は、決して
brutti voti(悪い成績)は上げないようにして欲しいと思いますね。
81.novello : 10項で縮小辞として-inoをご紹介しているが、-elloも縮小辞にあたる。nove-elloは nuovo(新しい)に縮小辞をつけて、「出来立ての」「生まれたばかりの」という形容詞になる。この縮小辞は他には、albero(木)→alberello(若い木)、vino→vinello(アルコール分の少ないワイン)、poverello(かわいそうな)などにみられる。novelloはフランス語のヌーボーにあたるもので、新酒としてはボージョレーヌーボーだけが日本で有名だが、イタリアではvino novelloといえば、ヌーボーワインのこと。秋になると、イタリアでもnovelloが出回って、レストランでは一杯振舞われたりするが、ヌーボーワインは熟成されていないので、沢山飲むのは体に良くないとのこと。収穫のお祝い事として、グラスに一杯だけ飲むのが良さそうだ。何のお祭りだったか忘れたが、ミラノで12月頃に開催されるお祭りでは、novelloがただで振舞われていた。運が良ければ、ただヌーボーに当たるかも知れませんね。
82.tramezzino :これは、イタリア語でサンドイッチのこと。tramezzo(仕切り)に-inoの縮小辞をつけたもの。この言葉は、イタリア人Gabriele D'Annunzioによって、発明されたものと言われる。D'Annunzioは詩人であり、右翼的な思想家として知られる人物で、三島由紀夫が大いに影響を受けた人と言われている。1919年に現クロアチア領のFiumeという都市を、黒シャツ隊を率いて占領し、そこをイタリア領にしようとしたが、それは出来ぬままここを独立国家として1年以上君臨した。Mussoliniにも多大な影響を与えている。彼はまた、外国語を使うことを嫌い、サンドイッチをtramezzinoに変えた。イタリアでのパンの呼称は、pane, panino,brioche, cornettoなどがある。paneは大きい塊のパンで、切って食べるもの(外側はかたい)、paninoはまる型の小さなパン、brioche(ブリオッシュと呼ぶ)は柔らかいクロワッサン型のパン、cornettoも角型(三ケ月型)のパンで、これもクロワッサンに似てはいるが、いずれもフランスのクロワッサンとはちょっと異なる。
83.coperto(コペルト):テーブルチャージまたはカバーチャージのことをcopertoという。日本語では「席料」と言うのだろうか。これは、通常はpane代の「ようなもの。paneとは、前出のパンの種類で、イタリアのPane
は外側が硬い。人によっては外側が硬ければ硬いほど良いという人もいる。確かに、中がそんなに硬くなければ外はある程度硬いほうがイタリアのパンらしい。しかし、あまり硬いと口の中を切ってしまうので、程々が良い。これを輪切りか、もしくは半分にして2~3cmの厚さに切った物をテーブルの上においてあって、これがcopertoだと一般にはなっている。copertoは、その昔レストランには客が食べ物を持参で行っていたこともあり、その時に使用料を取っていたことに由来するとの説がある。その場所は、posto
aperto(野外の、開けっ放しの場所)ではなく、posto coperto(屋根つきの場所)であった事による。しかし、copertoはcoprire(覆う)の過去分詞で、覆われたもの、つまりテーブルクロスの意味がある。普通のレストランだと、客が代るとテーブルクロスを必ず交換する。trattoriaだと、一度はたいて裏返しにして使うところもあるが、基本的には交換するものである。従いcopertoはテーブルクロスの洗濯代ではないかと思う。そう思えば、何故テーブルチャージを払うのかが納得できるのでのである。paneの食べ方だが、テーブルクロスがかかっているところは、自分の左脇において、ちぎって食べる。パンくずが落ちるのは気にしなくて良い。テーブルクロスは交換するのだから。中国での話だが、食事のときはテーブルクロスを目一杯汚して食べる。出来るだけ汚して食べる方が、おいしく食べたと言う意味だと聞いたことがある。本当かどうかは知らないが。テーブルの上を、鳥の骨や、魚の骨などで一杯にして、客が去ると、テーブルの上に乗った食べかすをテーブルクロスでぐるっと包んで、片付けるのが中国式。成るほどさっと片付くので便利だとは思う。尚、copertaと女性形にすれば、毛布や掛け布団の意味になる。
84.farfalla(ファルファッラ):この単語は結構知られているもので、敢えてここに載せる必要はないと思われるかも知れません。「蝶々」のことですから。ただ音としては、面白い部類に入るのではないかと思います。「蝶々」は、多分中国語から来たもの。ファルファッラは「蝶々」のようにおなじ物を2度並べていませんが、far-falとほぼおなじ物が続いて出てくるところから、何か共通点を感じます。farfallaには、「浮気者」の意味もあり、MozartのOpera ”Le
nozze di Figaro(フィガロの結婚)”では、ケルビー二という若者が女性にもてて困ることで、彼を軍隊にやってしまうという画策が行われ、「もう飛ぶまい蝶々よ」という歌があります。これは、「恋する色男さん、これで浮気はおしまいね」と言う意味です。歌詞は、Non
piu` andrai farfallone amoroso. となっており、farfallaには-oneがついて、「大浮気者(大色男)」となっています。
85.catalogo(カタローゴ):前項に続いてオペラからのイタリア語を。catalogoと聞いて、Don Giovanniを思い浮かべる人は、かなりなオペラ通でしょうね。catalogoは、勿論「カタログ、目録」のことですが、オペラ Don Giovannniの中にある通称「カタログの歌」は、Don Giovanniがそれまでに関係した、女性の目録です。しかも、この歌の締めくくりでは"Mille tre"(1003)と言いますが、何とこれが、関係したスペイン人の女性の数、他にはイタリア人740人、ドイツ人231人などとどんどん続くので、驚きます。同じMozartに"Cosi fan tutte"というオペラがありますが、これも(女性はみんなこんなもの)というタイトルで、旦那の留守中にどれ程硬い女性でも浮気をさせてしまう話、尚Mozartはこれらのオペラをイタリア語で書いています。Cimarosaの「Matrimonio segreto(秘密の結婚)」Donizettiの「L'elisir d'amore」(愛の妙薬)はハラハラさせるが最後は結ばれる喜劇、Operettaはoperaに-ettaという縮小辞をつけたものですが、これも喜劇で主として「こうもり」や「メリーウイドウ」などシュトラウスやレハールの作品を呼びます。メリーウイドウはイタリア語では、"Vedova allegra"(陽気な未亡人)と呼びますから、operaを辻通じて知るイタリア語もまた楽しいものです。尚、イタリアの喜劇は、通常Operettaとは言わず、(opera)buffaと言います。
86.noleggio(ノレッジョ):レンタルやリースの意味ですが、autonoleggio(レンタカー会社)のように使うことが多い言葉です。レンタカーのことは、macchina da noleggioとか、macchina noleggiataのように言います。「ノレッ」って言ってるみたいでしょう。イタリアにも多くレンタカーがありますが、61で書いたように、殆どマニュアルシフトの国ですから、オートマ車を指定するのは大変です。マニュアルの覚悟をしておいた方が良いですね。レンタカー利用者には外国人も多いでしょうから、オートマ車が絶対無いわけではありません。前以て予約すれば、出てくる可能性はあります。私も何台かオートマ車は指定して借りたことがあります。それと、高級車(特にドイツ車)を北(ミラノあたり)で借りるときは、ナポリや南方面へ行くというと、貸してくれない可能性があります。もしくは、高い保険代を払わされるかも知れません。勿論盗難保険です。南イタリアを旅行するなら、小さい薄汚れたようなイタリア車がお勧めです。イタリアの車の運転はどうかというと、運転が荒いかどうか:欧州では荒い方でしょうね。ドイツやスイスの整然とした運転からイタリアに入ると、当然楽しくなるくらいです。フランスも結構荒い方ですが、フランスの方がルールをまだ守る気がします。運転がうまいかどうか:これだけ荒く運転しますから、結構うまいと思います。イタリアでの運転のコツの一つに、「車間距離を空けるな」というのがあります。とにかく空けるとすぐ割り込みされます。そうでなければ、クラクションがうるさいでしょう。イタリアで覚えた車の乗り方に、速度メーターの使い方があります。速度計が最高180kmの車(小型車、ベンツのディーゼル車など)は、高速道路では180kmでずーっと走ります。260kmの車(BMWやSAABなど)は260kmで走ります。ここまでは私が実際に乗った車(私の運転ではない)による経験談。そして300km以上(ポルシェやフェラーリ)は300kmで走ります。速度計が「伊達」ではないということを学びました。しかし、これは古きよき20年以上前の話です。速度制限は最近は大分厳しくなったと聞いています。くれぐれもご注意下さい。尚、家の賃貸は、noleggioではなく、affitto(アッフィット)を使います。
87.calze(カルツェ:複):靴下のこと。履物を見てみましょう。靴は、scarpe(複)ですが、靴屋はcalzolaioと言います。calzetteriaというと、靴下屋または靴下工場の意味になりますが、ちょっとややこしい。calzaに-oneをつけると大きい靴下かと思いきや、calzoniはズボンのことを言います。またcalzoneは外をくるんでしまうpizzaとしても有名ですね。一方、calzaに-inoをつけると、男性用の短い靴下(日本では一般的な)を指します。何故、わざわざcalzinoというのか、それは普通の靴下は膝までの長い靴下だからです。男性がイタリアで日本と同じような靴下を探そうとすると、ちょっと困るかも知れません。とは言っても今は、どこにでもありますが、ひところ前には、基本的にロングソックスしかありませんでした。その理由は、脚を組んだときに、毛ずねが見えることは、失礼である、恥ずかしいことと思われていたからです。勿論カジュアルやスポーツスタイルは、綿の短い靴下を履きますから、その時は毛ずねは見えますがね。一方、scarpeは、-oneをつけたscarponeとは、登山靴やスキー靴の事を言います(mascarponeマスカルポーネと言う名のtiramisu`の材料として有名なチーズがありますが、これは関係ありません)。反対に小さい方は、scarpettaといい、子供用の靴屋婦人用の靴を指します。しかし、scarpettaで覚えておくと良い表現は、fare la scarpettaという熟語で、スパゲッティなどのソースやスープをパンのかけらで、お皿の底をすくって食べることをこういいます。
88.montagne russe: zuppa inglese, generale svizzero,夫々(ロシアの山、イギリスのスープ、スイスの将軍)ではありません。これは、前から順に「ジェットコースター」「ズッパイングレーゼというケーキの名前=イタリアのデザートの定番のひとつ」そして、最後は「とても厳しい(人)」の意味です。国名を使った表現は、76にも述べていますが、ここは形容詞版としておきます。ジェットコースターといえば、イタリアは日本から見ると自然の遊び場にはすごくめぐまれていて、自然と共に暮らし楽しむ施設は多いと思いますが、人工の遊び場は少なく、ジェットコースターのようなものに乗る場所はそんなに多いとはいえないでしょう。日本人の一般的な感覚からすると娯楽が少ないと感じるかも知れません。ただ、小さい施設はLunaparkと呼ばれる移動遊園地があって、carosello(メリーゴーラウンド)や小さなmontagne russeはあちこち見かけます。しかし、イタリア最大のテーマパークといえば、GardalandというのがLago
di Garda(ガルダ湖)の近くにあり、リゾートやホテルもありイタリアのディズニーリゾートの様です。このGardalandには、どういうわけか、日本庭園があって確か鳥居まであったと記憶しています。興味ある方は是非一度訪れてみて下さい。1975年開業でいまでは年間300万人が訪れる大テーマパークとなっているようです。
89.gara di vela:前項でガルダ湖のことを述べましたので、少し続きを。ガルダ湖はイタリア最大の湖で、観光地として大変名高いところですが、歴史的にも大変ユニークなところです。近くにローマ時代の遺跡を発見する事も出来ますが、近年には、1943年6月に連合軍がシチリアに上陸し7月にはムッソリーニが逮捕され、9月にドイツ軍の電撃作戦によって奪還されたあと、ガルダ湖の近くに「イタリア社会主義共和国」を設立し、1945年に逮捕され処刑されるまでここに、Salo`政府を樹立(ナチスの傀儡政権)して、イタリア国内に2つの政府がある状態を創出した場所でもあります。Salo`はガルダ湖畔の町です。Garda湖は、Gabriele
D'Annunzioも住んでおり、彼の住居が博物館になっています。また、この付近はチロル地方にも近く、イタリア領のTiroloのことを、イタリアンチロルとも言うようですが、ハプスブルグ家の影響も強いところのようです。実は、Garda湖で20年ほど前に、Maria
Teresaという女性と会いました。会ったきっかけは忘れましたが、この女性はハプスブルグ家の血を引く女性で、直系の女性は皆、Maria Teresaという名前だと聞かされました。この女性は日本人の男性と一緒で(恋人同士)で、今はハプスブルグ家の栄光は影も無く、貧乏貴族だと自分で仰っていたのを覚えてますが、信じられる話かどうか半信半疑でした。しかし、彼女らが住んでいる家に案内されて驚きました。それは、Garda湖畔に立っているとても大きな屋敷で、確かご自分たちは一階の一部屋しか今は使っていないが、と2階を案内されましたら、窓には全てカーテンがかかり、薄暗い部屋の中は、回り一面大きな絵がかかり、世が世であればとても素晴らしい部屋(応接間なのか、ダンスホールなのか全く分かりませんでしたが)だと思われるところでした。この方たちが今はどうされているのかちょっと気になっています。さて、millemiglia(1000マイルレース)というクラシックカーレースのことは、結構知られていますが、centomiglia(100マイルレース)というレースが、ここGarda湖で開かれているのをご存知でしょうか。これは、実はヨットレース(gara
di vela)で、淡水湖(Acqua dolce)のレースとしては、ヨーロッパ最大のレースとのこと。このレースも大変面白い見ものです。ただ、見に行くときは、野暮ったい格好はしない方がいいですね。イタリア人のTPOには、驚かされました。gara
di velaを見に行くときは、デッキシューズを履いて、半ズボンというのがイタリアのスタイルのようです。
90.multa(ムルタ):イタリアに住んでいるとこれには時々お目にかかることでしょう。何となく日本語っぽいが、重要な言葉です。意味は「罰金」です。最初にmultaを貰ったのは、高速道路で。Carabinieriに捕まると一人が小銃をこちらへ向けて来て、車を降ろされました。罪名は、cintura di sicurezza(安全ベルト)未着用です。助手席の1人も合わせて2人分の罰金を請求されましたが、交渉したところ1人分で済みました。また、ある日これも高速道路でたまたまパトカーの後ろを走っていたら、前を走っていたパトカーに止められました。罪状は、トンネル内でのランプ未点灯。ところで、どこにトンネル(Galleria)があったかと聞いたら、100mほど前にあったじゃないかと。考えてみたら、恐らく距離にして20mくらいの高架(上は高速道路に交差している道路)の下を通ったような気がすることを思い出した。まさか、あれがGalleriaじゃないでしょう、と言っても聞き入れられず、罰金を払わされるハメになりました。またこんなこともありました。まだホテルに泊まっている頃に、レンタカーを借りて近くに路上駐車をしていました。翌朝車のところへ行くと無い。昨晩一杯だった他の車も一台もない。おいた場所が違ったのか?良く見ると道路の反対側に私の車がある?!訳が分からない、私の記憶違い?これは、路上駐車はイタリアではOKだが、週に一度清掃車が通るのですが、いつも同じ場所に止めている人は清掃車が来る日が分かっているので、その日は夜遅く車を移動させます。普通、そこに放置されている車はレッカー車がやってきて、multaとなるのだが、私の場合は場所を移されただけで済んだようだ。理由は分からないが、レンタカーだったからだろうか?!また、こんなこともあった。夕方レストランで食事をして、路上駐車していた車へ戻ると、駐車違反の切符を警官が書いている。これはいかんと走って、丁度警官が切符をワイパーのしたに挟もうとした時に、さっとその切符を私が取り上げた。これは、私の車でこれから出るところだというような事を言うと、その警察官はただただ、ポカンとしていて、結局はその切符を破いてくれた。挟む前であればセーフというルールでもあったかどうかは、知らないがこれは運がよかった例です。くれぐれも、multaには注意をしましょう。
91.paglia(パリア):「麦わら」のこと。飲むときに使うストローのこともいう。cappello di pagliaといえば、麦わら帽子。Emilia Romagna州にCarpiと言う町がありますが、ここはニット産業で有名なところ。しかしニット産業地として活動するようになったのは、第二次世界大戦後だからまだ新しい産業集積地です。なぜここにニット産業が始まったかを調べると興味深い。もともとこの地区は米どころで、その藁を使った帽子を作る小さな地区だった。しかし、麦藁帽子では、次第に産業が衰えていき、麦わらを編むという技術を利用して、戦後にニット産業をスタートしたと聞きます。イタリアは西欧諸国唯一の繊維産業での貿易黒字国ということで、1990年代に、日本の中小企業が見習えということで通産省が主導して色々研究した時期がありました。中小企業白書にも、イタリアの事例が載った時期です。イタリアの産地は、分業が確立されており、一つの産地が中小企業の分業体制でひとつの大工場を作り上げているところが紹介されていたと記憶しております。日本でも勿論産業集積地は多いのですが、イタリアでは、皮製品のEmpoliや毛織物のPrato,
絹製品のComo、ValenzaPoの貴金属、brianzaの家具など数え上げれば100以上の産地があるようです。私もCarpiには良く行きましたが、CarpiよりはCapriの方がよいとは何時も言っていた冗談でした。
92.pentito(ペンティート):あまり実生活で必要ではない言葉ですが、イタリアでは良く聞くので上げておきます。意味は、マフィアの改悛者のことです。つまり、警察に協力を誓ったもとマフィアの構成員のことです。この名前が付いた最も有名な人物はTommaso
Buscetta(ブシェッタ)で、Mafiaの大物の逮捕に貢献したとされています。一方ボスの中のボスと言われていたToto Riinaは、逮捕された後Buscettaの家族を皆殺しにおりしたと言われており、未だにマフィアの脅威は続いています。BuscettaがPentitoの草分け的な人物で、その後多くのPentitoが出てきていますが、一族にPentitoが現れると、恐怖から一族がその人物との親族の縁を切るそうです。Mafiaの話は、莫大な話になるので専門家に譲りますが、常に大物政治家との癒着が話題になっており、イタリアの事を知ろうと思うなら、避けては通れないかも知れません。1980年代にはマフィア同士の抗争及び警察との戦闘により毎年1000人が死んでいると聞いて、最初はとても信じられませんでしたが、調べてみるとどうもそれくらいにはなっていそうで、驚いた記憶があります。その後Giovanni
FalcomeやPaolo Borsellinoがマフィアに殺され、警察とマフィアの大戦争になり、マフィア撲滅運動も大々的に行われましたが、これは日本の暴力団とおなじでしょうか、撲滅というようにはならないようです。尚、Mafiaとはシチリアの本拠を置く非合法組織のことで、NapoliにいるのはMafiaとは呼ばず、Camorraと呼び、またNdrangheta(ヌドランゲタ)がCarabria州での組織のことです。以上ご参考まで。
93.arredato(アレダート)、vuoto(ヴオート):家具つきの、家具なしの、の意味です。イタリアでアパートを探す場合は、先ずはこのどちらから選びます。arredatoは、家具だけでなく時にはキッチンセット、寝具セット一切つきのホテルのようなところもあります。一方vuotoの方も、色々あります。本当にvuoto(空っぽ)の場合は、トイレも風呂も、流しもレンジも何にもありません。壁も塗っただけで壁紙もなし。これは、借りる人が自分の好みでつけられるようにということですが、賃貸のアパートでさえ、個人の志向を尊重するからでしょうか。イタリア人の日本でのアパート探しの感想で、何でもお仕着せのユニット製品のことが書かれていましたが、これはコスト志向と個性志向のことを言っているのでしょうね。イタリアに最初住んだときは、間接照明がどうも暗くて抵抗がありましたが、慣れてくると煌々と明るくする蛍光灯よりも、電球をうまく使った間接照明の雰囲気効果も良いと思いましたね。ただ、コストを考えるとどうかと思いますが。結局コストを優先するなら、個性を捨てざるを得ないと言うのが結論のような気がします。恐らくコスト志向と言う点では日本人は相当イタリア人には勝っているのでしょうね。ただ長く続いている文化的遺産は決してコスト志向からは生まれていませんから、文化の点からは再考が必要なのかも。costoはイタリア語でのそのままです。また、arredatoの動詞の原型はarredare(アレダーレ)といって、読み方が面白いと言った生徒がいました。なるほど!
