2月ですが、2022年の第一号です。「明けましておめでとう」は、イタリア語ではBUON ANNO! 、英語ではHappy New Year!日本語の挨拶言葉というのは、基本的に一番言いたい言葉を省略しますが、「明けましておめでとう」「新年おめでとう」に関して言えば、実に他の挨拶言葉と違って、はっきり言っているというか、省略形がありません。普通なら、「新年!」とか「明けまして!」とか省略されますが。最近は、「あけおめ!」とか言うので、やはりこれも省略されてくるのかも知れません。
「こんにちは」=今日はいい天気ですね、とか、今日はご機嫌如何ですか?を省略したもの。「初めまして」=初めて(お初に)お目にかかります、の省略。「おはよう」=「お早いですね。元気ですか」の省略。「こんばんは」も同じく、今晩はいかがですか、元気ですか?などの省略。「どうも」になると、「どうも有難う」「どうも恐れ入ります」「どうも、失礼します」など何でもありで、「どうも、どうも」と続けると、「どうも有難う、どうもさようなら」「どうも失礼しました、どうもありがとう」など二つを言う事も出来る。「さようなら」は、そういう事なら(左様なら、そういうことで)、失礼」とか、「そういうことで、また会いましょう」という意味だろうか。つまり、以上は全て基本的には「副詞」であって、肝心な「動詞」は言わないのが、日本流の挨拶。
品詞で言えば、形容詞や動詞が基本となっています。
初めまして=piacere、nice to see you「=お会い出来て光栄です。」、こんにちは/おはよう=buongiorno, good morning =いい日ですね、いい朝ですね」、さようなら=arrivederci, see you 「また会いましょう」、どうも=thank you, sorry, hello, good-bye「ありがとう、すみません、さようなら」 など。赤い部分が本来言いたい部分で、英語・イタリア語はその言いたい部分を含むが、日本語は言いたい部分を言わない。つまり、このことを「奥ゆかしい」というのかどうか、とにかく肝心なことは言わない。
話し言葉では、日本語に限らずイタリア語や英語でも本来の意味とは別の意味が使われていることが多い。これがそもそも外国語学習を難しくしている大きな原因だと思います。いわゆる熟語、イディオムと言われるものですが、本来の意味から考えても結論が出ないものが多い。漢字の組み合わせもいわば熟語みたいなものです。
学校の先生が漢字は書いて覚えるものだから、例えば「えき」を「EKI」とコンピュータで書いたら「駅」と自然に出てくるが、それだと覚えないのだと言う。このような話をイタリア人の友人としたところ、彼はもう自分で覚える(書ける)必要はないのだと言う。勿論文化の違いはあるが、アルファベットが文字の国民はその組み合わせを覚えれば良く、アルファベット自体は26文字前後なのでこれは覚えている。一方日本人は、漢字を覚えないと駄目なんだろうか?文化を残すことを考えれば、書いて漢字を覚える必要はあるが、もしそのためにITに後れをとるのであれば、一考が必要な気がします。文化を残す必要はあるが、それは例えば、習字や書き方の学習に譲ることも出来る。要するに、日本がITに遅れ、英語の習得に遅れ、世界の発展に遅れている現状を打破するには、何か大きな変化を起こす、若しくは何かを捨てる、決断も必要なのかも知れません。中国はかつて、漢字を捨て全てピンインにしようという時期があったと言う。それは、やはり反対があってやめになったそうだが、韓国がハングルを発明したように、時代を乗り越えるには何か大きな飛躍が必要ではないだろうか。
実は我々大人も、もう40年ほど前から、パソコンを使って字を書くようになってから、次第に漢字が書けなくなっている。読めるのだが書けない。いわば、古語は読めるが使えない。東京人は関西語は分かるが使わない。のような関係で、漢字も残っていくのかも知れない。話が大分それたが、イタリアの話で最後に締めるとすると、イタリアの北部の人は、遠過去は理解しても使えない。イタリアの若者は、接続法は理解しても使えない人が増えている。
トスカーナ地方の発音の特徴に、Ca(Ka) Chi(Ki) Cu(Ku) Che(Ke) Co(Ko) つまり日本語読みではカキクケコがほとんどハヒフヘホになると言うのがある。厳密に言うと、ハヒフヘホと言うよりも、も少し喉の奥から発生するハーと言う音になるのだが。
