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英語学習の歴史と現代における英語の学び方

英語学習の歴史と現代における英語の学び方

文明開化と英語教育の歴史

明治以降、日本はそれまで通商を許していたオランダに代わり、ペリーの来航以来アメリカやイギリスとの交流が急激に盛んになりました。欧米を訪れた日本人は例外なく、日本が諸外国に遅れていることを悟り、文化文明を吸収すべく欧化政策に突っ走っていきました。その過程で、英語が最重要外国語としてすでに明治5年には初等教育で取り入られるようになっています。そして早くも明治18年には「英語教育論争」が開始しており、日本で英語教育の必要性と、その方法について現在までの約140年にわたって続く、そしていまだに回答が見出されていない論争が始まっています。ざっと歴史を振り返ると、

1868年 明治維新 文明開化の波が押し寄せる。

1872年(明治5) 上等小学科(10歳~13歳)で、英語教育の開始 (実際は教員不足であまり実施されず)

1884年(明治17年) 小学校における英語教育の開始 欧化政策の一環、不平等条約の改正目的

1885年 英語教育論争開始 論争の主たるものは、小学校初等科(現在の小1)から始めるのか、中等科(小4)または高等科(中1)から始めたほうが良いのかという、スタートの時期である。

1887年 欧化政策の終了と国粋主義の台頭

1899年 不平等条約の一つ領事裁判権(国内法で外国人を裁くことが出来ない)の廃止

1902年 日英同盟 英語教育の推進化の風潮

1911年 不平等条約の一つ関税自主権の回復 英語教育重視の初期目標達成

1914年 第一次世界大戦 日本は戦勝国となり、大戦後設立された国際連盟の常任理事国となる(米、英、仏、伊を交えた5か国)。のちに設立された国際連合では、常任理事国の言語(英語、フランス語、ロシア語、中国語)は全て公用語となっていますが、国際連盟時の公用語は英語とフランス語だけで、日本は常任理事国となったものの、日本語は公用語ではありませんでした。従い、英語かフランス語を介する必要がありました。

1924年 米国で「排日移民法」成立。日米関係悪化。英語教育への非難始まる。第二次世界大戦へと進む。

富国強兵と植民地による言語教育

日本は明治維新後海外の技術に遅れていることを悟り、富国強兵を勧めた。それは、欧米各国が軍備強化を進め特にアジアの植民地化を計っていたためそれに対抗する為でもあった。太平洋戦争勃発当時英国が、インド・パキスタン・スリランカ、バングラデシュ、シンガポール、ビルマ(現ミャンマー)など、オランダがインドネシア、フランスがベトナム、ラオス、カンボジアなど、アメリカがフィリピンを植民地化し、唯一の独立国はタイと日本であった。また中国も独立国家ではあったが、租借地があり、また租借地ではないが上海や天津には租界が設けられており、自治権が奪われていた。また香港は英国の租借地で、マカオはポルトガル領となっていた。当時日本も朝鮮半島と台湾を植民地化している。尚、植民地では言語教育がなされており、英国やアメリカ領では英語が広範囲に話されていました。

欧米列強のアジア進出は、1600年代から始まっており(英、蘭のインド進出)、石油をはじめ、ゴムや茶、綿花などの資源を獲得するためで、競争して植民地化していったのです。その結果、英国が進出した国々では、「英語」が浸透しており、第二次大戦後アジアの独立が進んだとは言え、植民地時代の文化や言語は根強く残っており、そういう点では日本とは大いに異なる歴史を持っています。

日本は、軍備増強を進め列強に対抗する国力を作るように努力していたが、1902年には英国と「日英同盟」を結びロシアを想定した軍事同盟を締結していた。日清戦争(1894-5)に勝利したものの、三国干渉(ロシア、フランス、ドイツ)で遼東半島を返還、やはり列強との力の差は歴然で、アジアで孤立感を味合わせられていましたので、日本は英国との同盟の必要性を感じていたのです。