94.grillo(グリッロ):「こおろぎ」のこと。昔Gigliola Cinquettiの歌に”Gira l'amore"というのがあって、その歌詞が次のように始まる。Il
grillo canta solo per amore la pioggia cade quando un fiore muore è bello
il fiume quando l'acqua è pura
ma questo l'uomo non lo pensa mai. (こおろぎは愛の為だけに鳴く、雨は花が終わるときに降る、水が澄み切った川はきれいだ、でも男はそんな事考えもしない)これで、grilloという単語を覚えました。日本では昔から花鳥風月を愛でるという風流さがあります。ある本によると、西洋人は鳥や虫の鳴き声をただうるさいと思うと書いてあって、そのことを直接或る西洋人に聞いたことがあります。そうするとその人は、「そうだ」と言いました。じゃあ、鶯の鳴き声をうるさいと思うのだろうかと、どうしても信じられません。確かに、日本でもヒヨドリか何かが沢山集まって、夕方にとてもうるさいことがあります。またセミ(cicala)やカエル(rana)の鳴き声も一斉に鳴かれるとうるさいという感じは分かります。しかし、先に上げた歌詞にもありますが、「コオロギは愛の為に鳴く」のように、見方は違っても何かを感じているのだとは思います。また、秋の虫の鳴き声を、楽しく聞くという習慣が日本にはあります。マツムシ(チンチロリン)、スズムシ(リーンリーン)、コオロギ(コロコロ)、その他スイッチョとかガチャガチャも含めて歌にありますね。実はイタリアでこれら昆虫の名前を探すのが大変です。辞書を引けば乗ってますが、あまり知られていません。恐らく、秋の虫と言う感覚はなさそうです。ちなみに、バッタはlocusta(イナゴも同じ、キリギリスも同じ)、カマキリはmantide religiosa(またはmantide)と言います。両手(鎌)を上げている姿が祈っているように見えるところからreligiosaとなっています。面白い見方ですね。
95.vitaとspazio:vitaは、「命」、「生活」、「人生」などと訳されます。日本語では、夫々少しずつ違った意味をもつものが、イタリア語ではどうしてひとつなんだろう?なんてことは考えたことはありませんか。ひょっとしたら、イタリアでは(英語でもlifeが同じ意味なので、西洋社会では)同じ事なのではないか?私達は、イタリア語を訳するときに、ここは「生活」と訳すべきだとか「人生」と訳した方が良いとか考えますが、こういう風に分けることは本来の意味からは正しくないのではないか。本当はもっと他のこれら全てを包含する訳があるべきではないのかとか、考えてしまいます。また、spazio(スパーツィオ)は、「場所」「空間」など以外に「宇宙」という意味があります。英語ではspaceですね。しかし、日本語では場所と宇宙を一緒にはしません。宇宙空間とは言いますが、宇宙と空間は別のものです。こういうことを考えるとキリが無くあまり勉強にもプラスにならないかも知れませんね。難しいことは抜きで一応、何か共通するものはないのかと探してみました。すると、vitaには、[命=生命」「生活」「人生」と、「生」という共通語が見つかりました。spazioに共通語は見つかりませんが、「空」という言葉が近い様な気がします。では中国語ではどうだろうと思い、中国語で「生」の意味を調べると、(産む)(生じる)(一生)(生活)(生物)(生の)(生徒)という意味があるようです。これでもvitaという言葉とは一致しそうに無い。ごのような概念的なものは、歴史、宗教観、長年の生活環境で異なるのでどうも一概に決め付けることは出来そうもありません。これが、外国語を学ぶ際の難しい点でもあり、また面白いところでもあると前向きに捉えることにしましょう。尚、vitaには、ウエスト〈腰回り)の意味もあり、こちらはいずれにせよ「生」とも関係がなさそうです。吹っ切れましたか?私が?
96.cuore(クオレ):core n'grato(コーレングラート)という素晴らしいナポリ民謡をご存知ですか。そうですね、これはまたの名をcatari catari(カタリカタリ)と言って、オペラ歌手がアンコールや、ガーラで良く歌います。とてもいい曲ですから是非聴いてください。coreは、cuoreのことです。民謡やoperaの歌詞のなかでは、よくcoreになっています。De Amicisというイタリアの作家が書いた”Cuore"という本は世界的な名作です。日本では「母を訪ねて三千里」という題でも知られています。cuoreは「心」[心臓」の意味です。日本語で、気がつく、気になる、気を配る、勇気、などと「気」がつく言葉が、夫々、accorgersi, curiosare, curare, coraggioというイタリア語になり、それぞれ、cor か curという文字が入っていますね。つまり、これらは漢字で言う部首のような役目をしており、いわば「心」リッシンベンなのでしょうね。ただ、日本語では「気」となっているところが面白い。尚、core n'gratoの歌詞はナポリ語でイタリア語初心者には解読不能ですが、n'gratoはnon gratoの事で意味は、感じ良くない気持ちということですが、意訳すると「つれない心」となって、これが一般の日本語訳となっています。
97.macedonia(マチェドニア)、frutti di bosco(フルッティディボスコ):これらは、イタリアのデザートの定番です。前者は、フルーツポンチと訳される(日本のフルーツポンチのイメージとはちょっと違うかなと思いますが、強いて言えばそういうこと)、後者は、「森の木の実」と訳されるが、実質はミックスベリーである。more(ブラックベリー)、lamponi(ラズベリー=きいちご)、miltilli(ブルーベリー)がその主役、gelatoをかけて食べると実においしい。是非トライして見てください。甘いのが駄目な人には無理かも知れませんが。dessert(デザート、尚砂漠はdeserto)に関して日本との違いは、まずとても甘いこと、次に量が多いことでしょう。しかし、私が個人的に最も感じるのは、dessertが食事のメインであるということです。気が違ったか、メインはメインだろう、つまりイタリアならsecondoだとおっしゃることでしょう。いや形式的にはそうですが、私は絶対イタリア人の実質的な本当のメインはdessertで、メインでさえもdessertをおいしくする為にあるとしか思えないのです。その理由、たとえprimoやsecondoをパスしても、絶対にdessertはパスしないこと。dessertをパスしたイタリア人を私は見たことがありません。日本の方、特に日本から旅行や出張で来られた方は、dessertをパスする人が多い。それは、量が多いということと、お酒を飲む人は甘いものを食べない習慣からということが多いようですが、イタリア人は酒と甘いものは両方好きです。もうひとつの理由は、dessertを食べるときが一番おいしそうに、至福のときであるかのように楽しく食べるのです。だから、私はイタリアのメインは誰がなんと言ってもdessertだと思っているのです。
98.collina(コッリーナ):これは「丘」のことを指す。77でイタリアでは丘の上に町を作ると書いたが、そのことを良く理解していないと意味が良く分からないことがある。例えば、有名なケサラ(Che sara`)という歌があるが、この歌詞は次のようになる。Paese mio che stai sulla collina. Disteso come un vecchio addormentato; La noia. L'abbandono. Il niente. Son la tua malattia. Paese mio ti lascio. Io vado via. 私の故郷、それは丘の上にあり、まるで年寄りが横になって居眠りをしているようだ。退屈で、誰も見向きもせず、何も無いこと、これがお前の病気さ。故郷よ、さらば、僕はここを去る。(続いて)僕の人生がどうなるかは分からない。僕には、何でも出来る力があるのか、それとも何も出来ないのか、明日(将来)になれば分かるだろう とこのような歌詞です(著者訳)。日本語の歌詞は、これとは全く異なるものとなっています。歌詞の内容は、直訳もあれば原文とは関係のないこともあり、それは問題ありませんが、歌詞作者がこのイタリア語の直訳では、日本人に伝えることが難しいと思って意味を変えたのではないだろうか。私はこの歌を聴いて、年寄りが居眠りをしているようだという表現を、退屈で何もすることがないという意味と、もうひとつは丘そのものがそういうように見えるということをかけているような気がする。考えすぎかも知れないが、そう思うとUmbriaやToscana地方の情景が頭に浮かび、この歌がとても心に響く。歌詞のなかにdistesoという表現があり、これが形を想像させるからかも知れない。尚、paeseは国のことも小さい村の事も言う。日本語でもおらが国といえば、おらが村のこと。Collinaといえば、そういう名前の有名なarbitro(サッカーの審判)がいたのをご存知だろうか? 日本人なら、おかさんです。
99.Decamerone(デカメローネ):Giovanni Boccaccio作のデカメロンである。decaは10の意味で、meroneはギリシア語の日から来ている。つまり、本来「10日」という意味なのだが、日本語では「10日物語」のようにも訳されている。decaはdecade(10日、または10年、英語も同じ)、decalogo(モーゼの十戒、英語ではdecalogue), decathlon(十種競技)などに使われる。さて、decameroneはその名前の有名さに拘わらず、内容はあまり知られていない。これは、10人の男女が夫々10個の話をするという、千一夜物語のようなお話で、イタリアの最大の詩人DanteのDivina Commedia「神曲」の影響を多く受けていると言われ一方、「神曲」が神の道を説いたのに対し、Decameroneは人間を描いたものとして対比されることもあるようだ。実際に、Decameroneは教会から神への冒涜とも呼ばれていた。Firenzeの駅の名前は、Santa
Maria della Novellaとも言われるが、それはすぐそばにその名を冠した教会があるからである。そして、この「10日物語は」この教会で知り合った高貴な人々が、のちにFiesoleに集まって話をした内容が、このDecameroneである。Fiesoleは、Firenzeからバスで30分くらいのところにある、小高い丘であり、昔から金持ちの別荘地として知られる。今でも、有名デザイナーの大きな館があることでも有名だ。Decameroneが書かれた時代背景は、peste(ペスト)が大流行して毎日多くの人が亡くなっていた時で、pesteへの感染を恐れた上流階級の人々がFiesoleに避難してこういう話をしているところを、Boccaccioが書いたのだということを知ったら、次にFirenzeへ行くのが楽しくなるのではないだろうか?