昔若いころにフィレンツエへ行って、そこの若者たちと友達になる。私が日本人だと分かると、すぐにジャマー、ズズヒ、ハワザヒと言って近寄って来る。最初は何を言っているのか全く分からないのだが、オンダーが出て初めて、ああこれはHONDA(ホンダ)のことを言っていると分かる。Hは発音しないですからね。そうすると、ジャマーは、YAMAHA(ヤマハ)かなと。YAはジャと発音する人が多い。若者は、皆バイクレースに夢中だから、日本のバイクの名前を知っていて、それを言いながら近づいてくるわけです。そうするとズズヒはSUZUKI。最初のSは濁ることが多い。ハワザヒは大分原音とは遠くなるが、KAWASAKIとなる。KA=ハ、SA=ザ、KI=ヒである。
知り合いの貿易代理店の社長の娘が、Federica(フェデリーカ)と言ったが、これは勿論フェデリーハとなる。日本の女性の名前の最後の子はホとなる。クミコは「フミホ」、ヨウコは「ジョウホ」、イクコは「イフホ」である。コカ・コーラ(Coca Cola)は、ホハホーラとなる。嘘だと思ったら、フィレンツィエへ行って、ホハホーラと注文してみてください。間違いなくCoca Colaが出て来ますよ。
英語で「チ」はChi, 「チェ」はche だが、これはイタリア語ではそれぞれ「キ」、「ケ」と読む。Giは英語は「ギ」だが、イタリア語では「ジ」と読む。HITACHI(日立)はイタリアでは「イタキ」と読まれます。杉山さん(Sugiyama)は「スジヤマ」である。
Stramilanoというマラソン大会がミラノで毎年開かれています。私は過去6回参加しています。ほとんどが1992年からの駐在時代の5年間ですが、2016年にも久しぶりに参加しました。確かハーフのコースと10kmのコースがあり(5kmもあるようだ)ハーフは真剣に走る大会のようですが、10kmはまさにイタリアそのものの大会であるという感じ。2016年の大会は参加者が62,000人と東京マラソンをはるかに凌ぎますが、多分10kmのコースに50,000人くらい参加しているのではないかと思われます。何故イタリアそのものの大会か?というと、このレースは、勿論100人か200人くらいは真剣に順位を競って走っていますが、残りはお祭りです。
まず、2016年の大会から言うと、スタートの合図(が聞こえたかどうかも定かでないが、定刻がその時間だとすると)から、私たち(このレースには日本から九段アカデミーの受講生4人と共に参加)がスタートするまでに30分以上はかかったでしょう。それまで全く前の方が動かなかったくらい、大勢がDuomo広場とその前の通りにひしめいていた。日本のマラソン大会でも号砲から出発まで10分程かかる大会に出たことはあるが、30分はない。つまり、10㎞レースだと速い人はもうゴールに着いているのだ。日本だと早く走りたいので、後ろから押す感じがあるが、イタリアでは人を押すことはないので、余計時間がかかるのだろう。イタリア人は決して道路を走ったり、エスカレーターを歩いて登ったりしませんから。
そして、このマラソン大会は最初は皆少しは走っているが、1㎞あたりからは、皆歩く。話しながら歩く。つまり、5万人が話をしながら、10㎞を歩いている、そういうレースです。私はこれを見て、世界最大の歩くディスカッション大会だと呼んでいる。勿論時々走ったりはしているのだが、、。途中に給水所があるが、ここは給水所というよりも、お菓子や果物、パンなどが置いてある。皆ここで休憩するが、そのあとは三々五々という感じで、帰宅するが多くいます。いや、恐らく6~7割くらいはゴールまで行きます。ゴールへ行くとメダルを貰えますから。しかし、3~4割の人は、適当に走ったら(歩いたら)帰宅します。将に市民大会を地で行っている感じです。
もし、興味があれば是非参加してみてください。天気が良ければ、ミラノの旧市街の車道をぐるっと歩けます。Duomoから始まって、Porta Veneziaを通りNaviglioのそばを通り、Sempione公園を通ってその中にある競技場までのコース。ミラノ市内観光が出来ますよ。尚、Straというのは、「例外的な」「異常な」「~を越えて」と言った意味を持つので、Stramilanoは「ミラノを越える」という意味なんでしょうね。straを使った言葉には、straordinario 日常を越えた=並外れた=特別の、straniero 外国の、外国人などの単語があります。