英国との同盟は1923年まで続きました。その間、日露戦争や第一次世界大戦があり、この同盟は日本にとっても外交的孤立を脱し、有益なものだった。その後、日本は大国の一員として、軍縮会議に出るほどの力を持ちますが、経済的にも資源的にも弱い立場であることから、満州などへの進出を計ります。しかし、それは帝国主義の列強と衝突することになり、最終的には孤立してしまうことになります。

明治~大正期の英語教育

この間英語教育がどういう変遷を辿ったのかを探すと、明治期にも高等小学校での英語教育廃止論があったが、大正期には中等学校での教育廃止論が盛んになった。現在とは小学校や中等学校の年齢が異なるが、明治後半の中学校への進学率はわずか3~4%で、中学校では、英語教育がカリキュラム全体の1/4を占めるほど熱心だったが、それはエリートのみに与えられた教育といえた。しかし、日本の国力が上がっていくにつれ、欧米崇拝の気持ちも薄らいでいき、そのため上記のように大正期には英語教育廃止論が盛んになる。一方1902年に日英同盟が締結された後は、小学校の英語を必須化し、英語を第二の国語とすべき、という論も起きている。実際に英語が廃止されたことはない。

1890年に英語廃止論lとして「教育報知」にこのような理由が載っている。(「英語教育論争史」江利川春雄より抜粋)

1.英語は習得が非常に困難で、労苦の割には実用水準に達しない

2.日本語さえも理解しないのに、外国語を理解させようとするのは主客転倒だ。(対象は10~15歳の小中学生)

3.外国語に時間を取られすぎて、他のもっと大事な諸学科の完成を妨げている

4.中学卒業後さらに進学するのは1割もいない(当時)。

5.英国語を教えるものは、英国的感覚と英国的思想を(子供に)教えることで、それはイギリス国民を養成することだ

6.商業・政治・交際上は、英語よりもロシア語や中国語の方が必要だ。

これを見ると、1~3はいまだに同じことが言われているので、面白い。つまり、英語を学習し始めて20年も経たないうちに今と同じことを思った人が大勢いるということだ。

人一人の人生の間に歴史は何度も変わる。

さて、江戸時代は出島を通じたオランダとの交易ゆえに、オランダ語や中国語が主流の外国語でしたが、明治維新以来、ずっと英語が主流だと言えるでしょう。日英同盟は維新後わずか34年です。太平洋戦争は1941年ですから、明治維新から73年しか経っていません。このわずかな間に、日本では大きな英語ブームがありました。しかし、たった70数年の期間で、上述のようなアジアを席捲していた国全部を敵に回して戦争をしたのですから、いかに無謀であったことか。しかし、これだけの事件が、人の一生くらいの間に次々と起こったということは、例えば1858年生まれ(明治維新時10歳)の人が、83歳まで生きていたら、維新以降日本の敗戦まですべて見ることが出来た訳で73年とはわずかそれくらいの時間です。73年あれば、歴史が大きく変わるのです。

日本は開国の前に、薩英戦争(1863年薩摩対英国)や下関戦争(1863-4年長州対米、仏、英、蘭)で諸外国と戦い、圧倒的な兵力の差の前で大敗北を喫しました。この歴史を見ると、薩摩や長州が戦った同じ相手と70数年後に今度は日本国が戦ったということです。日本側の事情を言えば、開始直前は、日本自体が兵糧攻めにあったような状態で、国民の不満も頂点に達しており、開戦を「仕方がない」「やっともやもやが落ちた」というような気持で迎えた人も多かったことは、当時の庶民の日記などで伺い知ることが出来ます。

第二次世界大戦後の英語教育

戦後は、敗戦ー進駐軍、という屈辱を経た後に、敵国であった言葉の英語を学ぼうとしたのですから、英語や欧米人に対するコンプレックスは当然だと思われます。勿論中には、コンプレックスなど感じていない人もいたかも知れません。しかし、終戦からわずか10年後には日本は高度経済成長時代に入ります。1960年には所得倍増計画、1964年の東京オリンピックなどの時代を経て、1973年のオイルショックまで高度経済成長時代が続きます。1960年頃からは海外に雄飛する若者も増えました。