103.postino(ポスティーノ):"Il Postino"という映画がありました。1994年の制作で、アカデミー賞を受賞しています。意味は「郵便配達人」。この主役のMassimo
Troisiと言う人は、心臓が悪く、この映画の撮影の為に手術を延ばしていたそうですが、撮影が終わった直後に、attacco cardiaco(心臓発作)に襲われ亡くなりました。映画は小さな島のpostinoのことを描いています。郵便といえば、イタリアは名だたる遅配の国だとも言われています。確かに、まともに着くこともあれば、なかなか着かないこともあります。しかし、必ず着くというのがイタリアの郵便のようです。1年後に着いたというような話も聞きます。postinoは、公務員ですから、午前中しか働かないで、午後は休暇を取って民間のデリバリー業者で働いている、というようなことは事実かどうか分かりませんが、良く言われていることです。何故イタリアの郵便が遅れるのか、私が見たことを述べます。ミラノの郊外の或るcomuneは、住民が1000人くらいの小さなcomuneでした。このcomuneにも、勿論郵便局はあります。ところが、このcomuneに民間の大規模アパート(日本で言えばマンションに相当)が出来て、住民が一挙に10,000人に膨れ上がりました。しかし、郵便局(ufficio postale)はそのままです。ある日郵便局へ、出向きますとその入り口から、係員がいるところ、廊下の隅々まで小包(pachetto)の山でした。postinoの数は以前のままですから、毎日毎日小包の山が高くなっていくばかりです。しかも、postinoは、新しく積まれたものから(上の方から)、取り上げて配達していくので、下の方はほっておかれ、配達が何ヶ月も伸びてしまう。恐らく、公務員ですから新しく人を増やしたりするのに大変時間が掛かるのでしょう。半年後か1年後には配達人の数は住民数に見合う数になるのでしょうが、それまではこんな状態が続くのでしょう。以上私が確認した状況です。全てがこんな理由ではないのでしょうが、このような理由がいくつもあって、遅配がなされるのではないかと思われます。しかし、どんなに遅れても必ず着くのです。
104.PRONTO SOCCORSO(プロント ソッコルソ):救急病院のことです。旅先で、事故にあったり、具合が悪くなったらここへ行きます。イタリアの医療制度の事は、専門家に譲るとして大体のことを経験に照らして書いて見ます。技術がいいのか悪いのか?分かりません?イタリアで骨折の手術(operazione)をしたが、うまくなく日本に帰ってもう一度手術をせねばならなかった、と言う話を聞いたこともありますが、ゴルフ場で脳の血管が破れ、危なかったがヘリコプターが来て病院に連れて行き一命を取り止めた人もいます。この方の話だと日本では、応急処置及びその後の治療も含めて、こうはいかなかったと感謝されてました。一般に公立の病院だと全て保険診療ですし、Pronto
Soccorsoは基本的に無料です。歯医者では、最初保険診療の病院へ行きましたが、抜いた後夜中に血が止まらず、次からは保険の効かない医者にかかりました。保険診療はかなり低額でしたが、一般の医者は逆にかなり高額でした。Pronto
Soccorsoへ子供の事故で行ったときには、大分待たされた記憶がありますが、日本の大病院でも3~4時間はざらに待たされますから、ちょっと比較が難しいかなと思います。事務所で間違って、ハサミで指を1cmくらいえぐってしまった事があり、取りあえず近くのFarmaciaへ行きましたら、そこで治療をしてくれました。20年以上前の事故で未だに傷跡がしっかり残っている怪我でしたが、病院へは結局行かずに済んだことが、ちょっと心配でもあり不思議でもありました。基本的にFarmaciaは処方箋がないと薬を出してくれません。ビタミン剤や目薬などは除きます。犬の寄生虫でfilariaというのがあって、その予防薬を飲ませねばなりませんが、処方箋がないと売ってくれません。またかなり高価な薬ですが、処方箋があるとかなり安くなります。しかし、処方箋を得るためには動物病院(veterinario)へ行かねばなりませんから、結局は高くつきますが。尚、pronto soccorso(緊急の救助=救急病院)の電話は118です。
105.ossobuco(オッソブーコ):食べ物の話をしよう。ossobucoは子牛の骨付き脛肉の煮込みで、ミラノ料理である。ossoは骨、bucoは穴である。ossobucoは穴が開いている骨だと思えば良い。骨髄も食べる。ただ、骨付きなので、意外と食べる量は少ないかも知れない。とてもお腹がすいていていっぱい食べたい人にはお勧めできないかも。 逆にいっぱい食べたい人は、fiorentina(フィオレンティーナ)を薦める。これは、勿論フィレンツェ料理で、正確にはBistecca alla fiorentina という。大体一人前1kgが基本だと言われるが、骨付きで1kgなのか、骨なしで1kgなのかは分からない。普通の人がどれくらい食べるのか知らないが、5人くらいで食べに行ってfiorentinaを1kg
というと、一般の日本人には丁度良いのだが、まあだいたい、そんなんじゃ情けないから駄目だと、言われる。実際には、一般のレストランで、一人前300~500グラムくらいの量が一般的のようだが、店によっては量を売り物にしているので、1人1kg単位の話になる。一度4人で、追加も入れて3700gほど注文したことがあるが、この時は大食漢が二人ほどいて、この二人で3kg以上平らげた。有名なローマ料理には、saltimbocca(サルティンボッカ)がある。これは、salto(跳ぶ)+in+bocca(口)で口に跳びこんでくるくらい、簡単に出来るものという意味らしい。ローマだけの料理ではないが、ローマのものが有名である。子牛の肉と生ハム、セージを巻いて、ワイン、小麦粉、バターなどで作る。さて北から段々降りてきたので、次はナポリになるが、ナポリは料理の名前よりも、spagehtti,
pizza, そしてfrutti di mare(海の幸)料理なら、ここが一番と言うほど料理全体として奥が深い。奥の深さは、今回はおいといて、pizza
Margheritaを上げておこう。ご存知の、pizzaの定番で、大体一番安い。mozzarella 、pomodoro, basilicoをトッピングしているだけだが、pizzaといえば、これが代表格。Margheritaとは、Umberto一世(イタリア王国2代国王の妃の名前で、このpizzaは彼女に捧げる為に作られたとも言われる。赤(pomodoro)、白(mozzarella)、緑(basilico)がイタリア国旗の色を表わすことから。
106.gelato(ジェラート):日本語でも使われるので、説明の必要はないでしょう。gelatoは、gelare(凍らす)の過去分詞形ですから、もともとは単に「凍った」という意味。どうしてアイスクリームのことになったのかは分からない。同じくghiacchareという動詞も「凍らす、氷結させる」という意味があるが、その過去分詞から派生した ghiacciolo(ギアッチョーロ)はアイスキャンデーのことを言う。冷たいものの仲間で、sorbettoはシャーベットのこと、またghiacciataといえば、氷の砕いたものが入っている飲み物を言う。granitaもカキ氷のことを言う時に使われる。さて、gelatoとは本来アイスクリームとは違うと言われているが、イタリアではgelatoをgelato artigianale
とgelato industrialeとに分けている。前者が一般的に言えば、お店で種類を選んでコーンや箱に盛ってくれるもの。後者は紙箱やケースに入ってスーパーやデパートで売られているもの。そしてその違いは、かなり明確です。まず、お店で食べるgelatoは、乳脂肪分が6-10%、箱入りは8-12%となる。空気含有量は前者が最大35%、後者は最低70%と大きく異なる。これは、密度を表わすので、前者はかなり密度が濃いがカロリーは低いということになる。両者の違いは、基本的には生産から消費までの時間であり、前者は速く消費されるのに対し、後者は遠くへ運ばれることもあって、長い保存に適したものとなっている。イタリアのgelatoが何故おいしいか?それは、世界中で唯一、gelato
artigianale(ハンドメイド)の販売量がgelato industriale(工場生産)を上回っているという本物志向の国で作られているからでしょう。
107.torcicollo(トルチコッロ):突然この言葉を書くことになったのは、当校のイタリア人講師が、これになったから。これは、医学的には「斜頚」というがつまり、「寝違えて首が回らなくなったこと」をいいます。torcereは「ねじる」colloは「首」ですから、首がねじれたということ。かなり重症だと、ムチ打ち症状態になるが、ムチ打ち症は colpo di frustaという。frustaは「ムチ」のことで、日本語と同じだ。colpo di strega は既に紹介したが、こちらはぎっくり腰でしたね。さて、torcicolloで「首が回らない」というと、これは日本語では、その前に(借金で)を付けた意味になるのだが、イタリア語でもcollo(首)を使って、fino al collo(首まで浸かって)という言い方をする。E` indebitato fino al collo. は借金で首まで浸かっている(借金で首が回らない)。なお、collo ついででひとつ慣用句をあげておきましょう。 obtorto collo (意に反して)とか(心ならずも)という意味です。これの語源は、ラテン語ですので、obtortoがどういう意味なのか、イタリア語の辞書には載っていませんが、これは普通に使う表現ですから、覚えておきましょう。ラテン語ですよ。
108.pancia(パンチャ):「お腹」のこと。stomacoは(胃)だから、お腹が痛いというときは、avere mal di panciaの方が、直訳としては当たっている。まあ、avere
mal di stomacoといっても意味は同じですが。panciaのように、-ciaで終わる単語はイタリア語には多いが、なんとなく親しみを感じます。それは、日本語にもあるからでしょうね。日本語の、「~ちゃ」には、無茶苦茶、ごちゃごちゃ、ガチャガチャ、いちゃいちゃのように、続けて使うものが多く、だいたいユーモラスなニュアンスがある。スペイン語で、muchacha(ムチャチャ)は、女の子のことで、日本語の無茶苦茶に似ているということで盛り上がったことがありますが、何年も前の話です。日本語には他にも、~茶(ウーロン茶、抹茶)、加藤茶(これは余計ですか)、じっちゃ・ばっちゃ(これは方言の爺さん、婆さん)など、なんだかんだで「ちゃ」で終わる表現は確かに多い。イタリア語の-ciaを探してみました。こういうことは、面白くてすぐに探究心が湧きます。
既に紹介した、doccia, boccia, gocciaなどのほかに、focaccia(フォカッチャ:pizzaのようなパンです)、salsiccia(ソーセージ)、marcia(行進、英語のマーチ)、roccia(岩石)などたくさん有りますね。こんなのもあります、accia(かせ状態のさらしてない糸=繊維関係者にはわかるでしょうが)、coccia(剣のつば)、合わせると アッチャコッチャ。女性の名前にもありますね。Nuccia(ヌッチャ)。なお、farmacia(ファルマチーア)やLucia(ルチーア=女性の名前)は、アクセントが i の上にあるので、チャとは読まないでチーアとなるので注意。 さて、panciaに話を戻して、縮小辞のettoをつけて、pancettaというと、料理用語で豚のバラ肉の塩漬けのことをさす。また、同時に(お腹が少し出ている)の意味もある。pancioneは、-oneという拡大辞をつけるので、(太鼓腹)となる。お腹が少し出ていることを、panzettaともいう。名前は似ているが、panzerotto(パンツェロット)というのは、ミラノでは大変有名な食べ物である。もとは、Puglia州の食べ物だが、ミラノのDuomoの裏にある店は、いつも若者で賑わっている。最後に、おでぶちゃんのことは、ciccioneという。ciccia(お肉、贅肉)というこれも、-ciaで終わる単語の仲間からの派生語ですが、使わないように注意をしておきます。
109. PRECETTO(プレチェット):もしあなたにこのような手紙が来たら、ちょっと緊張することでしょう。これは、「命令」「勧告」という、公的機関からの拒否出来ない書類です。「召喚状」なども指す。今回は不思議な話を紹介します。いや、ひょっとしたら不思議でもなんでもなく、私だけが不思議だと思っているのかも知れない。イタリアには徴兵制度がありました。あったというのは、2005年1月から廃止されて、志願制度になったからです。1996年に私はイタリアにいました。そのとき、このPRECETTOが私の息子あてに届いたのです。この場合のprecettoの訳は「召集令状」です。Precettoはまず、この文句から始まります。REPUBBLICA
ITALIANA(イタリア共和国) Distretto militare-Ufficio leva di Milano(軍管区ーミラノ徴兵事務所)そして、LEVA SULLA CLASSE DEI NATI NELL'ANNO 1978(1978年生まれ兵の徴兵)と続き、PRECETTO
per presentarsi alla visita pscico-fisica di leva e selezione per essere
arruolato, se idoneo al servizio militare. (命令 兵役につけるものは、適正検査を受け、入隊のため出頭すべし)とある。ここでいったん切れ、IL SINDACO invita l'iscritto
di leva (ここに名前、生まれた場所、誕生日、住所などが入る)a PRESENTRSI entro le ore 8,00 del giorno
XX al consiglio di leva XXと後は、上に書かれていることと似たような内容が続く。つまり、最初はイタリア共和国の命令で、次にミラノ市長からの命令と続く。そして、Il
destinatario del presente precetto, non presentandosi in tale giorno, sara`
dichiarato renitente e potra` incorrere nel relativo reato, punibile ai
sensi dell'art XXXX. (この召集令状の受取人が、指定された日時に出頭しない場合、命令に従わないものと認め、法律に従いその不法行為に対して処罰される恐れがある)という文言が続いています。お断りしておきますが、私の妻も日本人で、勿論息子も日本人。96年に18歳になったということで、この令状が届きました。すぐにcomuneに行き、私の息子は日本人だと言ったところ、関係ないと言われてしまった。私は逆に、日本人がイタリアの軍隊に入ってもいいのだろうか、と思ったのだが、どうも関係ないらしい。なんと、おおらかな。じゃ息子にイタリアの軍隊に入らせようかと一瞬は思ったのですが、実はその時息子は高校生でイタリアにはいなかったのです。それで、総領事館へ行って、息子は日本人であるということと、今学業のためにイタリアにはいないという証明書を書いてもらって、それを提出して一件落着となったのだが、落着となった理由は、どうも日本人であるということではなく、学業でイタリアにはいないということだったようだ。現在、イタリアでは徴兵制がなくなったので、こんな経験をされる方はいないかと思うが、私の手元にはいまだにこのPRECETTOがある。なお、下位春吉という人が「大戦中のイタリア」という本を書いているが(大正15年発行)彼は、なんと日本人でありながら志願兵として、イタリア軍隊に入り第一次世界大戦に従軍している。彼はD'Annunzioとも親交があったことで知られているが。そういう歴史をみれば、日本人だからって、イタリアに住んでいれば徴兵しない理由はないのかもしれないが。今思えば、息子に少しだけでも軍隊を覗いて来てほしかったなと。いずれにしろ、この国に住んでいると色々なことが起きて、飽きないでよろしい。
110.anguilla(アングイッラ)とanguria(アングーリア):単語が似ていてなかなか覚えられないものの一つが、これだ。anguillaはウナギ、anguriaはスイカのことである。ミラノの近郊を通ると、夏にはこのanguiriaが道路端に山ほど積んであるところがあった。多分全部なくなるのに2ケ月ほどはかかったと思うが、通るたびにだんだん少なくなっているのがわかる。こちらの、スイカの売り方は、とにかくどーんと積んであるだけ。車で通りかかった人が、その中から選んで買っていく。売る方も、声を上げるでもなく、ただ、スイカのそばに座っているか、ほとんどの場合スイカの周りには誰もいない。anguriaとは、北イタリアでのスイカの呼び名で、一般にはcocomero(ココメロ)という。なお、ココやしのことは、cocco(コッコ)といい、cocomeroとは違う。cocomeroを省略してcocoとは言わない。coccoと間違えやすいから。ついでに言うと、cocaは今コーラのことを指すが、もともとは、コカの木のこと。今は、cocaというと、cocaina(コカイン)のことも指すので、使う時には注意。他に間違えやすいのに、capello(髪の毛)とcappello(帽子)がある。これは、聞いてもほとんど区別が分からない。状況で判断するしかないでしょう。さて、話を戻してanguillaのことだが、みなさんゴジラはご存じだと思うが、アンギラスというのは聞いたことがありますか。これが最初のゴジラ映画だったのかどうか、そこまで詳しくゴジラのことは知らないが、初めてみたゴジラ映画は、ゴジラ対アンギラスだった。このアンギラスというのは、イタリア語を勉強してからは、ウナギ(anguilla)の怪獣のことだと思っていた。しかし一説にはウナギとは関係なく、公募で名前を決めたとある。しかし、つけた方が、ラテン語から発想していないとは言えないだろう。、今となってはわかりようもないが。しかし、アンギラスは海外では、アンジラとウナギの学名で呼ばれている(学名といいうのは、基本的にラテン語)そうだから、少なくとも海外でのアンギラスはウナギのイメージで問題なさそうです。但し、アンギラスそのものは、恐竜からイメージしたもので、どうみてもカメかトカゲの怪獣という感じで、ちょっとウナギとは遠い。従い、私は敢えて、アンギラスはウナギだと主張するつもりはありません。