日本語の表現や、日本人が感じることとイタリア語が似ているというものがあります。例えば、chiacchierare ”キアッキエラーレ”は、ペチャペチャおしゃべりをする、という意味です。私は「キャッキャッと言う」と覚えています。coccolare ”コッコラーレ”は可愛がるという意味です。coccolo-coccoli-coccola-coccoliamo 何となく可愛がると言う気がしませんか? accarezzare ”アッカレッザーレ”は、「なでる」「愛撫する」という意味。これも昔意味を知らなかった折、ある犬を連れたイタリア人男性が、寄って来た女の子にAccarezzalo! と言っていて、言葉の雰囲気から「なでていいよ」という意味だとピンときました。bocciare“ボッチャーレ”は、オリンピックの種目にボッチャがあり、それと同じですが、動詞として使うと、「試験に落ちる」とか「車が衝突する」の意味があります。なんとなく分かりますね。
例えば、nippomaniaco 、nippo(n)が入っていますから、日本と関係があります。「日本マニア=日本ファン」の意味です。alcolizzarsi は動詞です。意味は「酔っぱらう」です。アルコールが入っていますから。ubriacarsi という言葉が出てこない時は、こちらが楽ですね。次の単語はいかがでしょう。sushiare。勿論スラングであり、最近の言葉ですね。「お寿司を食べに行く」という意味です。Sushiamo? 「お寿司食べに行こうか?」という風に使います。こういう単語の作り方では、日本も負けてはいませんね。ちょっと古い言葉では「エガワル」なんていうのがありましたね。若い人は分からないでしょうが、昔「江川選手」がドラフトで阪神に行くことになったのに、突然野球協約の裏をかいて巨人に行くことになったため、なにがなんでも自分がやりたいことをやることを「エガワル」と言いました。逆に最近の若者の省略したカタカナ言葉はどういう意味なのかおじさんはさっぱりわかりませんが。
霧はnebbiaという。これも「読んで楽しいイタリア語」に書いた話だが、霧の話はどうしてもまた書いておきたい。地球温暖化と共に、霧が出る回数もイタリアでは減ってきたのかも知れません。私がイタリアで経験した、1990年頃も段々暖かくなっていて、霧も少し減る傾向にありましたからね。ミラノの霧がどれくらい凄いかと言うと、はっきり言って、夜中に濃い霧が出たときは全く見えません。視界は、いいところ10mがギリギリだろうか。いや10mもないかも知れない。車なら、時速20㎞で1秒間に5.5m動くので、10mの視界だと障害物に気付いても殆どぶつかる。まあ、これほど視界が悪い時には運転しない方が良いが、通常視界が20mくらいあれば皆運転する。時速20㎞なら、この場合は多分止まれるだろうが、問題は高速道路である。
視界が20mで高速道路に出ると、車はビュンビュン飛ばしている。時速100㎞出すのだ。第一の問題は、高速の一般通行車線に入るとき、一気に80㎞くらいまではスピードを上げて、走行車線に入る。後ろから車が来ていたら、取り敢えず追い越させて、追い越された後は、この車のテールランプを見て後をつける。これが高速の運転方法です。テールランプは視界20mの2~3倍の距離からも微かには見える。だから、これの後をついていくのだ。ある時、前の車が意地悪をしたことがあった。後をつけて来られるのが嫌なんだろうか、テールランプを突然消した。全く見えなくなる。ここでスピートを落とすと、これが一番危ない。イタリアの高速道路は基本的に直線なので、とにかく真っすぐ時速100㎞で進むしかない。但し、tangenzialeと呼ぶ首都の周りの高速道路は、真っすぐではないが。いずれにせよ、東京の首都高ほど狭くかつ曲がってはいないので、その分は安全である。
高速を降りるときが次の問題である。看板が見えない。2車線の場合走行車線を走っていても、100㎞で走っていれば、看板が見えたときには通り越している。大方そろそろかなと予想をつけて、ちょっと前からスピードは少し落とす。7~80㎞くらいに。見えたら、すぐに降りる準備である。降りる寸前に看板や、出口が見えるはずなので、見えたらすぐにハンドルを切って降りることになる。
三番目の問題は、高速を出て一般道路に出るときである。視界が20mだと言っても、霧の濃さは風などによって変わる。5mほどの視界になることもあれば、40mくらいに広がっていることもある。安全なのは、視界が広がるのを待って、ある程度見えたときに渡るのが良いのだが、真夜中などでは、視界が全く変わらないこともある。5m~10mくらいしかない時もあるわけで、その時は夜中なので車も少ないだろうと見当をつけて、「えいやっと」渡るしかない。これは何度か経験したが、一瞬は命を懸ける感じだ。一般道路は、霧が濃い時はそんなにスピードは出さないで走るので、先導車がなくともまあ何とか運転は出来る。ただ道は真っすぐとは限らないので、かなり前のめりになってハンドルをしっかり握って良く周りを見ながら走る事にはなるが。