もう若者が海外へ行くのはそれほど珍しくはなくなりました。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」は有名な孫子の中の言葉ですね。大戦中に外来語を禁止したりしましたが、それでも実は英語学習の雑誌は、大戦中でも発刊されていました。これは、日本人の中にも懐が深い人がいることを感じさせます。軍隊の中でも海軍は意外と自由だったという話も聞きます。

戦後の英語学習についていえば、米国としては当然日本に英語が浸透することを期待したでしょう。インドやフィリピンのように、植民地化すれば英語は自然と公用語になっていきますから。そうなれば、統制がしやすくなりますから。しかし、米国は日本を植民地化することはせず、自由独立国とする道を選びました。従い英語は公用語になることはなく、中学校から必須科目に加えられただけです。しかし、英語は科目の中でいつも結構重要視されていました。1965年頃にはもう、一部の大学では理科系文科系にかかわらず、英語が良ければ合格できるとも言われ、特に英語学部や英文学部なども増えてきました。1965年といえば60年前ですが、そのころから英語は重要だったのです。いや、歴史をさかのぼれば、英語教育はエリート教育であり、なんだかんだ論争を経ながらも、英語はエリートへの道ではあったようです。

しかし、明治維新から約150年経っても、日本人の英語力は一向に上達していないのです。インドにイギリス東インド会社が作られたのは1600年です。イギリスのインド支配はここから始まったと言えるでしょうが、インド人の上流階級が英語を話すと言っても、それから400年経っているわけです。フィリピンは16世紀からスペインによる植民地支配がありましたが、1898年からアメリカの植民地となりました。終戦まで約46年間アメリカの支配が続き、フィリピンでは英語が公用語となっています。つまり、植民地となり、学校教育が英語で行われた国または地域またはある種の階級は、みな英語を話します。日本は幸いにも植民地になった経験がなく、学校教育が英語のみで行われたことはありません(一部の学校は除く)ので、英語は話せないという逆説も当然成り立ちます。「英語を話せればよいのか」という議論は140年前からある議論ですし、今でも言語はあくまでも手段であり、言語そのものを生業とする人でない限り、目的にはなりえませんから。

日本の英語教育方法の試行錯誤

そして、英語の学習方法は常に話題になるものの、その内容は「基礎」中心か、「会話」中心かと言い換えても過言ではないでしょう。「基礎(文法や読解など)」中心では会話ができないといえば、「会話」に力をいれ、しかし「会話」だけやっても全く会話が上達しないだけでなく、基礎もなくなり、再び「基礎」に戻る。そのような繰り返しで、実態としては日本人の英語力は伸びるどころか、世界でどんどん英語力の順位が下がっていく一方です。

特にスマホが人々の手に一般に渡った2000年~2010年以降は、インターネットの発展と共に、いつでも英語で情報を得ることが簡単になりました。英語を目にすることが簡単になり、増えてきたわけです。多分、こういう状態が100年200年続けば、それくらいの単位で日本人の英語力も上達することは間違いないでしょう。いや100年とか200年とかだと、少なくともこれを見ている方は間に合わないのか、ということになりますね。

英語上達法の六法 田中菊雄 十大秘訣から抜粋(江利川春雄 英語と日本人から)

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音読 何度も声に出して読む。英語の口調がわかる。

暗誦 音読を繰り返し暗誦せよ。暗誦は外国語学習の枢軸である。

筆写 教科書の英文を筆写する。

暗書 暗誦した文を書く。人が読む文を書くのも良い。

複文 英文を和訳し、しばらく日を置いてから訳文を英文に逆翻訳する。

音読~暗誦は今でも認められる最善の学習法である。暗記することが、語学学習の基本であることを教えている。筆写と暗書は、基本的な英語学習法である。外国人講師による英語教育は、講師が言う、または読む文章を筆写することから始まった。複文は、暗記するための方法でもある。これらの方法を全て用いて、目指すところは「暗記」であるということに気づいて欲しい。

 

 

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