111.ciabatta(チャバッタ):履物について、分類してみよう。ciabattaは、パンの名前として有名なようだが、本来は「スリッパ」という意味である。パンの名前になったのは、パンをスライスした形がスリッパの形(というより、足裏の形)をしているからに他ならない。ciabatte
は通常、土足のスリッパ、草履やサンダル(カカトが平べったいもの、ビーチサンダルなども含む)の意味で使います。室内履きの方は、pantofole(パントーフォレ(複))という。pantofoleは通常は足先の部分がおおわれている形状のいわゆるスリッパだが、特に形は決まっておらず、靴の形をしたものも室内履きならpantofoleと呼ぶこともある。zoccoloは木靴のことである。この言葉は、馬など動物のひづめのことも言う。サンダルに木(コルクなど)を使ってあれば、それもzoccoloと呼ぶ。また、sandalo(sandali)という言葉もある。これは、普通のサンダル(踵があるもの)のことを言うのだが、ciabatteと特に境界があるわけでなく、人によってciabatteと呼んだり、sandaliと呼んだりしている。またciabattaは、ぼろ靴のことも指すこともあり、sandaliよりは、一般的には安っぽい印象である。ファッション的なものは、どちらかと言えば
sandali と呼ばれる。stivaliは長靴。勿論、長靴はイタリアのことでもある(Stivaleという)。stivaliをよく見ると、Italiaという文字が隠れていると思うのは、考えすぎだろうか? anagramma(アナグラム)としては成立はしていないが。
112.binario(ビナーリオ):イタリアで列車旅行をしたことがある方なら、何となく目にしたか耳にしたことがあるのがこの言葉。駅でのアナウンスです。”Il treno regionale 2603 delle ore 11:15 per Firenze e` in partenza dal
binario 19”.(ローカル線11時15分発フィレンツィエ行きは19番線から出発します) Il treno Intercity 2901 delle ore 11:25 proveniente da Ancona e` in arrivo al binario 17.(インターシティ2901号、アンコーナ発列車は17番線に到着します). Attenzione, allontanarsi dalla linea gialla. ”このようなアナウンスを聞いたことがあるでしょう。binarioはプラットフォームのことですね。最後には「黄色い線の内側までお下がり下さい」という言葉ですが、イタリアでも日本と同じことを言ってます。 さて、bi-は「ふたつ」という意味ですね。bicicletta「二輪車=自転車」、binocolo「双眼鏡」、biennale「2年ごとの祭典」などが知られていると思います。binarioには、線路と言う意味があります。つまり二つレールがあって、線路=binarioというわけです。また、binarioはもともとは、2進(2進法の数字)のことです。1と0を並べた数字です。 レールのことは、rotaiaといいます。鉄道は ferrovia(=鉄+道)と呼びます。では、モノレールは? これは、monorotaiaと呼び、binarioは使わないようです。次のようなアナウンスもご紹介しておきましょう。遅延のアナウンス annncio ritardo del treno: Il treno frecciarossa 9012 di Treniitalia delle
ore 1715 proveniente da Torino Portanuova arrivera`con 50 minuti di ritardo
per attesa materiale corrispondente. Ci scusiamo per disagio.(ご迷惑をお詫びします) 次のアナウンスは困りますね annucio cancellazione treno(運行停止のご連絡): Ilo treno
regionale previsto in partenza delle ore 10:05 oggi non sara` effettuato.(10時5分発のローカル列車は今日は運行停止です)
113.dialogo(ディアーロゴ) : catalogoという書き始めにしようかと思いましたが、いや既にこれは85番で使っておりましたので、dialogoとします。catalogoは日本語で「型録」とも書きますが、これは全くの当て字。「背広」なぞも、サビル・ローというイギリスの地名から採ったものだそうですが、これらの漢字はなんとなくイメージを出そうと当てたものでしょうね。まあ、こんな話はどうでもよいのですが、catalogoは、cata-logoという合成語です。-logoは、monologo(独白), prologo(序言)、epilogo(終章)、dialogo(対話)などの意味では、「論議」「談話」を意味します。前につけて、会社の「ロゴ」は、logotipoと言います。logoは他には、学者や専門家を意味し、meteorologo(気象学者)、astrologo(占星術師)などと使われます。さて、logoの前の方についている、monoはひとつ、proは前、epiは後ろを意味します。そしてdiaは通過とか媒介を表わすんだそうです。dialogoというのは、言葉が通過するまたは媒介するから、対話になるということでしょうね。こういう接頭辞や接尾辞は、漢字でいえばヘンやツクリに相当するもので、こういうものを調べてみても結構思い白いものです。なお、cata-が何かと調べてみましたが、cata-はギリシア語では「下」という意味があるそうです。例えば、catacombe「地下墓地」は分かりますが、catalogoのcataは違うようです。 カタマランという双胴艇がありますが、イタリア語ではcatamarinoといいます。しかしこれも、「下」とは関係がなく、もともとはタミール語(スリランカ)だとのこと。まあ、今のところcatalogoのcata-が何かは分からずじまいですが、ご存じの方がいらっしゃったら教えて下さい。また、catalogoというのは、目録ということで全てのデータが載っているものを指し、一枚や数枚で宣伝用に作ったパンフレットのことは、catalogoとは呼ばずdepliant(デプリアン=フランス語)と言います。
114. mare(マーレ):male もカタカナで書くと、マーレとなる。日本語には、厳密にいえばは別にして、一般にはRとLの区別がないので、トラブルが起きることがある。勿論RとLだけでなく、アクセントや抑揚、その他の発音でも色々と問題は起こる。要はそんなことでいちいちめげてたら、会話はできないし語学は上達しない。日本語でも上方と東京では、言葉やアクセントはかなりことなるのだから。ある人が小包を船便で送ろうと、郵便局でmare?と聞いたら、局員さんが、Bene,
bene.と言ってきた。送ろうとした人はbeneだから良かったと、そのまま帰ってきたが、実は male?(ダメですか?)と相手には聞こえていて、相手は「いや大丈夫」だと答えたのだが。会話にはなっていないが、ことは収まっている。(本当にvia
mare=船便で行ったのかどうかはわからないが)。中国でおおよそ1985-6年頃だと思うが、個人タクシーが増えてきた。それまでは国営企業で、料金は決まっていたのだが、個人タクシーになると乗ってから料金を交渉しなければならなくなった。相手がいくらかというのを、1~2回ねぎって、まあいいかと、「可以」(OKの意味)といったつもりだが、相手は、うーんと考えてまた値段を下げてきた。実は、私の中国語の発音、特に四声はめちゃくちゃなので、「貴」(高い)と聞こえたらしい(ちなみにどちらも私にとっては「クーイ」のような音である)。これなどは、とくした例である。従い、あまり細かいことに気を遣わない方が良い。私の発音の失敗談は51番にも載せているが、まあ山ほどある。恐らくみなさんも一つや二つはあるのではないでしょうか。たまにはいいこともあると、思うのがいいのでは。知り合いのオーストラリア人は、Hakoneを「ヘイコーン」、Ikebukuroを「アイクビューロー」と言っていて、一体どこへいくのかさっぱり分からなかった。東京に(小竹向原)という場所があるが、そこに住んでいる当校講師のイギリス人が言うと、小竹がケンタッキーと聞こえる。イタリア語は、LやRを除くと発音にはそれほど困らないが、英語などはネイティブらしい発音を覚えるよりも、中味が大事だと思うが如何か?日本語の発音でも文章を話せる、自分の意見を言うことがどれほど大事かということです。私は、外国語のテキストで一通り学習したら、次は作文を勧めます。日本語を外国語にしないで、どうして自分の意見と言えるのか、と思うのです。
115.passaggio(パッサッジョ):一般の意味は、通路とか通過。 "Vietato Passaggio" という看板があったら、通行禁止(または通り抜け禁止)。"passaggio
pedonale"は「舗道」、passaggio sotteraneo は「地下道」。passaggio a livelloは、「踏切」のことである。さて、この踏切だが、意外とイタリアなどにはない。日本にもないと思うのは、住んでいる場所によるのであって、東京に住んでおられる方は、私鉄はほとんどこの踏切であることをご存じですね。都内の新宿や池袋に近い、私鉄沿線は場合によっては、6~8台ほど電車が行ったり来たりで、開くまで相当待たされてイライラする方も多いでしょう。イタリアでも、めったに見かけないが、地方へ行くと高架されていない関係で、踏切に出会うことがある。それは、ほとんどかなりの田舎であることが多い。イタリアで何度か踏切を渡った経験がありますが、イタリアの踏切の特徴は、何と列車が来る30分ほど前に閉まってしまうこと。従い、踏切がある場所に、BARがあることがあります。踏切が閉まったら、みなやおら車から降りてきて、そのBARに入り、ESPRESSOを一杯飲んで、列車の通過を待ちます。結局これで、いらいらすることもなく待っていられるのでしょうね。遮断機が早く閉まる理由は、だいたい無人の踏切ですから、早めに閉めて事故を防ごうと言うことらしい。まあ、分かっている人は、コーヒーが飲めて良いと、特に騒ぐ人はいない。なお、遮断機のことは、sbarraといいます。また、passaggioには、車に乗せること、ヒッチハイクなどの意味もあり、Ti offro un passaggio alla
stazione.といったら、(駅まで乗せてあげるよ)という意味です。
116.gianchetti(ジャンケッティ):biachettiとも言うらしいが、ミラノではgianchettiである。Liguria料理だそうだが、これは、「シラス」「シラウオ」または「ジャコ」のことを言う。なんともユーモラスな名前で、忘れられない。このシラスは、特別なネットを使って捕る、そして捕る時期も決められており、比較的価格は高い。茹でで、温かいうちにオリーブオイルとレモンをかけて食べるととてもおいしい(リグリア料理)。捕れるのは、冬だけ。従い、春先に食べるのが良い(この時期でないと食べられない)。まあ、一度聞くと忘れられない言葉のひとつでしょう。何しろ、ジャンケンに似てますから。辞書を引いてみたが載っていない、イタリア人でもBianchettiと言えば分かるが、gianchettiでは分からないひともいる。でもね、やはりこれはgianchettiでないとね。
117.coppa(コッパ):cup(カップ)のことである。訳せばそれで終わりだが、この言葉はよく聞くので、覚えておいて損はない。Coppa Mondiale
(ワールドカップ)、Coppa Italia(イタリアカップ)などの優勝杯の争奪戦、アイスクリームの紙カップ(コーンではない、コーンはconoという)、またブラジャーのカップのこともこれを使う。サッカーなどのカップ戦は、coppaを使うが、年間を通して戦うリーグ戦のことは、scudetto(スクデット)と言います。こちらは、「盾」のこと。また、a cup of coffeeのように、コーヒーやティーカップのことは、tazza(タッザ)を使って、una tazza di caffe`(te`) といいます。ちなみに、una tazza da caffe`と言えば、一杯のコーヒーではなく、コーヒー碗一皿のことなので、diとdaは間違えないように。小さいコーヒーカップのことをデミタスと言いますが、イタリア語ではtazzinaとなります。
118.buffone(ブッフォーネ):10番でbuffoneについて、少し説明しています。RigolettoというVerdiのオペラの第一幕で、Mantova公爵がRigoletto(主人公であるが、実は道化役者)を指して、”Buffone!"と叫ぶ場面があります。「道化役者め!」という悪口で言っているのでしょうが、相手は、まさにその道化役者ですけれどね。buffoneは勿論、buffo「おかしな、コミックな」に拡大を意味する接尾語-oneをつけたものです。しかし、この言葉は悪口としてよく使われます。長く政権を維持していた首相が辞めました。辞任会見のあと、彼に対して色々な言葉が飛んでいます。その中に、"buffone!”というのがあります。この場合は「道化者!」というよりも、単なる悪口というところでしょうね。道化師には、pagliaccio(パリアッチョ)というイタリア語もあり、これも「道化師」というオペラで有名ですが、やはりこの言葉も、悪口として使われます。Idiota!(ばか!)などはダイレクトな強い悪口ですが、buffone, pagliaccioは、そこまではっきりとは言っていないという感じでしょうか。なお、悪口として良くつかわれる言葉に、vergogna! があります。英語ではShame!と言って、同じ意味ですが、「恥」です。同じ言葉でイタリア語は"scemo”も使います。勿論、人に対して投げつけられた場合は、「恥さらし!」という、大変きつい言葉になります。サッカー選手が、決定的なゴールを外したり、代表選手が負けて海外から帰国したりした時に、この言葉は容赦なく浴びせられています。皆さんは使わない方が無難ですよ。
119.nipote(ニポーテ):parente(パレンテ)は「親戚」「親類」「親族」のことを言います。genitoriは複数形で、「両親」のこと。genitoreと単数で使えば、父親の意味だが今は使われない。父親母親はPadre-madre、兄弟姉妹は、fratello,sorellaで、いずれも教会から出てきたものである。(padre=神、神父 madre=修道女、修道院長 frate=修道士 suora=修道女)さて、その次は「孫」だが、これをnipoteという。が、nipoteはもうひとつ意味がある。「甥」と「姪」である。だから、子供を指して言う時に、あれはnipoteだといっても、孫か甥(または姪)か分からない。なぜなのか、父親母親からみると、子供の子供だからどちらも「孫」である。父親の子供からみると自分の子供(figlio/figila)と甥(または姪)で違うのだが、イタリアは大家族主義の国。父親母親を中心に考えると(つまり、おじいさんおばあさんが中心)、子供とその子供(孫)でしかないという考えらしい。なお、ひ孫のことは、pronipoteといい、そのまた下の玄孫(やしゃご)もpronipoteというらしい。ただ、甥の子供は日本語で何というかというと、姪孫(てっそん)とか又甥とか言うらしいが、これも当然イタリア語ではpronipoteであって、考え様によっては、孫あたりから先は関係も薄くなるので、あまり区別しないで呼び名も統一している方が返って親しみが湧くかも知れないですね。イタリアでは、名前は聖人の名などから取るので、Marco,
Maria, Pietro, Paoloなど共通の名前が多く大体覚えやすい。nipoteで孫も甥姪も統一しているのは、呼び方を簡単にして親しく付き合うというような知恵も働いているのかなと思う。日本では最近特に名前に方に凝っているので、子供の名前が読みにくいし、覚えにくいが、名字の方は意外と、佐藤、鈴木さんをはじめとして共通の名前が多い。イタリアでは同じ苗字の人に出会うことがあまりなく、出会ったら親戚じゃないかというくらい、苗字の数は多い。そんな中で、変わった苗字も多い。Battaglia(戦闘)、Guerra(戦争)、Tempesta(嵐)さんなどは、私があった中でもすごい名前の人たちだったが、Peloso(毛深い)さんや、Xoccatoさんというのは、Venetoの人だが読みかたは、クソッカートとなるので、ちょっと日本人には呼びかけにくい名前だ。しかし、今この名前のデザイナーがいる。やはりVentoの人なので、私が以前にあったことのある服飾メーカーの娘かも知れないと思っているが、この人の名前は日本では何と発音するのだろう。ソッカートでも通るのかな?。