事故はどうかと言うと、当然起きる。ただ、小さな事故は報告されないのかどうかあまり知らないが、100台レベルの玉突き事故が高速ではタマに起きている。まあ、あのスピードで前の車が事故にあったら、後の車はどうしようもないだろうという予測はつきます。イタリアで霧が多いのは、ミラノートリノそしてミラノーベネチア間です。ボローニャより南は多分あまり発生しないと思います。従い、当然ミラノ空港はしばしば閉鎖されます。ただ、霧の中でも管制誘導により完成出来るシステムはあるそうですから、今は当時ほどは混乱が生じてないかも知れませんが。
日本ではミラノに比べれば霧が発生したところで大したことはないが、場所や時間によっては濃い霧に出会う事もあるでしょうね。自分は慣れていても他の人が慣れていない場所では、止まった方が賢明だと思います。霧ではないが、ある時ミラノで大雪が降りました。ミラノは結構寒いですがあまり雪は降らないので、チェーンをつけたりしない。それで、事故が多発したことがあります。慣れない状況に接したら、あまり無理をしない事ですね。ロンドンの霧やある説によれば、霧ではなくスモッグだそうですが、ミラノは確実に霧でした。クリスマスの頃の霧は、幻想的で霧の濃淡によって見えたり見えなかったりするのは、意外と面白かったものです。
もう大分昔の話になりましたが、ミラノに住んでいたことで懐かしい事の一つは、間違いなくこの「霧」ですね。ちなみに、英語ではfogと言いますが、イタリア語は全く違います。Foggiaというのは、町の名前です。英語とイタリア語は単語が70%共通だと言いますが、それは比較的難しい単語の事で、簡単な単語は全く違います。rain/pioggia, river/fiume, water/acqua, house/casa など共通ではありません。だから、イタリア人(やフランス人)は、30%の単語だけを勉強すればいいのですよ。
誰とでも仲良くなれればこれに越したことはないですね。世の中には色々な人がいますから、自分がそう思っていてもそうならないことも多いんじゃないでしょうか。善意の言葉や行動を悪意に取られて、しょんぼりした経験は誰でもある事かも知れません。意外と単純な言葉だけで、そういう事も起こりえます。日本語でもそうですが、皮肉的な表現というのはありますね。「おめでたい人」(事実を知らないうぶな人)、「ごちそうさま」(楽しそうな話を聞かされたあと、皮肉的に)、「いい値段」(高い)、「お世話になっている」(厄介をかけていることを皮肉的に)、「かわいがる」(いじめる)など状況次第で意味が反対になることもありますね。
以前に、あるイギリスのご婦人と会う約束があったが、前日に電話がかかってきて、「Would you like to postpone the appointment?」と聞いてきた。「アポを延期したいですか?」という意味である。これは真意が分からないと、「いいえ、大丈夫ですよ」と答えたいところだが、これは「延期して欲しい」の意味だと気づいたのは、一旦「大丈夫」だと答えた後である。こういう表現が丁寧なのかどうか分からないし、イギリスではご婦人はあくまで相手(この場合紳士であるかどうかは別にして男性である)に責任を被せるような言い方をするのかも知れない。これが紳士の国の作法だとすると。
「余計なお世話だ!」のような意味になるだろうか。belloなどは注意をせねばならない。Bella figura!は、「美しい容姿」などではない。「恥ずかしいことを!」Scemo!と同じような意味だ。また皮肉的に言う事も多いので、言葉は状況で判断することが重要になる。
もうひとつの間違いのもとは、発音に寄ることが多い。もう50年も前の話だが、Firenzeの郵便局で船便で荷物を送りたいという日本人女性について行ったことがある。郵便局で、Via mare (船便)でというところを、ただ、マーレ、マーレというものだから、係員がbene, bene(大丈夫)だと言っている。彼女の発音は、maleだったわけですね。これは説明不要。私自身の間違いも一つ上げると、Pisaの駅のinformazioniにて、斜塔はどこですか?と聞いた時の事。係員の答えは「駅を出てすぐ右だ」とのこと。わたしが、「歩いても行けますか?」と聞いたら、さすがにイタリア人ですね、「ご希望ならタクシーでもどうぞ?」と言う。私は、歩いても行けるんだなと思って、外へ出て、そこで気づいたわけですね。塔はtorreですが、私は巻き舌が出来ないので、toiletに聞こえていたという訳です。もう一度informazioniに戻って、事情を話して、大笑いになったことは言うまでもありません。