120.ricevuta(リチェブータ)とfattura(ファッツーラ):イタリアへ公務で出張される場合は、出張精算のために領収書が必要になります。領収書のことを、ricevutaといいます。ホテルなどでは、ちゃんとした領収書をくれます。これは、fatturaといいます。fatturaの方は、タイプアップしてあり、発行者の税務番号などが書かれており、いわゆる正式な税務申告書としての領収書ということになりますが、一般にレストランやタクシーで発行するものは、手書きのものでこれがricevutaです。ricevutaでも、一応は領収書のフォームになっていますので、イタリアでは領収書として処理することが出来ます。領収書を要求しても、普通の紙の切れっぱしに、料金だけを書いたものをくれることがあります。こういう誰でも書けるものは、日本でもそうですが正式な領収書にはなりません。こういうのは、bigliettoといいます。ただ、タクシーなどに領収書を求めるときに、ricevutaと言わないで、Biglietto, per favore! と言ってもくれるものは、ricevutaですから bigliettoとricevutaに大きな違いがあるわけではありません。イタリアでは脱税を防ぐために、商店などではfatturaまたはricevutaの発行を義務付けています。客の方にも貰うことを義務付けています。従い、お店から出たら、誰かに貴方が買ったものの領収書を見せてくれと言われるかもしれません。それは、財務警察かも知れません。もし、貴方が領収書をもらわなかったとしたら、罰せられます。(注意:街の中で貴方に近寄って何か=特にパスポート=を見せてくれと言われた場合、基本的には絶対見せてはいけません。警察だと言ってきたら、まずは疑ってみること。従い財務警察の場合も一旦は疑ってみることです。)さて、イタリア語は良く分からないが、イタリアには良く出張する人が、ricevutaのことを、「リッチな豚」だと覚えていました。なるほどこうすると忘れないそうです。じゃ、さだめしfatturaは「ファットな虎」ですかね。
121.erba(エルバ):言葉は全てが=で繋がっている訳ではない。「何を言ってるんだこのおっさんは?」と反応された方に、説明を加えますと、例えば昔英語でリンゴはapple,
ナシはpearだと習ったが、西洋のpear(イタリア語ではpera)は、日本の梨とは全く違うものだった。最近は西洋ナシとか、ラフランス(これも違うのかもしれませんが)とかつけられて区別されているようではあるが。日本で豚と呼ぶが、中国語では猪と書く。一方イノシシは野猪と書くらしい。手紙は中国語ではトイレットペーパーのことになるそうだ。というようなことを言いたかったのですが、ちょっと言葉足らずでした。それで、erbaに戻ると、これは英語ではherbと言い、日本語ではハーブ(香草)のことになる。しかしイタリア語では、「草」の意味で,香草はerba armatica(但しこれは料理に使う香草という意味)という。つまり、erbaには、ローズマリーや、セージなどのようなハーブの意味は特になく、全ての「草」のことをいう。parsley
, sage, rosemary and thyme (スカボロフェアの歌詞に出てくる順番)の順に、イタリア語では、prezzemolo, salvia, rosmarino, timoと言います。日本語でサルビアと呼ぶ春から秋にかけて大変長い間咲いてくれる花がありますが、あれはイタリア語なんですね。ハーブではありませんが、viola(ヴィオラ)もイタリア語ですね。Violettaは女性の名前です。オペラのTraviata(椿姫)の主人公の名前で有名です。
122.cioccolata(チョッコラータ):cioccolataは「ココア」のことであるが、チョコレートのこともいう。cioccolatoと男性形にすると、これはチョコレートのことで、cioccolatinoといえば、小さい一口用くらいのチョコレートの事を言う。イタリアでココアを飲もうとcioccolataを頼むと、液状化したチョコレートが出てくる。このココアと飲み物のチョコレートの違いが良く分からない。日本はココアといえば、○○ホーテンのような、粉末状のものを溶かして飲むが、cioccolataほどドロドロにはしないので、どうも別の飲み物だという気がする。明治維新以来日本には海外のものが色々入ってきたが、本物はなかなか手に入れがたかった。例えば、紅茶でも普通のセイロンティーが紅茶だと思っていたが、1980年頃からだろうか段々オレンジペコーやらアールグレイやらが飲めるようになって、紅茶にも色々あるんだなと、私などは感心していたものだ。しかし、その頃イギリスへ行って飲んだアールグレイが、日本で飲むアールグレイとは全く香りも味も異なることに気付いた。今では、普通にこれらのものが日本にも入ってくるが、当時は、恐らく安い部類のお茶を輸入していたのだと考えられる。コーヒーも然り、またワインなども然り。本物を手にするまでは相当な時を要してきたのだと思う。さて、イタリア語に話を戻すと、同じものを表現するのに、男性形を使ったり女性形をつ語りするものがある。cioccolato,
cioccolataも一つの例であれば、時間を言うときの30分(半)はmezzoでもmezzaでも良い。tavoloはtavolaというときもあるが、基本的にtavolaは食卓である。果物は、frutta-frutto, mela-melo, pera-pero,castagna-castagno, arancia-arancioなど、男性形と女性形があるが、女性形はフルーツ、男性形はその木である。fruttaは果物、fruttoは果実である。従い、バナナの木は、bananoという。
123.piombo(ピオンボ):ガソリン(イタリア語では、benzina)には、どんな種類があって、どんな政策が絡んでいるのか良く分からないが、日本とイタリアで、ちょっと違うなと思うのがガソリンの種類である。日本の給油所(distributore
di benzina, benzinaio)では、無鉛しかないので、何も言う必要はないが、イタリアでは無鉛ガソリンがほしいなら、senza piomboという。一方、日本には、レギュラーとハイオクがあるが、イタリアは全てハイオクだから、こちらは選ぶ必要がない。 また、イタリアだけでなくヨーロッパには、ディーゼル車が多い。ディーゼルは馬力は弱いが、環境に良いと言う。ところが日本では、ディーゼルは環境に悪く、ディーゼルトラックを東京都から締め出そうとしたことがある(この話はその後どうなったのか知らないが)。結局、ディーゼルが良いのか悪いのか、未だに良く分からない。ちなみに、ディーゼル(軽油)はgasolioという。 油に関しては国策が絡んで、とにかく分かりにくい。近代の戦争は全て油が絡んでいるともいわれる。1900年の初頭以来、メジャーが力を握って、世界を支配してきた。イタリアでこのメジャーにseven
sisters(Sette Sorelle)と名付け、メジャーに戦いを挑み、そしてメジャーを恐れさせ、飛行機事故で死亡した英雄(イタリアでは)がいる。彼の名前はEnrico Mattei。名前を覚えていて損はない。筆者が学生時代に、Il Caso Mattei(マッテイ事件:邦題「黒い砂漠」)という映画が公開されたが、当時アルバイトでパンフレットの翻訳のようなことをした。初めてみた、日本ヘラルド映画の試写室が未だに記憶に残っている。恐らく1972年の頃の話である。(あとで気づきましたが、1972年は日本にいなかったので、1973年ではないかと思います。尚、これを書いている時に、イランからの原油輸入削減要求がアメリカから出されているとの記事があり、理由は核兵器開発に絡む制裁措置だそうだが、言葉通りには受け取りにくい気がするのは、丁度Matteiのことを書いたあとだったから??)(追記:現在イタリアでは、全て無鉛ガソリンだそうです。尚、benzina senza piombo のことは、benzina verdeともいいます )
124.pensare: 動詞のpensareとthinkと「思う」と「考える」について:pensareもthinkも(思う、考える)と訳されるが、日本語の「思う」と「考える」は違うのではないだろうかなどと思う(考える)。「思う」は一瞬だが「考える」は間がある。名詞は、「思考」と書くが、これは「思って考える」という事で、思うと考えるは別になっている。従い、外国語は、「思う」も、「考える」も一語で済ませるとは、単純であり、東洋言語にはかなわないだろうと思う(考える)とさて、そうでもない。日本語の「思う」もかなり使い方が広い。何かへの同意を求めるときに、(君はどう思う?)と聞くが、イタリア語では、Che
ne pensi? とも、Cosa ne dici?(それについて君は何と言う?)ともいう。つまり、ここでは日本語の「思う」が、イタリア語では「思う」と「(~について)言う」に分かれる。また、capireは「理解する」と言う意味だが、例えば、誰かが70(settanta)と言ったとして、貴方がそれを60(sessanta)と聞き間違ったとしたら、Ho
capito 70. という。これは日本語では「私は70だと思った」である。イタリア語では、「私は70だと理解した」となるのだが、ここでも日本語は「思う」を使う。日本人は、感受性が強いので「思い」、外国人は理屈っぽいので「考える」のだろうか。どちらもあまり説得性はないように感じる(思う、考える)。 どちらかと言えば、pensareもthinkも瞬間的な「思う」の方に近いのではないかと思う(考える)。「考える」ときには、pensare
beneとかthink overとか、副詞を添えて使うのではないだろうか。デカルトの「我思う故に我あり」"Penso, dunque
sono.",(英語では" I think, therefore I am."というが)は、自分の存在を理解する事だとしたら、これが「われ思う~」と訳されたのは、正しいのかも知れない。しかし、この命題の説明に「自分の存在を考えることが、存在の証明だ」と日本語で説明を加えた途端に、これが意味することが分からなくなってしまう。何故なら、この命題は「思うこと」を述べているのであって、「考えること」ではないのだから。翻訳って難しいですね。彫刻家ロダンの作に「考える人」があるが、これのイタリア語訳は Il
Pensatore、英語はTthe Thinkerとなっていて、これはもともとのフランス語をそのまま訳したらしい。従い、これは「考える人」と訳そうと「思う人」と訳そうとどちらでも良かったことになる。
ただ、思うと考えるを分けて表現する方法はある。それは、現在進行形で表現すること。つまり、pensareは「思う」だが、stare+pensando(現在進行形)は「考える」である。私がレッスンで、日本語には現在形と過去形しかないと言うと、皆さん一瞬変な顔をなさる。未来形もある「~だろう」がそれで、進行形は「~しているところである」というではないかと。残念ながら、これらは全て現在形の言い回しにすぎない。「形」とは、動詞そのものが変化するか、助動詞を補って形が変わるものを言うので、「~だろう」は予想を述べている現在形で、「~しているところである」は状態を述べている現在形である。勿論日本語には、英語の現在完了形もなく、イタリア語の接続法や条件法もない。外国語のこれらの(法)や(形)は、動詞に一定の意味を与えている。例えば、英語の現在完了形は、(現在までの経験)(現在まで影響を及ぼす過去の動作)を表す。He
has been to England.は、彼は英国に行った(ことがある)。I have lost my key. は、私は鍵を失くした(そしてそれをまだ見つけていない)。の意味だが、文章では( )の中のことは言っていない。イタリア語の条件法は、(ある一定の条件のもとに現実となる動作や状態)を表す。Vorrei
mangiare gli spaghetti.は、スパゲッティが食べたい(のだが、持ってきてくれますか/どこかで売ってないかな)、Avrei
voluto mangiare guegli spaghetti.は、あのスパゲッティが食べたかった(だが、食べなかった/食べることが出来なかった)のように、( )の中を暗に意味する。接続法に至っては、主観的な表現を客観的表現と完全に分けたものである。Penso
che lui non ci venga. 彼はここには来ないと思う。Spero che lui ci venga.彼がここに来ればいいのに。これらは、予想、希望などを述べているもので、客観的な事実ではない。つまり、イタリア語や英語にある「時制」とは、その中に意味を含んでおり、一方日本語は言葉の言い回しで表現する。読解学習で重要なのは、主語、目的語と時制である。主語と目的語は日本語では実にあいまいなので、まずこれをとらえること。時制は、既に述べたように、同等なる時制(法も含む)は日本語には存在しないことを理解しつつ、その持つ意味を考えることである。文法の話が長くなってしまった。
125.storia(ストーリア): storiaは歴史のことである。これが英語になるとstoryとなって、歴史の意味はなく、物語となる。歴史はhi-をつけて、historyとしなければならない。高校の頃、歴史を学ぶ際にこんなことを思った。我々より前の人は学ぶ歴史が少なくていいな、でも我々より後の人はもっと増えてますます大変だろうな、と。アメリカではアメリカの歴史を学ばないと聞いた。まあ全く学ばないことはないだろうが、代わりにヨーロッパの歴史を学ぶ。日本では、日本史と世界史を学ぶから、アメリカでは歴史の勉強はかなり楽でよろしい。実は英語のhistoryは、ヘロドトスが書いた「歴史」がギリシア語でhistoriaiと呼ばれ、これから派生したらしい(歴史とは何か:岡田英弘)。しかし、historiaiの意味は、「歴史」などではなく、調査研究というような意味だそうである。つまり、ヘロドトスが「歴史」を書いたころには、歴史というものはなく、物語があったにすぎない。ここで、storia(イタリア語)とstory(英語)がくっついた。なお、イタリア語では物語は、racconto、novella(小話)、romanzo(小説)などという。
126.mammoneとnapoletano:イタリアで地中海クルーズ(crociera)の大型船が座礁して転覆した。船長(capitano)が、乗客(passeggeri)よりも早く逃げたと問題になっている。だから、イタリア人は駄目だなどと思われてしまうかもしれないが、そんなことはない。彼が岸に上がってから、日本だと海上保安庁にあたるようなところに電話をした記録が音声で放送されている。その時に担当者は、強い口調でこのcapitanoを非難し、早く船に戻れと指示しているのだ。それが、一般的なイタリア人の感覚なら救われる。一方capitanoは、報道によれば母親に電話を入れたとある。そこで、このmammoneが出てくる。これは、イタリア語の「マザコン」に当たる。但し、この言葉はこの船長だけへの言葉でなく、イタリアの多くの男性(女性も)が、母親から独立出来ない様子を指す言葉だ。船がなぜ座礁したかについては、今後色々調べられるだろうが、船員に故郷を見せてあげる為に岸に近寄り過ぎたと言っている。私にはひとつ思い出すことがあった。あるときミラノで車が渋滞していたのだが、その原因は一台の車にあった。その車には3人の男性が乗っていて、舗道を歩いている女性の品定めをしていた。その間運転手は、ハンドルを放し車を斜めに停車させていた為、後ろの車が渋滞していたのだ。そのくるまはナポリナンバーだった(昔はナンバープレートで登録地が分かった)。この船長もナポリ出身だそうである。私の予想は、この船長は船員に故郷を見せたのではないということである。故郷を見せるくらいでは、岸により過ぎである。これ以上の邪推はやめておきますし、また、たまたま遭遇した一つだけの例を元に、ナポリ人への偏見とも取れる表現をしたことについては、訂正しておかねばならない。ただ、このような事故の報道で思ったのは、どれが事実なんだろうかということである。事実は、fattoという。fattoとは、fareの過去分詞であり、まさしく「起こったこと=事実」なのである。しかし、これが書かれるときには、誰かの主観や利害がかかわってきて、story(storia)になる。前項で述べたように、historyはstoryなのである。国家間における戦争の歴史などは、全てstoryだと思えば、いちいち間違いを論ずるには当たらない。
127.paese(パエーゼ):paeseにはふたつ意味がある。国と、村である。実は英語でも countryには、国と田舎(地方)の意味があり、日本語も「くに」は、国と故郷の意味がある。日本人同士で「おくにはどこですか」と聞いたら、県や市のことだ。何故国と田舎(もしくは村)が同じかというと、誰でも想像はつくだろうが、昔の行政単位は小さく(日本なら各藩)それを国と呼んでいたからだろう。ただ、日本はこの20~30年の間に、主として効率化を目的として市町村合併が行われて来た。その効果がどれくらい現れているのか、実態は分からない(どうせ、役所から出てくるデータは「成果がある」というものだろうから)。私のあいまいな記憶では、30年ほど前には日本で5000ほどの行政単位(市、町、村)があり、それが2000ほどに減ったはずだ。イタリアはもともと日本の半分の人口で、行政単位が8000ほどもあった。同じ様に、経費節減で合併をはかったが、殆ど成功せず今でも相変わらず8000ほどある。理由は、歴史的な問題である。イタリアは町、村がくっついていることはまずない。必ず、間に農村、林、川などがあり離れている。昔から離れているので、例え5kmほどしか離れていなくても、それぞれの文化を持っている。これを合併させろなど、無理な話だと反発があったと聞いた。この行政単位のことをcomuneという。イタリアのComuneの歴史は古く、10世紀ころから発達しているので、現代人が簡単にそれを変えていいのかの問題もあるのだろう。恐らく経費的には効率は悪いのだろうが、文化は守れている。尚、paesaggioは「風景」、paesanoは「地方の人」の意味である。日本語の(田舎者)という馬鹿にした言い方ではない。それはcafone(但し南イタリア方言)という(覚えなくても良い)。
128.latino(ラティーノ):ラテン語のこと。殆どの欧州言語のもとであり、もともとはラティウムという地方の言語。ラティウムとは今のLazio州あたりのことを言うらしい。ラテン語には古ラテン語(~BC2世紀)、古典ラテン語、俗ラテン語となどと称されるものがあり、細かい説明は専門家に譲る。要するに俗ラテン語が、イタリア語を始めとしてフランス語、スペイン語などのロマンス語系といった言葉に発展していった。ドイツ語もラテン語の影響を受けており、更に英語はラテン語、ゲルマン語、ケルト語から作られているという。ケルト語についても現在すでに残っていない(らしい)。ケルトとはギリシア語でガリアの意味だそうで、もともとはフランスのアルプス地方にすむ民族のこと(だそうだ)。ケルトとはceltと書き、現在ではアイルランドかスコットランドに住む民族とのことになってこれらが後に移住したのだろうか。どうも複雑である。以前に中村俊輔というサッカー選手が属したスコットランドのサッカーチームは、Celticというが、これはセルティックと呼んでいた。当校にイギリス人講師に聞くと、celtと書いてセルトと読むかケルトと読むかは、彼らも分からないそうで、習慣に従っているとのこと。イタリア語では書いたとおりにcelta(チェルタ=ケルト人)と呼ぶ。ゲルマン語もそれ単体としては、ラテン語やケルト語と同じく残っていないが、ドイツ語や英語がゲルマン系言語と言われる。英語はゲルマン語から7割の構文を受け、ラテン語から7割の語彙を受けていると言われる。何れにしろ言語の歴史を辿ると、日本語はどこにも行きつかない(今のところ)ので、欧州言語を母国語に持つ人にとって、お互いの言語がそれほど難しくないのは羨ましい限りだ。イタリア語で、buongiornoやciaoの代わりにsalve!という言葉があるが、これはラテン語。また、Lazio州にLatinaという町があるが、これは実は新しい町である。1932年にファシスト政権のもとで作られた町で、元の名前を”Littoria"と言った。littorioとは、古代ローマの権力の標章で、ファシスト党のシンボルとして使った。戦後連合軍がその名前を嫌い、Latinaと強引に変えた。
129.focaccia(フォカッチャ):ピザでもなく、パンでもなく、ケーキでもないが、地域によってはそのどれかと思われていることもあるようだ。focacciaは、だいぶ古い時代からあるそうだが、最も代表的なのはリグリア(ジェノバ付近)地方のfocacciaだ。Olio di olivaやハーブなどを添えて食べることが多い。最近は日本でも売られているので、名前は浸透してきたようだ。イタリアでパンのようなものを食べる時には、それぞれ呼び名が違うので苦労する。pane,panino,tramezzino,cornetto,briocheはコラム82で既に述べた。grissiniは、細い乾パンである。panettoneはクリスマス用の大きなケーキ。panzerotto(panzarotto)は、108項でで既に書いたが、一般にPugla地方のPizzaのcalzone(Pizzaを折りたたんで、その中に詰め物をいれる)だと言われているが、ミラノのDuomoの裏の有名なpanzerottoはちょっとpizzaとは思えない。(元々はPuglia州からやってきた人が開始したもの。売っているお店の名前もpanificioというので、これはパン屋の意味だ)。pastaと言えば、パスタ(スパゲッティやマッケローニ)の事かと思うと、これはケーキの意味がある。従い、pasticceriaというとこれはお菓子屋(ケーキ屋)のこと。しかし、一方、日本にはビスケットとクッキー、そしてサブレなど、形状なのか製法なのか材料なのかで別れているが、イタリアではbiscottiと呼ぶ。イタリア人にとっては、呼び名に困ることだろう。食べ物は、本来ところ変われば品変わってこそ面白い。どこでも同じものが食べられるのでは旅行の楽しみもなければ、特産品の意味もない。
130.gravita`(グラヴィタ):重力のこと。先に歴史(History)はstory(物語)だと書いた。しかし自然科学の分野も、実は仮説ばかしで、真理(不変の真実)というものはないらしい。Nord Sud Ovest Est (北南西東)は、昔883(オットオットトレ)というグループが歌っていた歌の題名だが、イタリアでは方位はこの順序で言う。ひょっとしてキリスト教信者の十字の切り方と関係あるかと邪推したが、これは根拠はない。日本語では何故、東西南北(イタリア語と順序が反対)というのだろうか。それはここではどうでも良いが、方位は地球の上だけの話で、宇宙へ行けば北も東もない。もともと北は北極の方向だから、北極を超えれば指針とするものがないのだから。つまり真理ではない。上下もない。左右は多分、自分から見ての事だから宇宙へ行ってもあるだろうが、もともと可変のものだから真理などではない。月に降りれば、月の重力があるから、上下はあるが、宇宙船の中では上下はない。厳密にいえば一番強い引力の方向が下になるのかどうか、私は知らないが、写真をとって人が横になったり逆さまになったり見えるのは、カメラの固定位置から見てのことであって、人は逆さまになっている訳ではない。もともと重力はないのだから。宇宙の話は仮定の話しばかしだ。実証して初めて認められるが、反証されれば、例えノーベル賞を取った学説でも消える。逆にいえば、反証されない限り常に仮説として生きる。そうすると英語の学習方法などはみな仮説だろう。この方法が効く、あのシステムが一番、聞き流しで身につく、睡眠学習だの胎児教育だの仮説ばかり。それが嘘だと誰も反証はしないので、仮説が消えることはない。マイナスイオンが体に良いとは、科学的に何も根拠がないそうだが、反証するデータが何もないので、これも仮説のまま生きている(のかどうか興味もないので知らないが)。さて、Gravita`に戻る。gravita`はgraveと関係がある。graveは重いという意味で、malattia grave(重病) 、problema grave(重大問題)の様に使用される形容詞である。つまり、これは重い力の意味を持つ。イタリア語では、引力はattrazioneというが、これは引く力の意味で重力ではない。日本語ではニュートンの「万有引力の法則」というが、英語でもイタリア語でも引力という言葉は使わず、Legge di gravita`(Law of gravity)という。万有引力もgravitazione universaleとなる。言葉は、その言葉を使う人にある種の先入観を与える。日本人は、引力だから物体が引く力だと考えるだろうが、イタリア人はGrave(重い)forza(力)だと思うのではないだろうか。なお、妊娠のことをgravidanzaというが、これはやはり重い(身重)からきているのだろう。
131.delittoとpunizione : これはイタリア語では、「罪と罰」である。ドストエフスキーの罪と罰は、1866年に刊行された。実は、Giuseppe VerdiのオペラRigolettoの中にも、delitto とpunizioneが出てくる。愛する娘を放蕩なMantova公爵に奪われ、娘がもてあそばれていると悟ったRigolettoは、復習(vendetta)のため殺し屋を雇う。殺し屋が、相手は誰だと聞くと、Rigolettoが、彼は Delitto, 私は Punizioneだと述べる。Rigolettoは、原作がビクトールユーゴーだと言われるが、原作にこの言葉が入っているかどうかは知らない。しかし、ラスコーリニコフ(ドストエフスキー、「罪と罰」の主人公)という大主人公を得た小説が作られた同じ時代に、同じ言葉が出てくるのは面白い。Rigolettoの初演は「罪と罰」の発刊より前の1851年である。さて、Rigolettoで最も有名な歌は、"La
donna e`mobile."(女心の歌)だろう。 La donna è mobile. Qual piuma al vento, muta d'accento e di pensiero.Sempre
un amabile,leggiadro viso,in pianto o in riso, è menzognero. (女心は移ろいやすい。風にそよぐ羽毛のように。言う事も、気持ちも直ぐ変わる。いつもいとおしく美しいが、泣いていても笑っていても、それは全て偽り)(筆者訳)この歌は、Operaの中で3回歌われる。最後は、Mantova公爵を殺したと言った殺し屋が去った後、宮殿からこの歌が聞こえ、Rigolettoは殺されたのが、公爵ではなく自分の娘が身代りになったことを知る。Verdiの悲劇の中でも最高の作だと私は思うが。なお、punizioneの方は、サッカーのペナルティキックの意味でもつかわれる。VerdiのOperaについて少し続けよう。俗にVerdiの三大悲劇と呼ばれるのは、Rigoletto,La
Traviata, Otelloであるが、Il trovatoreも悲劇である。La Traviata(椿姫)では、最初に出てくる歌が「乾杯の歌」として有名です。ここで、乾杯はLibareという言葉を使っている。Libiamo!と高らかに歌い上げるので有名。ところが、このlibareという言葉は今では殆ど使われない。「乾杯!」は alla sua salute! とかまたは、Brindisi!という。このBrindisiという言葉はまた面白い。これは、ドイツ語のBring dir'sから来たと辞書に書いてある。としたら、一体いつ頃出来た言葉なんだろうか。またBrindisiとは、Puglia州のLecceに近い港町の名前でもある。ここはギリシアへ行く船の乗り場でもあり、私は大分昔にここから船に乗ってギリシャへ渡ったことがある。丁度土曜日か日曜日かでサッカーの試合が終わった後、多分勝ったのだろうが夜中まで町中が騒々しかったのを覚えている。この港を出て、どこかへ行く人に対してBridisi!と祝った事から付いた名前だろうか?それとも、ここは古代ローマのアッピア街道の終点でもあったことから、着いた時に乾杯でもでもしたのだろうか。考えてみると面白い。ただ乾杯の意味のBrindisiは上述の資料の様にドイツ語から来たのかもしれないが、こちらの都市の方はどうも年代が合わない。Brindisiは、イタリアでもかなり古い町で、古代ローマは固よりその歴史は青銅器時代(紀元前12~30世紀)までさかのぼるらしい。従い、この町の名はBronzo(青銅)から取ったという説の方が近そうだ。 イタリアの都市名で意味があるものを探すと、例えばDomodossolaという町は、Duomo d'Ossola(Ossolaの家)という意味から来ている。尚、イタリアの都市名でDから始まる都市は珍しい。Civitavecchiaは、古いCivitaである。日本の漫画にはのびた君というのがあるが、Novitavecchiaがあれば面白いなと思っているのは、、、少し脱線しすぎたようです。これくらいで。
132.inno(インノ):前項の続きから書き始めるが、Civitaとはcitta`のことである。そして探してみたらやはりあった。Civitanuovaという町が。シチリアのど真ん中にCaltanisettaという町がある。meteo(天気予報)を聞いていると、Caltanisettaがsereno(晴れ)だとか、nuvolo(曇り)だとか言っている。面白い名前だなと思っているといつも気になってしょうがない。カルタに雪駄である。この町の名前はArabo(アラビア語)で、castello di donna(女性の城)という意味だそうだ。Siciliaは、Greco(ギリシャ人)、Arabo(アラビア人)、Normanno(ノルマン人)、Spagnolo(スペイン人)の支配を受けた歴史があり、文化は様々である。また、Campania州にBeneventoという町がある。昔はMaleventoと呼んだそうだが、それでは良くない(Male+eventoは悪い出来事、または場所とか市場とかの意味がある)ので変えられたそうだ。この町も相当古い町でギリシア時代にさかのぼる。さて、主題に戻るとinnoとは、讃美歌の意味だが国歌の意味もある。この場合は、Inno Nazionaleともいう。イタリアの国歌はちょと複雑だ。普通は、Inno di Mameliとその作詞者の名前で呼ばれる。若しくは、Fratelli d’Italiaという歌の題名でも呼ばれる。または、Il Canto degli Italianiと呼ばれる様だ。イタリアの国歌に触れるのは、ちょっと僭越かなという気はするが、入ってしまったのでそのノリで少し進めることにします。何故国歌をここで登場させたかというと、前回からVerdiを上げているが、イタリアの国歌にはVerdiが大きく関わっている。現在の国歌(とはいってもこの歌が正式に国歌として法律で認められたのは、つい2005年のことなのだが)の編曲はVerdiだ。しかし、もっと大きい関わりは、イタリア人の中で現在の国歌をあまり評価しない(というのかあまり好きじゃない)人がいて、ひそかにVerdiのオペラのNabuccoに出てくる、(行け我が想いよ、金色の翼に乗って)という合唱曲を第二の国歌と認めているという話を良く聞く。(余談だが、NabuccoはNabucodonosorのことで、高校時代にネブカドネザルという名前で覚えた。歴史の教師が、この質問を出して、生徒が答えに窮すると「さあ、昼ご飯を食べるとそろそろどうなる?」とヒントを出していたことを思い出す。私は九州だが、(眠い)を(眠か)とはいったが(ねぶか)とは言わないと思うが、もう良く分からない)。で、なぜこの歌がイタリアの(第二の)国歌なのだろう。この歌は、バビロニアに幽閉されたヘブライ人(ユダヤ人)が祖国エルサレムへ帰ることを願った歌である。宗教問題は、その歴史の信憑性とも絡んで複雑なので、ここでは触れないが、キリスト(Gesu`Cristo)はユダヤ人である(だそうである)。そして、ローマはキリスト教を迫害したが、紀元4世紀に突如キリスト教を国教と定めた。キリスト教はユダヤ教から派生したもの(だそう)だが、勿論Nabuccoの時代にはキリスト教はない。つまり、Nabucco(バビロニア)とヘブライの関係は、イタリアとは関係がないのではないのか。国歌が作られた当時当時イタリアはオーストリア支配下にあり、自由を勝ち取りたいという気持ちがこの歌と繋がったという考えもある。実際イタリアの友人に聞くと、彼はNabuccoの歴史背景とはあまり関係なく、ただオーストリアからの独立という気持ちだけでこの歌を国歌と考えていると言っている。この歌が初演の時に、イタリアの観衆に大きな感動を与えたというStoriaがある一方で、いや本当に感動を与えたのは他の歌で、のちにこの歌を国歌としたい人が、そういう話(Storia)を作り上げたともある。結局、イタリアの国歌はInno
di Mameliになった。この歌があまり好かれていないのは、その歌詞にある。2番だが、国のために死ぬと言う言葉が繰り返される。また、あまりにも行進曲調のメロディーが国歌に相応しくないとも言われている。国の団結心を煽る歌詞は、イタリア統一という場面にはふさわしいが、現在の国民にはしっくりと来ていない様にも見える。
133.calcio (カルチョ): サッカーのことである。「蹴る=キック」という意味もあるので、dare un calcio a~で~を蹴飛ばす、とか prendere~a
calcioも~を蹴飛ばすと使う。また、「キック」という意味から、calcio di rigore=ペナルティキック、calcio d'angolo=コーナーキックのように使います。calcioのことは、詳しい人も多いでしょうから、素人の私が細かい説明は遠慮しておきます。ただ、イギリスで発祥したとされる、サッカーは世界では概ねfootballと呼ばれます。大体その国の言葉で、足+ボール、若しくは、footballを外来語として自国の言葉にしてるようです。例外は日本とイタリアぐらい(他にもあるでしょうが、知らないので)。日本語は「蹴球」と言って、蹴ると言う言葉を使っているのが、イタリアと同じです。(蹴球は日本語で、中国語では「足球」という)ここにイタリアと日本の共通点がひとつある、と言いたいだけの話でした。蹴球といっても、ピンとこない人の方が多いかもしれませんが。また、アメリカ、カナダ、そしてオーストラリアでは、footballは夫々American
FootballとAustralian Footballのことを指すので、Soccerが使われます。soccerは、その昔イギリスでサッカーが球技として確立した時に作った協会
Football Associationの Assocから来たそうです。英語の事はどうでもいいですが、一応 Football-Calcio(蹴球)-Soccerと3つの呼び方があるということで。また、calcioはサッカーやキックだけの意味ではなく、カルシウムの意味もあるので注意しましょう。尚、フットサルという競技がありますが、この名前はサロンフットボールから来ています。当然イタリア語ではありません。1990年頃にイタリアでは既に結構盛んだったようでが、私にはFOOTSALと呼んでいた記憶がない。確か、mini-calcioとかcalcio a cinque(5人制カルチョ)と呼んでいたように思うが、調べたらmini-calcioではなく、calcettoが正しいらしい。mini-calcioはひょっとしたら、日本人同士で呼んでいた呼称かもしれません。意外と海外に住んでいても、日本人だけでつけた名前がたまにあるので、これは注意が必要。さて、calcettoに移ると、欧州や南米に行くとBarや人が集まる場所に置いてある昔からのサッカーゲームを見たことがあるでしょう。左右に取っ手がついていて、勝負するもの。これもcalcettoといいます。calcettoとは勿論、calcio+ettoで縮小辞をつけたものですから、そのままミニカルチョの意味です。このcalcettoは、彼ら(イタリア人やスペイン人など)の強いこと。私は歯が立たないどころか、どうにもなりません。彼らはあの機械を自由自在に操って得点をします。2対2で勝負を始めると、大人であろうと子供であろうととても真剣で、それに観客が集まってとても白熱します。本当に歯が立たなかったけど、あれは、結構面白いゲームでしたね。なぜ、日本で流行らないのかと思うくらいです。追記:Calcetto(giocoの方)は、またcalcio
Barillaとも言います。
134.macchina(マッキナ):機械または車のことを指します。macchina fotograficaは写真機(械)、macchina da proiezioneは映写機、macchina da cucire(ミシン)、macchina da scrivere(タイプライター)のように使うので、日本語の~機のように分かりやすい。cameraは何故cameraというのか知らないが、イタリア語でcameraと言えばご存じのとおり「部屋」の意味でカメラとは関係がない。 autostradaは高速道路のことだが、イタリア語では車(auto)の道(strada)である。英語のHigh-wayは「公道」とか「幹線道路」の意味で、高速道路の意味はない。日本語でハイウエイというと高速道路だが、厳密に言うと高速道路はExpresswayといい、辞書によればこうよぶのはアメリカのみで、有料の高速道路とある。欧州は無料のところもあるので、そうするとExpresswayは当てはまらないことになる。イタリア語のAutostradaは結局は、車専用道路という意味で、人は通れないと言う意味である。そうすると結局スピードが出せるので、日本語では高速道路と呼ぶ。イタリアには、superstrada(スーペルストラーダ)というのがある。これは、無料の自動車優先道路のこと(autostradaは有料)。これらの単語には、どこにも「高速」という言葉は出てこない。しかし、私は一度あるイタリア人の助手席で、superstradaで時速260kmで飛ばした(ばされた)経験があるので、やはり「高速道路」である。イタリアの車に乗る習慣を少し上げておくと、友人等が車を運転してくれる時は必ず助手席に乗ること。遠慮して後部座席に乗ると、友人を単に運転手としてしか見ていないと思われるかもしれない。Taxiなどでは、助手席に乗るのを嫌がる人もいるが、田舎へ行くとTaxiでも助手席に乗せられることがある。友人扱いしてくれているのか、後ろに乗ってHold Upでもされたら怖いと思っているのかも知れない。フランスは助手席に良くペットを乗せている。こういう人は、助手席に乗られたくないようだ。日本と違う事の一つに、コートを着たまま乗って、運転している。これはなぜか? イタリアは買い物にも食事にも路面店が多い。つまり、外を歩くことが多いからだろうと予測している。日本では、買い物はデパートやショッピングセンター、レストランも大きな建物の中が多くて、そういうところは、場所によっては駐車場から外に出る必要がなくコートが不要。これは想像だが、このような文化様式の違いも考えてみると面白いかもですよ。
135.La Senna: セーヌ川のことである。貴方の知っている川の名前を上げて見て下さい。il Po, il Tevere, L'Arno, などイタリア語の学習で出てくるイタリアの川は皆男性ですね。川はfiume(男性)だから男性形だと思っていませんか。il Danubio(ドナウ川)、il Reno(ライン)、il Meno(マイン)、il Volga(ボルガ)そしてil Mississippi、l’Amazonなども皆男性形です。多摩川、神田川、隅田川など、-aで終わる川の名前は、男性か女性か? どうも、川だからと言って男性形とは決まっていはいないようですが、大体男性形のようですね。こういうのをイタリア人に聞いても、はっきりした答えは返って来ません。決まっていないと言う人もいれば、fiumeが男性形だから、男性形じゃないかという人もいます。じゃ、La
Sennaはどうなんだと問うと、それは例外だとなる。私のいじわる質問は続く。では、山は? il monteとも言うが、la montagnaと女性形もあるでしょうと。il
(monte) Fujiやil Monte Biancoは男性形。l’Everestも男性形、でもCiomoramma(というかどうか知らぬが)はどうなんだろう。取り敢えず"山”はどうも男性形のようだ。では、山脈は? le Alpiは女性形で、gli Appennini(アペニン山脈)は男性形。これが、なぜかという説明はなかなか得られない。そう決まっているし、イタリア人にとってはこの二つの山脈しか興味がないので後はどうでも良いとなる。でも一応、le Montagne Rocciose(ロッキー山脈),le Ande(アンデス山脈)、le Montagne dell'Himalaia(ヒマラヤ山脈)と、山脈はmontageで表すので女性形となる。だから、gli Appenniniは例外なのか? 恐らく、これらは固有名詞なので、le
montagne をつけて山脈を表す場合は、女性形になるのが普通なのだろう。固有名詞としてAppenniniと呼ぶ時は「山脈」とは呼ばないのだと思われる。日本語にする時には「アペニン山脈」というが、イタリア語では、例えば「アペニン地帯」的な意味で呼んでいるのではないのだろうか。Himalaiaに関して言えば、この単語だけでは男性名詞である。実際ヒマラヤ山というあるわけではない(あるのかどうか実のところは知らないが)。あの地帯の事をヒマラヤと呼ぶ時は、男性名詞で、山脈と言いたければle
Montagneを付けて女性形にするということなのだろう。ちなみに、会社の名前はどうなんだろう?これは、殆ど女性形になる。知っている限りの会社の名前を挙げても全部女性形だ。しかし、会社の名前が女性形だという決まりはない。l’Honda,
la Toyota, la Fiat, la Microsoftなど、全て女性形だ。これは、恐らくditta(会社)が女性形によるものだという。しかし、例えば、la Seibuといえば、SEIBUという会社になるが、grande magazzinoは男性形なので、[SEIBU百貨店」はこの道理だと男性形
il SEIBUになる(grande magazzzinoではなく、centro commercialeからの連想かも知れないが)。La Sennaに関しての続報をここに書く。フランス語では川は女性形だそうである。従い、セーヌ川は女性形で良い。もしかしたら、フランスの川は女性形?かと思って調べたら、il Rodano(ローヌ川)は男性形だった。小さな川は分からないが、やはり男性形なのだろう(フランス語では女性形)。尚、mare(海)もイタリア語では男性だが、フランス語では女性形(ラ・メール)。Mediterraneo(地中海)は男性形だが、フランス語では女性形だそうだ。
136.direttore(ディレットーレ):肩書きの話をしよう。イタリアでは肩書は重要だ。~さま(さん)の敬称は、signoreだが、大学を出ると dottoreになり、普通はsignoreではなくdottoreと呼ばねばならない。法学博士ならavvocatoと呼ぶことなどは、102項で述べた。direttoreはかなり広範囲な地位を表します。部長、所長、局長、取締役、オーケストラの指揮者、映画などの監督、スポーツの監督、指導者、新聞社なら編集長など。小さい会社なら社長かも知れません。また、「社長」はdirettore generaleと呼ぶのが普通です。presidenteも使いますが、この場合は会長のことがあります。consigliereも取締役の意味ですから、consigliere delegatoと言えば、代表取締役に当たります。また、amminisitratoreも管理者の意味で、経営者を指すことがあります。amminisrataore delegatoは、これも代表取締役の意味です。ある会社を訪問して、偉そうな人と名刺を交換したら、ある人はdirettore generale, ある人はmanaging
directorと英語表記、ある人はpresidenteとの肩書きで、一体誰が一番偉い人なのかさっぱり分からない事がありました。また、一つの会社で、二人からpresidenteの名刺をもらったこともあります。この二人の場合は、日本語で言うところの、1人が社長で、もう一人が会長に当たると聞きましたが、はてさて大変分かりにくいことでした。皆さんも経験がありますか?
137. dura(ドゥーラ):La vita e` dura.(人生はつらいね)というのは、私がイタリアで最初にお世話になったアパート(というよりも部屋貸しの下宿)のおばさんがいつも言っていた言葉。La
vita e` bella.は映画「ビューティフルライフ」のイタリア語題名。La vita e` duraといいながら、bella vitaを送っているのがイタリア人、というのは前にも書いた。duroが勿論この形容詞の原型だが、敢えてduraとしたのは、この形容詞の特殊性を言う為。動詞の不定詞をそのまま「~すること」という名詞で使う事が出来るが、殆どの場合その名詞は男性形になる。例えば、E`
vietato fumare. Imparare le lingue straniere e` necessario.のようなります。しかし、duroだけは、どういうわけか女性形を取ります。E`dura
alzarsi presto.(早く起きるのはつらい) E' stata dura convincerla ad andare da sola.(彼女を1人で行くように説得するのは大変だった)なぜかは、良く分からないが、最初に上げたLa
vita 当たりのイメージがあるんじゃないかと(勝手に)思っている。 また、belloという言葉も特に意味もなく、良く出てくる。訳に困るが、ほとんどの場合、美しいとか素晴らしいとかを日本語訳の中に入れることは、考えない方が良いかも知れない。多少そういうニュアンスがあるだけ。 Che
fai di bello?(何か(面白いことでも)あるかい?)Una bella mattina, e` venuta a casa mia.(ある朝=特に天気が良いとかは関係ない=彼女は私の家へやってきた)Ha
detto bel no.(彼は絶対いやだと言った)
138.veneziano: ベネツィア人、またはベネツィアの形容詞であるが、ケチと言いう意味もある。このことは、一度76で紹介済だがもう一度登場させよう。venezianoがケチなのは商業で栄えた場所なので、とにかく金に細かいということからこういう評判を貰ったようだ。同じ様に、大航海時代(15世紀から17世紀のポルトガルの隆盛、マカオ割譲、日本へもやってきた時期。そしてアメリカ大陸発見、オランダやイギリスが東インド会社を設立したなどの時代のことをこう呼ぶ)に、イギリスと海上の覇権を争ったオランダもそのような汚名を受けている。英語でgo
Dutchとか treat Dutchとかは、一緒に食べても自分の食べた分だけを払う事をこういう。日本語では「割り勘」と訳されているが、日本語の割り勘は頭数で平等に割るものだとしたら、これは適当な訳ではない。ところが、実際色々見てみるとgo
Dutchを平均して払う割り勘だとしているものもあるので、確実ではない。しかし、go Dutchとは英語なので、これは英国人が、当時争っていたオランダ人を揶揄して言ったもののはずなので、決してほめ言葉ではない。つまり、ケチな彼らはおごることは絶対なく、いつも自分が食べた物だけを払うということなのだろう。このテーマを上げたのは、イタリア語では割り勘のことを、pagare alla Romana(ローマ式に払う)というからだ。実は、これは日本と同じく、人数で割って払うことをいうらしい。何故なら、この表現のRomanaは、人が良く,仲がいいのでこういう風に払うと言う意味があるから。つまり、もしケチだからそれぞれが食べた物を払うというのなら、pagare alla venezianaというべきではないか?残念ながら、この表現はイタリア語にはない。尚、日本ではベネチアンというと、ベネチアングラスとかベネチアン刺繍が有名だが、それぞれMuranoとBuranoという島で生産されている。サンマルコ広場へ行くと観光客向けに水上バスがあって、Murano島へ無料だとの呼び込みがある。勿論Murano島へ連れて行ってガラス製品を買って貰おうとのビジネスである。一方Burano島はそれほど有名ではない。Burano島には一度行ったことがあるが、ここで生産している刺繍はとても高価なもので、一般の観光土産店で買うには、確認が必要。一般のものより10倍ほど値段が高いと思っていた方が良い。一般のものとは、中国産だそうである。そういえば、スワトウの刺繍技術はもともとベネチアから伝えられたもので、結果的にはベネチア刺繍の委託生産先になっている。日本でもスワトウハンカチなどの名前で有名。私もスワトウ(汕頭)の刺繍工場には行ったことがあるが、技術は素晴らしいもので、今ではスワトウ刺繍として有名。ハンカチでも1万円を超え、10万円を超えるものもあるが、これらは額縁に入れて飾るものの様だ。なお、venezianaと女性形にすると、これは「ブラインドーすだれ状のカーテン」のことを言います。
139.mecenate(メチェナーテ):これはメセナのことです。つまり文化文芸の保護者、またはパトロンのこと。この名の由来は、ローマ時代のガイオ・メチェナーテ(ラテン名:Gaio Mecenae)から。初代皇帝Augusto(つまりオクタビアヌス)の腹心で、若い詩人たちを擁護したことから、その名が文化財や芸術のパトロンとして残りました。そしてこの言葉は、金銭的に文化を擁護したというところから、食事をおごってくれる人のことを呼ぶのに使われます。勿論これはかなり口語的な表現で、冗談めかした言い方ですが、、。食事の支払い方には、「おごる」と「割り勘」そして、go Dutchの「それぞれが払う」とあると、少し整理ができました。但し、Go Dutchに関して、ここまで読んでくれた人の為に、私の調査結果を報告しておくと、発祥地であろうイギリス人の英語講師に確認したら、go Dutchはいわゆる「割り勘」の意味で現在使われているとのこと。本来の意味で使う事もまれにあるが、普通は頭数で割ることをいうらしい。日本国内でもそうだと思うが、その土地土地によっての習慣があり、割り勘と言われた場合に、それが日本式の割り勘なのか、各人食べた分だけ払うのか確認した方が良いかも知れません。人の名前を使った表現としてもう一人上げておきます。ローマ時代の有名人の一人Nerone(皇帝ネロ)は、残虐な皇帝として有名ですので、neronianoという形容詞は、「残虐な」という意味です。またメセナと並んで使われるフィランソロピー(博愛、慈善、慈善団体、または人類愛など)のことはfilantropiaといい、こちらは個人名とは関係ないようです。
140. carte(カルテ):cartaの複数で、カード遊び(トランプ)のことである。日本のカルタがポルトガル語というのは有名な話だが、勿論単数はcarta(紙)の意味である。ドイツ語のカルテは、病院で使われる様だが、イタリア語にはそういう意味は特にない。英国の大憲章のことをマグナ・カルタと呼びますが、勿論これはラテン語です。cartaは憲法、憲章という意味もあります。さて、イタリアのcarteをひとつ紹介しておきましょう。日本には独特の花札という遊びがありますが、どこの遊びでもカードを使ったものはどこか似ています。scopa(スコーパ)はイタリアではとても人気のカードゲームです。カードや遊ぶ方法は地方や、人によって色々と異なりますので、これから紹介するのは一つの遊び方です。やってみると大変おもしろく、時の経つのを忘れますよ。手許にカードがないと分からないでしょうから、トランプを思い浮かべて下さい。イタリアのcarteも4つの種類があります(スペード、ハート、ダイヤ,クラブのように)。それらは、denari(硬貨)、coppe(杯)、spade(剣)、bastoni(棒)の4つです。そしてそれぞれ1~10までの数があります。従い合計40枚が使用されます。1~7まではそれぞれの数を数えますが、8はFante(歩兵=英語のJack)9はCavallo(馬、または騎兵=knight)10はRe(王様=King)です。遊び方は単純です。単純な方が覚えやすく誰でも遊べるからでしょう。2~4人で遊ぶのが一般的な様です。3枚づつ後ろにして配り、4まいを表にしてテーブルの真ん中(場)におきます。手持ちのカードと場のカードが同じ数字なら場のカードが取れます。場のカードは2つ以上合わせることも出来ます。(手持ちが8で場に2と6があれば取れます。反対は出来ません=手持ちで使えるのは一枚だけ。)合うものがなければ、手持ちのカードを一枚、場に出します。3回、回れば手持ちが無くなりますので、もう一度配ります。配るのが亡くなったら終わりです。場に1枚残っていて、次の人が手持ちのカードでこの一枚を取ることが出来たら、それをscopaと言います。scopaは「箒=ほうき」の意味です。さて、全部なくなったら得点を数えて、記録します。得点は次の様な計算をします。まず、①scopaをやったら1点です。従い後で計算するときに分かるように、scopaでとったcarteは裏返しにしないで表にしておきます。次に、②全体で最も多くカードをとった人は1点貰えます。次に、③Coppeを最も多く取った人は1点です。(CoppeではなくDenariとする人もいます)。次に④7をとっていれば、7一枚に付き一点です。(これも、得点になるのはdenariの7だけだというルールもあります。denariの7は、settebelloと言って、もっとも強いカードです。settebelloはイタリアの超特急列車の名前に使われています。)また⑤7を4枚ともとっていればまた1点です。(7もしくは6を一番多く取っている人が1点というルールもある)。こうして得点を数え、それを記録し、誰かが12点を取ったらその回の勝負は終わりです。一回のゲームで取れる点数は多くて4~5点なので、あまり細かい数字は出て来ません。また、ゲームの最後で誰もscopa出来ないで残ったカードは、最後にscopaをした人が貰えます。もしそのゲームで誰もscopaしなかったら、最後に残ったカードは誰のものにもなりません。取り敢えず、上の①~⑤の得点方法でやってみて下さい。トランプでも遊べます。尚、同じ様なカードを使った遊びにtaroccoというのがあるが、これはタロット遊びと称される。tarotは占いに使うカードで、タロット占いという名前で知られている。占いが先かカード遊びが先か分からないが、このカードを使った遊びは15~6世紀にイタリアで始まったとの説が有力だ。tarotはそのカードの中にtrionfo(勝利)というカードがあって、それがtarotに進化したらしい。また、トランプ(trump)は「切り札」の意味で、日本ではこれを取って、トランプと呼ぶが、基はtrionfo(勝利)から派生したものではないだろうか。カードは、その起源どこにおくのは明確には分かっていないようだが、carteのDenariの絵は、麻雀のピンズにそっくりである。従い元祖は中国かも知れない。日本の花札はポルトガルから伝わったカルタが起源らしいので、世界中のカードゲームはやはりなにか関連しているようだ。いずれにしろ、トランプはイタリアのカードが基となっており、トランプゲームの原種だと思えば、少しやってみたくなりませんか。
141.asso(アッソ):carteから出てきた言葉で、エースつまり、1の事を指す。第一人者、名人、達人という意味がある。essere un asso di~は、~の第一人者(名人)であるという意味になる。また、大体どんなゲームでも2はあまり重要ではない。色々なゲームの変型で2がエースよりも強いとしたルールなどもありますが、基本的には2は最も弱いとされます。Briscolaというゲームは、scopaと同じ様にポピュラーなカードゲームですが、valer come il due di briscola は、「何の役にも立たない」、「ものの数でない」という意味です。ただ、3はこのbriscolaというゲームでは、強いカードとされています。従い、asso
di briscola, tredicoppe, settebelloなどは何か良いもの、強いものを指す時に使われる言葉です。私の家の近くには、Settebelloというイタリアンレストランがありますがね。尚、一般のトランプの事はイタリア語では、carte
francesiと言います。
142.moro〈モーロ):イタリアの代表的なデザートのひとつに、frutti di bosco がある。森の果実という名前だが、これは通常ベリーの盛り合わせで、アイスをつけるとかなりおいしい。frutti
di boscoは97で成分等を書いているので確認してください。さて、成分の中のmore〈ブラックベリー)は単数をmoraというが、mora
もしくはmoroには、黒い人、褐色の人と言う意味がある。イタリアのサッカーチームにCagliari(カリアリ)というのがあるが、これはSardegnaのチームで、呼び名を Quattro moriという。サルデニアの旗は、このQuattro Moriという旗で、4人の黒人が描かれており、それを赤の十字が分断している形だ。moroというのは、もともとムーア人を表すとある、がムーア人とは、サラセン帝国のイスラム教徒を指すとか、アフリカのモーリタニア人を指すとか、諸説があり時代とともに支配民族の違いからそのものが変わって行ったようだ。実は、フランス領だがサルデニア島の北側にある、コルシカ島(ナポレオンの出生地として有名)の旗も、同じ黒人が描かれているが、こちらは1人だけである。あるイタリア人の話では、12世紀ころに、サルデニアを侵略してきた肌の黒い人種を彼らが打ち破った為に、勝利の成果として4人の黒人を旗印にしたという説を唱えてくれたが、どうも自国の旗に異人種を描くのは納得できない。むしろ、イスラム教徒がスペインを支配していた時期にサルデニアはその支配下にあったので、イスラム教徒自身の旗をサルデニアの国旗(サルデニア王国)にしたのではないかと思う。ところで、このmoroの意味だが、黒いとか黒人とかの意味だろうと予想したのだが、広義の解釈では髪や肌の色が薄い色(髪なら金髪や薄い茶色)でない人はmoroだという。目が青く、髪はブラウンだとmoroだとも言えるそうだ。そうすると、イタリア人の原種とでも言うべき、髪も目も黒い人は、肌は白か褐色でもmoroとなる。アジア人種は、皆一様に黒い目、髪(多少ブランがかっても金髪はいない)でmoroに違いないが、黒い肌の人種とはそれほど区別していなかったことになる。極端に言えば、白か黒か、金髪か黒か、の区分けしかなかったのだろうか。もしそうなら、サルデニアの旗の黒い人は、サルデニア島民の絵であってもおかしくはない。ところで、ミラノのSforzesco城のそばには、Quattro
Moriというレストランがあるが、これは間違いなくサルデニア料理だ。
143.diavolo(デイアポロ):前回に続いてサッカーチームの愛称を述べたい。ミラノのチームは、Il Milanと L'Inter の2チームが有名だが、それぞれ愛称を
Diavolo と Biscione(ビショーネ)という。愛称は他にもあって、前者はRossonero(ロッソネーロ)、後者はNerazzurro(ネーラッズーロ)というが、これはそれぞれのユニフォームの色を表しているだけで、あまり面白くはない。Diavoloは悪魔の意味である。これは、創設当初1900年代初期にIl
Milanがとても強く、その戦い方が悪魔のようで、Diavolo Rossoneriと呼ばれたことに由来する。一方、Biscioneは大蛇のことで、これはミラノを支配していた貴族Visconti家の紋章に由来する。従い、もともとはL'Interがいわば上中流階級に支持され、Il
Milanは労働者階級に支持されていたようである。今はそんな区分けはないようだが。尚、それぞれのファンにも愛称がある。Il Milanのファン(tifosi)は、Milanista(ミラニスタ)、L'InterはInterista(インテリスタ)と呼ぶ。これに比べると日本は大人しいですね。サッカーもチーム名は浦和、愛称はレッズ、ファンは浦和ファンくらいですし、野球でもチーム名:読売〈巨人)、愛称:ジャイアンツ、巨人ファンじゃ、面白くも何ともないか。チーム名:阪神、愛称:トラ、ファン:トラキチ、なら少しは面白いかな。
144.curare:「世話をする」という意味である。名詞は、curaで、世話、心遣い、治療などと訳される。動詞は英語のtake care of に相当する。Si
curi!といえば、「お大事に!」という意味だ。ここで、curareの説明をするのではないが、日本語の4大訳せない言葉を、何とか訳せないか考えてみたい。その4言葉とは(私の分類ですが)、①「いつもお世話になっております」または「毎度ありがとうございます」のたぐい。②「よろしくお願いします」または「お願いします」③「お疲れ様」または「ご苦労様」④「お邪魔しました」または「失礼しました(お別れの時の)」である。これらの言葉は、イタリア語若しくは英語では使わないから、言わなくていいという事になっている。言葉は文化だからその言葉を話す時にはその文化に合わせるというのも一つの考えだろう。しかし、一方日本語はこのような表現文化を持っており、これを使わないとなんとなくすっきりしないという人もいることだろう。1970年代に勤務していた会社の偉い人が中国へ出かけて、相手の偉い人に対して、「いつも当社の北京事務所や担当員がお世話になっており有難うございます。云々」と社交辞令を長々と述べたところ、通訳した駐在員はひとこと「謝々」で終わったと話題になったことがあった。実は私も同じ経験があって、イタリアからの来賓に対して通訳をする機会があり、お偉いさんにこの種の社交辞令をまず述べられた。ただ、このお偉いさんは良く分かった人で、一応立場上長めに言ったが、訳せないだろうから、「有難う」だけで良いよ。と言ってくれたものだ。そういうやり取りが相手にも伝わって、大笑いになり、最初から大変砕けた雰囲気になった。このお偉いさんはそういう雰囲気作りが大変うまかった。ただ最近、英語ではこういう事は言わないとか、イタリア語ではこう言われたらこう答えるのが決まりだというような事に対して、多少、いや大変疑問をもちつつある。勿論、それは挨拶言葉のことではない。挨拶言葉は、それでもいいだろう。日本語ではいちいち「元気?」「今日はどう?」などと聞かないが、イタリア語は「Come
stai?」と会うたびに聞く。面倒くさいと思っても、これは挨拶言葉だと思えばいいだろう。日本語の「こんにちわ」だって、何の意味もない言葉にすぎないのだ。問題だと思うのは、日常会話表現である。日本語は、基本的に控えめ、遠まわし、遠慮がち、思わせぶり、謙譲を言葉の中に含めるのに対し、外国語(特に米語)は、論理的、明解、自己主張を主とする。色々ご意見はあるかとは思うが、論理と自己主張はアメリカ式で、これに慣らされた人はこの手の論理を主張するが、イタリア人を始めイギリスを含む欧州は、論理よりも人間関係に拘るような気がする。論理と人間関係は別に相対するものではないので、ここであまり核心的議論には触れない。ただ、アメリカ人は「論理的」という言葉に大変弱いのである。嘘と思うなら試してみたら良い。もうひとつは「公平な」という言葉である。自由と平等を建前にする国だが、自由には制限がつくので、自由が言葉として問題になることはない。平等もあまりない。勿論建前論は別だが。さて、話を戻すと、日本的な情緒をなんとか、イタリア語でも表したいのですが。一般的には、①はPiacere
di revederLa. ②はSperiamo di avere degli affari insieme. ③Buona serata!(Buona
giornata!) Si rilassi!(Si, riposi!) ④Grazie per l’ invito. Arrivderci!
などが通訳がとっさに使う表現となるでしょうね。あなたならどう訳しますか?
145.Papavero(パパーヴェロ):芥子(ケシ)のことである。ただ、ここでお話したいのは、papavero selvatico(野生の芥子=ひなげし)のこと。イタリアでは一般にpapaveroと呼ぶ。この花は欧州原産だが、日本でも多くみられる。日本では普通ポピーと呼ばれ、野生でも淡い色のピンクやオレンジなどがあちこちで見られるものである。しかし、欧州で見られるような真っ赤な花の群生は、あまり見たことがない。夏になると、イタリアの田舎の道路脇や、線路沿いにこの真っ赤な花が咲く。列車に乗っていて眺めていても、赤色があまりにも鮮やかなので、ずっと続けて見ていても私は飽きなかった。芥子には色々な種類があり、Papavero=芥子=opium(英語)は勿論、日本では輸入も栽培も禁止されている。papaは元々ケルト語(ギリシア語)で、赤ん坊の事を言い、赤ん坊を眠らせるのに、この花を使ったらしい。Popyは恐らくこのPapaから英語になったものだと思われるが、この花は各国で昔から大切にされている。イギリスでは、第一次大戦の戦没者を弔う花とされている。フランスでは、三色旗の色の中の赤は、ひなげしの赤色を象徴している。フランスでは、ひなげしのことを「コクリコ」という。与謝野晶子の詩に、「ああ皐月
仏蘭西の野は火の色す 君も
146.baccala`(バッカラ):最後にアクセントがある。これは、干だら(干したら)のことを言います。これは、venezia語だという説もあるが、イタリア全体でこの言葉を使う。この言葉の語源は分からない。初めてこれを食したのは、イタリアのPiemonte州の山の中だった。何故山の中で鱈が出てくるのか、最初は驚いたが実は、意外とbaccala`がイタリアで食べられているというのを知ったのは後になってから。名前がユニークなので覚えた。鱈は英語でcodといい、干したらは、dried
codである。Norwayで生産が盛んで、それはバイキング時代から伝えられている伝統的な保存食かと思っていたが、実際には作られ始めたのは500年くらい前からとの説がある。生産国は、ノールウエイ、アイスランド、カナダ、ポルトガルなどである。イタリア語辞書で「たら」を引くと、merluzzoという名前が出てくる。baccala`はmerluzzoの一種で、merluzzo bianco(白たら)のことを言うとある。サザエさんに出てくるタラちゃんは、こちらの方だろう。確かに、merluzzoという魚もイタリアで食したことはあるが、違いは良く分からない。普通は、baccala`は、「干だら」の意味で使われいるようだ。尚、baccala‘には、愚図、愚鈍な人という意味もある。stupidoほど強い意味ではない。あまり良い意味ではないが、なんとなく日本語と似ている単語をここで見つけました。
147.Gobba(ゴッバ):猫背の女性(せむし女)この言葉は、Juventus(サッカーチーム)の愛称です。勿論男性の場合は、gobboと言います。Juventusは、他にも愛称があって、madama(貴婦人)や la vecchia signora(老婦人)とも呼ばれます。またユニフォームの色からは、Bianconeroがその愛称です。何故こんなに愛称が多いのか、それはJuventusがイタリアで最も愛されているチームだからです。いま日本では、日本人が属するチーム、L'Interやそれとミラノダービーを争うIl Milanが有名ですし、勿論この2チームもとても人気のあるチームですが、やはり最も伝統と強さと人気を兼ね備えているのはJuventusなのです。言わば、日本の「巨人」に当たるのがJuventusだと言えるでしょう。Juveは、Fiatの傘下にあり、Fiatの前会長のGiovanni Agnelliが、Juveを強くしたとも言えるでしょう。さて、Giovannni Agnelliは通称Gianni Agnelli またはL'Avvocatoと呼ばれていました。イタリアのGDPの3%とも4%とも1人で稼いでいるとも言われた、大実業家であり大富豪です。イタリアは1990年頃ですが、株式市場の40%を2社で占めていると言われている時期がありました。25%がFiatで残りの15%はGENERALIという保険・不動産会社です。株式市場の時価の25%を占める会社のオーナーですから、相当な力を持っていたことが想像出来ますね。今は、前首相のBerlusconi氏がイタリア屈指の大富豪と言われていますが、恐らくAgnelli氏とはまだ大分差があるのではないでしょうか。Agnelli氏は終身上院議員になりましたが、政治家としての活動は殆どなく、しかし政治的な影響はとても持っている実業家でした。大変なおしゃれでも有名です。Romitiというコワモテの右腕がいて(確かにとても怖い顔をしています)、corruzione(汚職)などの罪は彼が被りましたから、Agnelli自身はそういう問題からはうまく逃げています。イタリアは日本以上に車のメーカーが多い国でしたが、Lancia,
Alfa Romeo, Ferrari, などFiat以外の大手は殆ど全てFiatの傘下に下りました。イタリア人にとっては、イタリアを代表する車会社のproprietario(オーナー)として、人気があったのではないでしょうか。その証拠に、20年ほど前に「Jonny Lambs]というブランドを持つ衣服のメーカーと出会いました。このブランドが、Givanni
Agnelliのパロディだとは、説明されるまで気づきませんでした.このブランドがまだあるかどうか分かりません。中高級のカジュアルウエアでしたが、実業家の名前をパロディにしてブランドにするのですから、大したものというのか驚きますね。Agnelliと何か関係があったのでしょうかね??。日本だったら、Felice
Sottopino(松下幸之助)はいかがでしょうか。
148.raccomandazione:推薦、もしくは有力者の後押し(つまりコネ)イタリアは就職するにはコネが必要だと言われる。また何か重要な事を頼む時には、一体誰を(有力者)を知っているかが鍵になる。振り返って、日本はどうだ。まあ、たいして変わらない気もするが。1970年代前半のころ、知り合いが某大手広告会社にどうしても行きたがっていたが、コネがないことであきらめていた。当時田中角栄首相の時代だったが、彼がいうには首相の推薦状なんかは最低条件でそんなのは決め手にならないとさえ言っていた。どこまで本当かどうか知らないが、いずれにしろ現在でもコネが日本社会で全く関係ないとは言えないだろう。だから、イタリアのコネ社会を揶揄など出来たものではないが、このraccomandazioneはイタリアでは、病院への入院、銀行との取引、航空会社や劇場などのチケット入手では大変効くようだ。昔の事だが、中国では金など何の役にも立たないと、会社の先輩が言ってました。当時の彼の国では、金があっても買うものがないが、権力があれば国の金を思う存分使えると言っていた。確かに、権力があれば高級車に乗り、別荘を持ち、いつでも庶民の予約を反故にして飛行機に乗れた。勿論権力とのコネがある人もそうなのだが。どうやら今は金がものを言う世界になったようだ。さて、raccomandareは、raccomandazioneの動詞だが、この動詞は「推薦する」という意味以外に「~を要請する、願う」という意味がある。したがい、Ti raccomando di non dire nulla.(頼むから何も言うなよ)といういう使い方がある一方、raccomandarsiと再帰動詞の形で、Mi raccomando!と言えば、(お願です!)と使える。また、raccomandataは「書留郵便」のことである。
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